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「工芸×写真」日本の工芸の魂を、自作の巨大カメラで、ガラスの写真に焼き付ける。

2008年に、日本の工芸を継ぐ若手職人20人の肖像写真を撮影しました。あれから10年。自分なりに写真を深めてきました。この秋、当時出逢った全国の職人たちを再び訪ねて廻り、自作の巨大カメラで肖像を撮影し、彼らの工芸品と共に展示をします。その為の撮影・展示資金のご支援を、どうぞ宜しくお願い致します。

現在の支援総額

1,295,500

129%

目標金額は1,000,000円

支援者数

210

募集終了まで残り

終了

このプロジェクトは、2018/08/27に募集を開始し、 210人の支援により 1,295,500円の資金を集め、 2018/10/26に募集を終了しました

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現在の支援総額

1,295,500

129%達成

終了

目標金額1,000,000

支援者数210

このプロジェクトは、2018/08/27に募集を開始し、 210人の支援により 1,295,500円の資金を集め、 2018/10/26に募集を終了しました

2008年に、日本の工芸を継ぐ若手職人20人の肖像写真を撮影しました。あれから10年。自分なりに写真を深めてきました。この秋、当時出逢った全国の職人たちを再び訪ねて廻り、自作の巨大カメラで肖像を撮影し、彼らの工芸品と共に展示をします。その為の撮影・展示資金のご支援を、どうぞ宜しくお願い致します。

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◎9/9追記 ー・ー・ー・ー・ー・ー・ー・ー・ー・ー・ー

先日、皆さまのおかげで目標金額100万円を達成することが出来ました。本当にありがとうございます。 

全く支援してもらえないかもしれない、という不安の中でクラウドファンディングをスタートさせましたが、皆さまがこの作品を、また僕自身を応援してくださることがわかり、次第にその支援は力に変わっていきました。
クラウドファンディングの期間はまだ残っております。集まった資金次第で、展示会場の規模などを大きくすることが出来ます。より理想の展示に近づけるため、期間終了の10/26までは資金集めを続けていきたいと思います。 
引き続き、ご支援、ご協力を宜しくお願い致します。

撮影準備、撮影の様子などをFBページInstagram、CAMPFIRE内の活動報告などにアップしていきます。 
この作品を、ご自分の作品としても楽しみながら見守っていただければ幸いです。

ー・ー・ー・ー・ー・ー・ー・ー・ー・ー・ー・ー・ー・ー

 

初めまして。外山亮介です。写真と映像のカメラマンをしています。

今回、10年前から温めていた作品「芽」を制作します。

自作の巨大カメラで、日本の工芸の未来を担う職人達20人の魂を、ガラスの写真に焼き付けます。

この撮影・展示資金の一部をご支援頂きたく、クラウドファンディングに挑戦します。

◎10年前の手紙

2008年、28歳だった僕は全国の伝統工芸の産地を巡り、同世代の若手職人を訪ねて肖像写真を撮影しました。想いを眼に宿らせるため、職人たちには「10年後の自分自身に宛てた手紙」を書いてもらってから、カメラの正面に座ってもらいました。

その手紙は僕が預かりました。この作品を撮り終えた後、僕も10年後の自分に向けて手紙を書きました。

あれから10年。ずっとしまってあった自分宛ての手紙の封を開けました。封筒の中には、当時の僕の想いが綴られた手紙と、1枚のポラが入っていました。

残念ながら、写真家としてでっかくはなれていないし、成功しているとも言えません。でも、この時に抱いていた「写真に想いを込める事への執着」は今も持っています。

9月の中旬から、預かっている彼らの手紙を手に、この時に撮影した全国各地20人の職人たちを、もう一度撮影してきます。10年前は中判のフィルムカメラを使って撮影しました。それが、当時の自分が一番想いを込められる撮影方法でした。

今回は、自作の巨大カメラを使い、自分で調合した薬品を塗布して作るガラス写真に、想いを焼き付けてきます。

◎「種」

10年前の作品は、日本の工芸を継ぐ、全国各地の若手職人の肖像を撮影した写真たちです。

当時、工芸は先細っていく産業に見えていました。それでもその道を選んだ同世代の人間の気持ちをフィルムに焼き付けたくて、バイクにカメラとテントを積んで、日本を旅しました。着物の染め屋の実家を継いでいないことに、コンプレックスを感じての行動でした。

