自己紹介
【霞ヶ浦サンライズフェスティバル― アジアシルクロード音楽祭とサンセットクルーズ ―】
20年にわたり開催してきたアジアシルクロード音楽フェスティバルを発展させ、霞ヶ浦からユーラシア交流の未来を発信します。
音楽祭の開催とともに、霞ヶ浦の自然と文化を体感するサンセットクルーズを実施し、人と人、地域と地域を結ぶ新たな交流の場を目指します。
その先にある理念が、
「太陽がつなぐユーラシアは一つ」「太陽がつなぐ地球は一つ」
です。
この取り組みを実現し、発展させるために、皆様にご参加いただける支援プランをご用意しました。
【ご支援の方法】
霞ヶ浦サンライズフェスティバルでは、ご都合に合わせて5つの支援プランをご用意しています。
【先着20名限定 サンセットクルーズプラン】50,000円霞ヶ浦から世界へ。サンセットクルーズの運行を支える特別応援プランです。「太陽がつなぐ地球は一つ」というメッセージを、船を通して未来へ残します。
【創設メンバープラン】30,000円霞ヶ浦サンライズフェスティバルの創設メンバーとして参加。新しい文化交流の歴史をともに築く仲間になっていただきます。
【書籍応援プラン】10,000円ユーラシア交流と霞ヶ浦の歴史を紹介する書籍(「秘められたシルクロード」定価11,000円)をお届けします。フェスティバルの理念を知り、応援いただくためのプランです。
【活動報告応援プラン】5,000円活動報告書や各種ご案内を通して、フェスティバルの歩みを見守っていただくプランです。
【応援協力者プラン】3,000円まずはお気軽に応援したい方向け。お礼メールや活動報告をお届けします。
霞ヶ浦サンライズフェスティバルは、4つの太陽の物語が潜む霞ヶ浦で、「太陽がつなぐ 地球は一つ」という理念のもと、多様な民族・文化・歴史を尊重しながら、人と人とを結び直すことを目指す国際文化交流プロジェクトです。
その理念の精神的基盤となっているのが、国立民族学博物館名誉教授が掲げた「ユーラシアは一つ」という遺志であり、ロシア科学アカデミー名誉歴史学博士、外務大臣表彰、南方熊楠賞、大佛次郎賞などを受賞した加藤九祚先生の思想です。加藤先生は長年にわたり、シルクロード、北方ユーラシア、中央アジア、遊牧文化研究を通じて、「ユーラシア文明は対立ではなく交流によって形成されてきた」という視点を提示されてきました。
また、実行委員会委員長は地元の古文書を読む会創設者の岡田久夫氏、本フェスティバルの名誉顧問には、元ユネスコ事務総長顧問であり、「シルクロード対話の道」総合調査企画実施責任者を務めた服部英二氏を迎えています。さらに、理事長にはアフガニスタン出身の江藤セデカ氏、副理事長にはモンゴル出身のバーボルド氏、そして北海道浦河町出身のアイヌの酋長・浦川治造氏が参加しており、本団体そのものが、多民族・多文化共生への敬意を体現する構成となっています。
統括プロデューサー(グランドデザイナー)の大野遼は、1980年代より北方ユーラシア研究・文化交流活動に携わり、日本における北方ユーラシア学会創設に関わるとともに、旧ソ連科学アカデミーとの合同によるアルタイ山脈発掘調査にも参加しました。その後40年近くにわたり、中央アジア、シベリア、モンゴル、アムール川流域などで、少数民族・先住民族文化への敬意を基盤とした交流活動を継続しています。
私たちは、世界各地で分断や対立が深まる現代だからこそ、音楽、芸能、食文化、歴史、そして人々の対話を通じて、互いを理解し尊重し合える拠点が必要だと考えています。今後、霞ヶ浦の全ての自治体と連携し、当面ユーラシアの全ての駐日大使館が後援する、霞ヶ浦全域の霞ヶ浦サンライズフェスティヴァルを開催し、世界の駐日大使館が協力後援する霞ケ浦湖岸の全ての自治体が参加する国際文化交流プロジェクトを目指しています。世界の115か国・地域から1500人の留学生が学ぶ筑波大学との連携が課題と考えています。
