noteで閲覧する場合https://note.com/haruto_miyai/n/n95d064cce7aaいつも、休日はしっかり休むことが多く、何もしないことが多いですが、昨日は珍しく、飛騨を出た。午前中はいつも通り、ダラダラし、午後から「飛騨の家具フェスティバル」で、CoIU理事長と、飛騨産業社長が、CoIUについて語るトークセクションがあったため、それを見に行った。やっぱり、理事長がカバーしている領域の広さであったり、規模感、ビジョンに圧倒された。飛騨の家具フェスティバルでは、こじんまりとした会場なのかなと思っていると全然そんなこともなく、大々的に家具を見て回ることができる、そんな場所だった。家具フェスのトークセクションを見た後は、古川に移動し、CoIU理事長、飛騨市長、岐阜知事の対談イベントに参加した。岐阜知事自らが、岐阜県のポテンシャルであったり、魅力、さらには課題認識などを話された。「今の当たり前を疑うところから未来が始まる」「効率化が手段から目的にすり替わってしまった」この言葉が印象的だった。正直、効率化が手段から目的にすり替わったというのは同意でしかないと思った。というのも、私自身も効率化、合理化に飲み込まれかけている(飲み込まれているかもしれない)人間だと改めて感じた。ある種、効率化、合理化することに快感を覚えているのではないか?とまで思っている。(メタ認知すると)それを全否定したいというよりも、今は自分の人生を賭けて追い続ける「問い」が生まれていない状態だからこそ、効率化、合理化しか追いかけるものがないのかもと思っている。なので、人生を賭けて追い続ける「問い」が見つけれるように頑張ろうと思う。加えて、知事の話での事例が「経済」「労働」「教育」「農業」と全てバラバラのテーマだったにもかかわらず、同じ失敗パターンを指摘していたことも興味深い。「ある時代に正解だった手段が、環境を変わった後も目的としてそのまま残り続けること」私はこのことを伝えたかったのだと思う。過去、高度経済成長期には正しかった答えは今の時代に正しいとは限らない。この話をもっと早い段階で聞いておきたかった!と思うくらい。話が聞けて本当に良かったです。その後、3人(理事長、市長、知事)の対談があり、大学のビジョンや目的、どう言った役割を話すのか?みたいなことを聞くことができた。「教育の本質は、変化し続けることである。」過去、中学生時代に感じていた教育に対する違和感を彷彿とさせるような、自分が感じていたことは悪いことではなかったのだと。そして、それに被せるように、市長もダーウィンの進化論を用いて「生き残れるのは強い者でも賢い者でもなく、変化できる者」だと強調されていた。市役所でも総合計画を「作った時から壊すもの」として扱い、5年後に計画に書いていなかったことをどれだけできたかが、成果だと考えてきたと、行政哲学を披露してくださった。本当にすごい。最後の締めくくりにも「大学の方向性は変わらないが、手法は変えていくべきで、変えないことこそ本質から外れる」とおっしゃっていた。この矛盾した姿勢こそが求められている。改めて、すごい大学に入学したことを肌で感じる時間となった。本当に心強い。挑戦をし続ける大人の人たちに囲まれながら学べる時間、高々にビジョンをかがけ、叶えていく意思、できれば4年間で全て吸収できたら最高。そのためにも、まずは地に足をつけ、今できることに全力で目をむけ、自身の問いを見つけられるように頑張ろうと思う。そして、最後に。クラファンありがとうございました!挑戦を後押ししてくださる皆様に改めて感謝します。手段の目的化には気を付けながら、変化し続けることに恐れず、飛騨古川という地で挑戦を続けていきたいと思います。