いろいろな産地を巡りました。若手の職人を探していると伝えると「若くても50歳を過ぎてる」「ここらにはいない」というような言葉を、何度も聞きました。それでもどうにか、北は青森、南は鹿児島まで、20人の職人たちと出逢う事が出来ました。

職人たちとたくさんの話をしましたが、それでも心の奥底まで聞き出せたとは思っていませんでした。その奥に潜む感情を眼に表出させたくて、10年後の自分に宛てて手紙を書いてもらうことにしました。誰かに見せる為の手紙にならないよう、書いたら封をするお願いをして、その場を一度離れました。

後日もう一度彼らを訪ね、カメラの正面に座ってもらい手紙の内容を思い起こしてもらうと、皆、表情が変わっていきました。そのまっすぐ見つめる強い瞳を、フィルムに焼き付けました。

この作品に「種」と名付けました。

彼らの手紙は、僕の手元にあります。何が書いてあるかはわかりません。

作品「」の詳細ははこちらからご覧いただけます。

◎「種」撮影後の10年

種の写真をまとめながら、工芸の奥深さを改めて感じていました。写真や映像の仕事をしながらも、染色への気持ちが強まり、父に継ぎたいと話した事があります。父には「一度写真をやり始めたんだから、しっかり写真をやりなさい」と言われました。

その言葉で、写真にまっすぐ向き合えました。

自分はまだまだ写真を知らなすぎる。出来ない事が多すぎる。そんな考えから、大判カメラ、モノクロ現像、カラー現像など、いろいろなアナログの手法を試していきました。

考えを深めていく中で、職人たちと一緒にものづくりをして、写真と工芸の可能性を広げられないかと考えるようになりました。例えば工芸の技術を使って、額縁を作ってもらったらどうだろうかと考え、完成型を想像してみました。素材から手作りで仕上げられた額縁の中に、既製品のフィルム、印画紙の写真がある。モノとして見た時に、自分の写真が額縁に負けてしまっている姿が目に浮かびました。ただ想像しただけでも、とても悔しく感じました。

写真の歴史を遡ると、既製品を使わず、自分で薬品を調合しながら、手作業で作り出す写真があったことを知りました。図書館やネットで写真史を調べ、いろいろな古典技法を試してみることにしました。

誰かに教わることもできず、幾度も失敗を繰り返し、どこに問題があるのかもわからず、思い当たる要因をひとつひとつ潰していく、とても地道な作業でした。

普段の仕事の合間に時間を見つけながら、少しずつ実験を進め、だんだんと形に出来るようになっていきました。

もっと大きな写真を作りたくて、テントカメラを制作してみたりもしました。

撮影直前に薬品を塗布しなければならない為、中で暗室作業が出来るようにしました。しかし、サイズを大きくしただけなのに、途端に像が現れなくなりました。この失敗の原因は未だ判明しておらず、現在も撮影の方法を探っています。

こういう写真たちならば、工芸と同じ舞台に立てるかもしれないと思い、南部鉄器の額縁を制作してもらったり、軸装してみたりもしました。

これらの試行錯誤の中でも、常に今回の作品の事が頭の中にありました。

そして、アンブロタイプというガラスの写真に辿り着きました。

アンブロタイプは、写真の工業化が進む直前の時代の技法で、他の古典技法同様、写真家自身が薬品を調合し、一枚一枚手作業で写真を作っていきます。自分が試していた他の技法よりも鮮明性が優れている上に、手作業で作り出すという行為が、同じように手を使う職人たちの肖像を撮影するのに適していると考えました。

はじめは13x18cmのガラス板から始め、25x30cmの大きさまで試していきました。

この写真には、その時の光がそのままそこに焼きついて存在しているという、絵画にも、彫刻にも、デジタル写真にもない、特別な魅力があります。

この技法で職人たちを等倍で撮影すれば、さらに強い写真を作れるのではないかと考えました。

そのために、50x60cmのアンブロタイプを撮影出来る大判カメラを自作することにしました。カメラの歪みによる光線漏れや、蛇腹の形状など、改良を重ねながら形にしていきました。