霞ヶ浦は、古代より東国と大陸文化を結ぶ水辺でした。朝日が昇るこの地から、文化と文化、人と人を結び直す新しい交流の場を育てていきたい――それが霞ヶ浦サンライズフェスティバルの願いです。
「夕焼けの向こうは日の出 地球は一つ」
この理念を、小さくても確かな形として未来へつないでいきます。
このフェスティヴァルは、駐日モンゴル国大使館の後援が決定、駐日トルクメニスタン大使館、駐日タジキスタン大使館が、本国と参加の方法を調整しています。
このプロジェクトで実現したいこと
人類の、朝を願う心は一つです。朝を迎えられない女性や子どもお年寄りへの鎮魂も込めての願い「(富士山の)夕焼けの向こうは日の出 地球は一つ」
霞ヶ浦 「常世国(シャングリラ)」「日高見国」「扶桑樹の太陽が照らす」「太陽を消長する蓮根」と「常陸国風土記」に記された4つの太陽の物語が潜む太陽の国・霞ヶ浦の魅力を再発見するのも目的の一つ、
サンライズ フェスエィバルのオープニングは、会場の歩崎後援(茨城県かすみがうら市)湖岸の水中林の日の出をオープニングとし、平和を願うアイヌのカムイノミ、ネパールのバンスリ、和太鼓が「笛と太鼓」で朝日を迎える
ユーラシア交流 モンゴル、アフガン、など民族料理、霞ヶ浦・太陽をテーマにした、キャッチコピー、川柳、短歌、俳句、散文詩の公募と紹介 「ユーラシアは一つ」をテーマにした「私の主張」(800字詰め1枚)を事前審査で、発表。多文化対話を目指す。
音楽 レギュラー出演者であるパンチャラマとチョウタリバンドによるヒマラヤの響きhttps://youtu.be/JCoKYUdtBB8 、モンゴルの文化大使ボルドエルデネのホーメイと馬頭琴https://www.youtube.com/watch?v=ThNV7WfqYjY、バトツェツェグのオルティンドー(長歌)https://www.youtube.com/watch?v=M417rTV0828&list=RDM417rTV0828&start_radio=1、イランのペルシャ伝統音楽の継承者シャーサボリ・ハミドによる日本を含めたユーラシアの音楽の基層の楽器演奏https://www.youtube.com/watch?v=g_S-NHdQXeg、シベリアのサハ共和国の太鼓文化復活に力を発揮した神奈川県率愛川高校和太鼓部のOBトリオの和太鼓演奏https://www.youtube.com/watch?v=omA4oknLE2oのほか、トルクメニスタン、タジキスタンの日本との国交35周年記念芸能コンサートが調整中です。
船 霞ヶ浦サンライズフェスエィバルのオープニングは、鹿島灘から昇る水中林の日の出。そしてフィナーレは、霞ヶ浦サンライズフェスエィバル創設メンバー(協力金5万円)から先着20人を、フェスティバル海上の歩崎後援の桟橋から観光船に乗船、富士山を夕焼けに染めるSUNSETを眺め、「日高見国」を体感するツアーに招待される
プロジェクト立ち上げの背景
企画総括プロデューサーの大野遼は、1986年、京都で、坪井清足元奈良国立文化財研究所長(故人)、田中琢元奈良国立文化財研究所長(故人)、 佐々木高明国立民族学博物館館長(故人)、加藤九祚国立民族学博物館名誉教授(外務大臣表象、故人)、加藤晋平筑 波大学名誉教授(モンゴル国考古研究所名誉教授)、松本秀雄大阪医科大学元学長・名誉教授(故人)、藤本強東京大学 文学部長(故人)、大林太良東京大学名誉教授(故人)らと北方ユーラシア学会(初代会長江上波夫、二代目会長田村晃 一、大野遼元共同通信記者・学会理事・事務局長)を創設。ゴルバチョフが来日した1991年4月、旧ソ連科学アカデミーと北方 ユーラシア学会が合同でアルタイ山脈のスキタイ(パジリク)凍結王墓の発掘調査を実施することが交換公文で決定。8月の本発掘 では、日本から100人に昇る研究者を現地に派遣して発掘調査に参加した。以後、バイカル・シベリアの発掘調査、人類学的調査、 民族学調査、豆満江河口の渤海港湾遺跡クラスキノ土城発掘調査を実施するなど日本の北方ユーラシア研究にレールを敷いた。