そして、完成したカメラで友人を撮影してみました。

ガラスの中から、等身大の彼の瞳が、まっすぐこちらを見つめてきます。

僕はしばらく、この写真の前から動けなくなりました。

◎「種」から「芽」へ

10年間、自分の胸の中で「種」を育て続けました。

この「種」はやっと「芽」を出します。

2018年9月の中頃から、預かっている手紙を持って、彼らの元を訪ねていきます。

自作の巨大カメラを使い、アンブロタイプで肖像写真の撮影をしてきます。 過去からの手紙を読んだ彼らは、何を想い、またこの先をどう見据えていくのか。まっすぐレンズを見つめてもらい、その想いをガラスの写真に焼き付けます。

彼らの歩んできた10年と、僕の歩んできた10年がカメラの前で交錯します。

そして今回、職人たちの作業は、映像で撮影してきます。無駄のない洗練された所作、息遣い。それらは映像の方が、より強く捕らえられると思っています。工程を説明するのではなく、20人それぞれのものづくりに流れる時間と、日本の光景を絡め合わせ、映像として残します。

  

ここまで、ずっとアナログの写真の事を書いてきましたが、10年間、デジタル写真も映像も撮影してきました。表現したい事を強める為に、すべての技術はあると思います。先人たちも、表現したい事があったからこそ、技術革新をしてきました。

現代のデジタル機材を使った映像と、アナログで創る写真。ひとつの作品の中で、新旧両極にある視線が時代を浮き彫りにしながら、あらたな潮流を生み出すと信じています。

◎「芽」のその先に

この「芽」のあとに、作っていきたい写真があります。

日本でしか生まれ得ない、まだ誰も見たことのない作品。額縁と写真のように、ただ組み合わせるだけではなく、工芸の技術と写真の技術を融合させてみたいのです。

和紙、漆、木、土、鉄、ガラス、絹……。

光と時間を、その素材自体に焼き付けたい。ひとりでは、そんなものは作り出せないし、まだまだ技術も足りていません。その素材を扱える職人たちと一緒に、試行錯誤してみたいのです。

今回の撮影は、そこに向けての準備でもあります。何が出来て、何が出来ないのか。自分の想像を具現化するために、対話をしてきます。

◎撮影期間

2018年9月の中旬から撮影を始めていきます。

会津塗(福島県)、置賜紬(宮城県)、南部鉄器(岩手県)、金山焼(青森県)、村上堆朱(新潟県)、和蝋燭(新潟県)、井波彫刻(富山県)、輪島塗 木地師・塗師・沈金師(石川県)、七宝焼(愛知県)、京提灯(京都府)、京仕立(京都府)、三木打刃物(兵庫県)、熊野筆(広島県)、土佐典具帖紙(高知県)、唐津焼(佐賀県)、薩摩切子(鹿児島県)、別府竹細工(大分県)、江戸指物(東京都)

以上の20人を、幾つかの地域ごとに分け、年内に撮影を終了させる予定です。

撮影の様子、思ったこと、感じたことなどを

FBページ

Instagram

このページの「活動報告」などで、綴っていきます。

◎展示に関して

撮影を終えてから、2019年春を目指して、東京都内で展示をします。場所、規模などはまだ未定です。

自分の理想としては、地下、地上の2フロアで、映像、写真、職人たちの作品で構成することを考えています。

可能ならば、地方での展示も考えています。

集まった資金次第で、展示の規模を拡大、縮小します。

◎リターンに関して

今回は、お礼のメールと、展示会場でのお名前の掲示 ¥3,000- のみに設定しました。

最初は、いろいろなリターンを考えていました。ポストカード数種類、写真数種類、写真集、高額のアンブロタイプ撮影、、、

魅力的だと思えるリターンを考えれば考えるほど、その制作費用がかかる。作るからには手も抜けない。撮影展示費用分をのせて、値段設定を高くしよう。じゃあ、あわよくばこういうのもいいかもしれない。もっとお金が集まるかもしれない。これはいい考えだ。ここをもっとこうしよう。。。

こうして形になってきたプロジェクトページを、公開前にいろいろな方に見てもらい、意見を伺いました。好意的なものもありましたが、手厳しい意見もたくさんいただきました。

そのおかげで、この「リターン・お金への欲」が、今回の作品の純度を下げ、想いをまっすぐ届ける邪魔をしていることに気づけました。

それから、制作していたプロジェクトページを放棄し、新しく作り直しました。

前のページでは冒頭に「工芸を盛り上げたい!」と言っていたのですが、それもやめました。結果的にそうなれば嬉しいと思っているのは事実なのですが、より多くの人に届く様に、耳触りのいい言葉を選んでしまった様に思います。

単純に、この作品を面白がってもらえるのか、応援してもらえるのか、そこだけに焦点を当てる事にしました。

目標金額は ¥1,000,000- です。

334人の方の支援が必要です。宜しくお願い致します。

◎最後に

僕はこの「芽」を撮影する為に、10年間写真を深めてきました。今出来ることを全て注ぎ込みたいのです。

昨年、身近な方々の助けを借りながら、自身初の写真展を開催しました。この作品は、自己資金で限界までやってみました。反省点も残しつつ、初めての展示としてはとても満足のいくものでした。

今回も自己資金のみで撮影・展示までやることも考えていましたが、この作品に関しては、もっともっと多くの方に知ってもらいたいのです。

皆さんの支援が、この「芽」をより大きく成長させます。

どうぞ、宜しくお願い致します。

◎自己紹介

外山亮介

1980年、東京の着物の染め屋の三男として生まれる。

中央大学を卒業後、映像制作会社の太陽企画に勤務。

2005年 カメラを持って中南米を半年かけて回る。Breeze

2006年、桜前線を追いかけて日本を撮影しながら縦断する企画「Under the Cherry Blossoms」に参加。

もっと写真を知りたいと思うようになり、代官山スタジオに入社。

その後、フリーランスのアシスタントを経て、現在は写真と映像のカメラマンとして、広告などの仕事を手がける傍ら、自身の写真作品制作を続けている。

WORKS

2008年 「」を制作

2009年 1年間撮り溜めた光を1枚の写真に閉じ込めた「2009」を制作

2010年 30歳になった幼馴染たちを撮影し、古典技法で仕上げた「欠片」を制作

2016年 2度目の桜前線を追いかけ、鹿児島から北海道まで撮影の旅

2017年 Roppongi Basecampにて「旅、光と桜」展を開催

 

2018年、「種」の続編「芽」を撮影予定

 

追伸

すごい夢。これは完全に忘れてました。ルフィはまだ海賊王になってません。

今の夢は、この「芽」を「桜の大木」にまで成長させることです。

最新の活動報告

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  • 支援してくださった皆さまのおかげで、5/14~19で開催していた写真展「導光 LEADING LIGHT」無事に終了しました。6日間で300人以上の方々がお越しくださいました。本当にありがとうございました。会場に足を運べなかった方にもどんな様子だったかご覧頂くため、こちらに活動報告として投稿させていただきます。会場は北千住BUoY入り口にリターンのお名前掲示をさせて頂きました。まずは地下1Fで10年前の「種」を観てもらいました。それから地上2Fに上がってもらい、自分の10年間の試行錯誤を追体験してもらいました。この部屋の奥で、職人たちの作業の映像を流して、じっくりと観てもらいました。最後に「芽」である、巨大カメラで撮影したガラスの写真と、彼らの作品を展示しました。巨大カメラとトラックに載せてた作業台も展示しました。この展示がゴールではなく、どうにか巡回して色々なところで展示して、一人でも多く日本の工芸、文化に触れてもらうことが出来るよう、思案していきます。もしかしたらまたクラウドファンディングに挑戦するかもしれません。その際にはもう一度、ご支援いただけましたら幸いです。まだまだ「芽」を撮り終えたところ。この先もこの作品を成長させられるよう、精進します。皆さま本当にありがとうございました。令和元年五月 外山亮介 もっと見る