1991年、アルタイ山脈でパジリク王墓発掘の最中に、ゴルバチョフ元大統領がクリミアで拉致監禁されるクーデター未遂事件が発 生、見る間に旧ソ連が崩壊するのを目撃し、これからは、学会ではなく生きている人々の交流を、先住民族少数民族に敬意を払うことを 理念に活動することを決め、ハバロフスクの政府庁舎でシンポジウムを開催し、「ユーラシアンクラブ」の創設を提案し承認されて、199 3年、沿海州、アムール流域の少数民族代表を一ヶ月日本に招き、農協システムなどを視察し、九段会館で国際シンポジウムを開催、 正式にユーラシアンクラブを創設した。
以来、当時のユーラシア研究の先進的研究者を網羅した「インターカレッジ文化講座ユーラシアンフォーラム」のタイトルで、100回の 文化講座を国立教育会館で開催、少数民族村の産業振興支援、文化振興のほか、来日した旧ソ連、中国の少数民族出身の青 年・留学生の支援と交流、アジア・シルクロード音楽祭、などのほか、現地視察交流ツアーを実施、キルギスでは,井上靖生誕100 年記念で、玄奘三蔵が移動したイッシククル湖湖畔でキャンプ、音楽祭の開催など、キルギスを知るツアーを実施、ウズベキスタンでは、加 藤先生のカラテパ発掘を支援する米寿ツアー、シルクロードの音楽ツアーなど数々の交流ツアーを実施、トルクメニスタンでは、名馬アハル テケをテーマにする国際大会に参加、タジキスタンでは元外務大臣・駐日大使が出版した「秘められたシルクロード タジク・ソグドの黄金遺宝 ソグド人パミールから奈良へ」の日本語版を4年がかりで発刊した。アムール流域の少数民族ナナイの民族村シカチアリャン村には 30 年 間通い、様々な文化プロジェクトを実施、「アムール川の古代美術 少数民族の聖地シカチアリャン村」と題した展覧会をユーラシア文化 館(横浜)、歴史学博物館(新潟)、国立民族学博物館(大阪)で開催した。また神奈川県愛川町で、サハ共和国の太鼓文 化復活の要請に応えて、若者児童を 9 年連続毎年 20 人以上招聘し、愛川高校和太鼓部で、元鼓童の和太鼓奏者金子竜太郎 の指導で、太鼓の演奏技術を指導。サハ共和国では、毎週一回の太鼓の授業が行われ、全国大会が行われるようになり、サハの太鼓 文化は復活している。活動経歴の一部は、http://eurasianclub.org/ で紹介されている。
2020 年、ユーラシアンクラブの本部を、成田空港と筑波大学の間に位置し、「元日高見国」として知られる霞ヶ浦に移転、加藤九祚 記念館・対話の館を設置、時代の変化にふさわしいプロジェクトの実施を模索し、今回、霞ヶ浦サンライズフェスティバルを開催することを 決めた。フェスティバルは、今後霞ヶ浦沿岸の全ての自治体が参加し、ユーラシアの全ての駐日大使館が公演する本格的な霞ヶ浦サンラ イズフェスティバルに拡充し、「加藤九祚記念ユーラシア文化センター・ユーラシアサンライズ文化村」の設置を模索している。115 カ国・地 域から 2466 人の留学生を受け入れている筑波大学との連携を課題としている。
霞ヶ浦は、4世紀から7,8世紀にかけて、東海道の終着駅に位置し、海運による東国の入口と考えられ、①「日高見国」② 「扶桑国」③仏教伝来とともに、太陽を象徴する蓮は、霞ヶ浦に伝来し、蓮根が薬食と なっていた、などが「常陸国風土記」に記される。また④空海の相談相手として知られる唐招 提寺の第四代住職、ソグド人の安如宝は、鑑真が設立した下野薬師寺の戒師として赴任の 途上、香取神宮から北上常陸国府に向かう霞ヶ浦に浮かぶ舟で移動した。
霞ヶ浦には、4つの太陽の物語が知られ、ユーラシア全体とつながっている。 霞ヶ浦は、「常世国(シャングリラ)」とも記された太陽の国だった。