  • 15人目、兵庫県、鍛冶、千代鶴直秀さん。http://www.chiyozurusadahide.jp/鉄を叩いて鉋を作っています。職人たちを支える、道具を作る職人。かっこいい。16人目、広島、熊野筆、実森さんhttp://sanemori-seijitsudou.com/toppage.html書筆を作っています。いろいろな動物の毛の性質を知り、混ぜ、選別して整えていく繊細な作業。書きたい文字によって筆選びが変わる、と。そこまではなかなか辿り着けないと思うけど、自分らしい字が書けるようになりたい。17人目、佐賀、唐津焼、井上さんhttp://www.kyouzan.co.jp/jing_shan_yaoHP/HOME.html釉薬の流れを想像しながら形を作っていく。お茶道具としても有名な唐津焼。お話を伺っていて、日本の文化の深さを改めて知る。18人目、鹿児島、薩摩切子、鮫島さんhttps://www.satuma-vidro.co.jp/黒切子は薩摩だけ。透けない素材にカッティングを入れる技術。クリスタルの輝きに魅了される。アンブロタイプとも一緒に何か出来ないかな。。。明日は大分の竹工芸を撮影してきます。1人増えて全部で21人。あと3人。 もっと見る

  • だいぶ間が空いてしまいました。クラウドファンディングの期間は終わりましたが、撮影は進めています。リターンの「お礼のメール」ですが、20人の撮影が終わってから送らせていただきます。撮影の旅をしながら、写真のこと、工芸のこと、日本のことなどをいろいろと考えています。そんなことも含めた「お礼のメール」に出来ればと思っています。もう少々お時間をください。映像からの切り出し画像をアップしておきます。9人目、輪島木地師、辻さん部屋から廊下に溢れ出る粗木地たち。削る道具の方も自分の使いやすいように自分で作る。鍛冶屋さんでもあります。用途によって道具を使い分けます。木屑がかかってて使ってなさそうだけど、現役の道具たち。僕のカメラにもあっという間に木屑が積もってました。木地師さんは、表に名前の出ない仕事でした。名のある作家さんも、自分で木地を削る人は少ない。縁の下の力持ち的な存在。全国的に見ても、木地師さんはかなり少なくなっているようです。10人目、名古屋尾張七宝、池田さん。銀線を立てて壁のようにして下絵に合わせながら一つ一つ置いていきます。そこにガラスの釉薬を挿していきます。気の遠くなるような細かい作業。たくさんの色を使いながら。池田さんは、名古屋城本丸御殿を復元した際に、襖の取っ手などを制作したそう。歴史に残る作品が作れるのは素晴らしい。11人目、京地張り提灯、小嶋さん。小嶋さんは家族で分業をしている。お兄さんが竹割り。弟さんが和紙を貼る。イベントなどで使用する巨大な提灯なども手がけていて、大活躍中。工房は子供達の遊び場にもある。小嶋さん曰く、これが何代も続く理由だと。お兄さんも弟さんも、提灯をやる以外の道を考えたことがないと言っていた。10年前は撮影しなかったけど、今回は弟さんの肖像も撮影させてもらった。12人目(13人目)京仕立て、殿村さん着物の仕立て屋さん。着物は何度でも仕立て直せるように、全て手縫い。使う道具も、針一本と絹糸だけ。使いにくくなった針はマチ針に。生地にハサミは必要な分しか入れない。お婆さんから孫に。仕立てをほどいて、洗張りして、仕立て直す。若い頃の派手な色を、少し抑えて染め直すことも出来る。着物は見た目だけじゃなく、循環の形も素敵な民族衣装。13人目、土佐典具帖紙、濵田さん。濵田さんは0,03mmのとても薄い手漉き和紙を漉くことの出来る、日本で唯一の人物。職人仕事であるその仕事ももちろん続けられているけど、和紙のアーティストとしても活躍中。僕が訪ねたタイミングは作品の打ち合わせ中で、実作業をしていなかった。なので、映像は撮影せず、アンブロタイプだけを撮影した。15年間、土佐典具帖紙を漉き続けた経験があるからこそ生きるアートワーク。スカスカじゃない、職人からはみ出した作家さんたちは、本当にかっこいい。神宮前のTRUNK HOTELに作品があるそうなので、戻ったら観に行こうと思う。明日は兵庫の三木打刃物、鉋の鍛冶屋さんを撮影してきます。 もっと見る

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