この霞ヶ浦から、時空を超えて、 加藤九祚さんの遺志を継承し、多様性を重視し敬意を表することを、内外の人が受け入れ、「太陽がつなぐ ユーラシアは一つ」「夕焼けの向こうは日の出 ユーラシアは一つ」の理念で、霞ヶ浦のすべての自治体が参加し、ユーラシアの全ての駐日大使館が後援し、ユーラシアの個性溢れるミュージシャンや芸能者の演奏を通して、ユーラシアの平和と子供たちを未来につなぐ霞ヶ浦サンライズフェスティバ ルを目指したい。
現在、モンゴル国大使館は後援を正式決定。中央アジアのトルクメニスタン大使館、タジキスタン大使館は本国と参加方法を協議してい る。今後、ベトナム、インド等の大使館とも協議する。
ユーラシアに平和を、子供たちに未来をつなぐ国際文化交流事業の成功と発展を模索する 霞ヶ浦サンライズフェスティバル創設メンバーを募集します。国家民族宗教を超えた、今 のユーラシアに必要な文化プロジェクトを立ち上げるために、多くの有志が参加すること を呼びかけます。
現在の準備状況
現在の準備状況
茨城県かすみがうら市は、9月21,22,23日の3日間、霞ヶ浦湖岸に位置する歩崎公園の4000平方メートルの芝生を使用許可し、今年2月から本格的に準備を勧めて来た。
この催しについては、すでにモンゴル国大使館が後援を決定し、モンゴル国文化大使でもあるボルドエルデニ氏(馬頭琴、ホーメイ演奏)、バトツェツェグ氏(オルティンドー、日本民謡に酷似する長歌)がレギュラー出演者として決定、タジキスタン大使館とトルクメニスタン大使館は、今年が日本と中央アジア各国との国交35周年であることもあり、本国とこのフェスティバルに芸能団を派遣する調整を行っている。
主催団体のユーラシアンクラブはこれまで10年以上、全国の公立文化施設や、民間では三越劇場や三越の屋上の舞台で音楽祭を開催し、ウズベキスタンではシルクロード音楽祭をタシケント、テルメズ、ブハラ、サマルカンドのメドレッセなどで開催、ロシアのサハ共和国の首都ヤクーツク、ハバロフスクでもシルクロード音楽祭を開催、鼓童のシベリアツアーもプロデュースしている。今回の霞ヶ浦サンライズフェスティバルは、その総集編として、更に大規模なプロジェクトにするためのパイロット事業として取り組んでいる。レギュラー出演者のパンチャラマとチョウタリバンドは、ネパールで国民的な支持を得ているミュージシャンで、ネパールのシャングリラ伝説と霞ヶ浦の常世国は親和性のある地域からのフェスティバル参加となる。
フェイスブックでは、「霞ヶ浦サンライズフェスティバル」を開設し、本格的な発信の段階に入る。YouTubeでの発信も始めつつある。
大野遼は、5年前、元タジキスタン駐日大使が出版したタジク/ソグドの文化遺産を紹介した豪華本の日本語版「秘められたシルクロード タジク/ソグドの黄金遺宝 ソグド人パミールから奈良へ」(A4版460頁)を4年かけて発刊しており、今回のフェスティバル創設メンバーには全員この書籍と、私が書いた特別解説30頁も提供する。
また、霞ヶ浦が、鹿島灘からの日の出、日中の上天の移動、富士山を夕焼けに染めて沈む日の入りを体感し、「夕焼けの向こうは日の出 地球は一つ」を実感してもらうには、船の活用が欠かせないと観光船の会社にフェスティヴァルの終了後に、海上の歩崎湖岸桟橋に舟で迎えに来てもらい、土浦まで40分のサンセットツアーを計画している。創設メンバーに応じ、5万円の参加協力費を入金してもらえた人の中から先着20名を招待することにしている。
霞ヶ浦湖岸の芝生を利用した霞ヶ浦サンライズフェスティヴァルは、入場料無料で開催するため、企業からの寄付が欠かせないと3月から優良企業50社に協賛の働きかけを行っており、現在検討をしていただいている。今後、広告費、個人寄付も働きかえる予定。
今後、周辺自治体や大学、地元の中小企業、蓮根やさつまいも、栗、梨などの営農者にも働きかける。
リターンについて
① 霞ヶ浦サンライズフェスティヴァル創設メンバー参加協力者
10,000円 リターン
中央アジアの日出る国のソグド人は、霞ヶ浦までやってきたー霞ヶ浦サンライズフェスティヴァルの太陽の物語の一つ、ソグド人とシルクロードを理解するA4460頁の金色ハードカバーの豪華本を提供。大野遼が執筆した特別解説30頁も。チラシや当日冊子、報告書に名前を記載。
② 霞ヶ浦サンライズフェスティヴァル創設メンバー霞ヶ浦サロン太陽塾
30,000円 リターン
豪華本+特別解説+対話の館で「霞ヶ浦サンライズサロン太陽塾」にご招待
チラシや当日冊子、報告書に名前を記載。
③霞ヶ浦サンライズフェスティヴァル創設メンバー夕焼けフィナーレ観光船ご招待
50,000円 リターン
書籍+特別解説+対話の館での特別交流会+先着20名に限り、下記の条件で、霞ヶ浦サンセット船上コンサート・交流会へご招待します。
安全な航行条件が整った場合
歩崎公園湖岸から乗船し、
富士山方向へ沈む夕焼けを眺めながら、
霞ヶ浦の風景と音楽を体験します。
霞ヶ浦サンライズフェスティバルのフィナーレです。
チラシや当日冊子、報告書に名前を記載。
スケジュール
6月 出演者調整
7月 協賛・広報強化
8月 クラファン終了
秋 開催
終了後、リターン(書籍発送)
最後に
ユーラシアの平和を、力による分断が覆うユーラシアの平和と、子供たちに未来をつなぐ霞ヶ浦サンライズフェスティヴァルの創設メンバー、同志、支援者を募集します。
地球規模の最温暖化期(ヒプシサーマル)とされる6,000年前は、地球上の気温は2度ほど高く、日本では縄文海進に伴う貝塚が今の地平よりも数メートル高いところで形成され、人々は山側へ移民/植民し、八ヶ岳の縄文中期文化が知られ、新潟県の火焔型土器、青森県の三内丸山遺跡など、安定した高度な暮らしを反映した、芸術性の高い土器が誕生し、西アジアではシュメール文明が形成され、その後の世界を覆う植民地帝国の起源というべき「都市国家」がシンボルマークのように「神」を掲げて、移民/植民があった。セム系遊牧民を対象とする交易利権獲得の手段として「国家の神」は誕生し、「楔形文字」が誕生した。これらはいずれも、地球の軌道の変化によると考えられている、地質学上のウルム最終氷期以降の気候変動(温暖化)の結果だった。
マントルの上に形成された、薄皮一枚の地表で暮らす人間は、上記のような地球規模の気候変動、昔から言われた「火山雷家事おやじ」と言われるような「自然現象」に絶望し、復活するという「転生」を繰り返し、「国家の神」と「文字」を、交易コミュニケーションツールとして使い、今に至る。
7万年前、アフリカから移動して以来、現生人類にとって「移民/植民」は「世の習い。すでに地球上どこでも、そこに暮らしていた「先住民」と邂逅し、「折り合い」をつけて共生した。現在の遺伝子人類学では、アルタイ山脈でその人類史の一端が発見された。「デニソワ人」(加藤九祚記念館協力委員であるロシア科学アカデミー正会員のA/Pデレビャンコ博士が長年発掘を続けるデニソワ洞窟で発見された人類から命名された仮の名)と命名された、おそらく親子のものと想像される人骨には、原人以来の遺伝子を含む、4万年から1万4千年にかけた人の融合の証拠が確認された。地球上の全ての人は、人類史を遺伝子の中に留めている、と考える。「多用性」は一人ひとりの遺伝子の中にある。 力任せの分断、というユーラシア各地の「今」は、「国家の神」「交易利権獲得のための文字」を誕生させたシュメール文明の「都市国家」にある。シュメール人の「都市国家」も「移民・植民」の結果であり、文明の「領域外」から現れたセム系遊牧民の「移民・植民」との間で、「争いと交易」が行われ、人類市場初めて「戦争奴隷」や「債務奴隷」が作られて、「傭兵」が戦いの前線で殺し合う時代に移行した。「今は昔」「昔は今」。代り映えのしない、未来の見えない人類史は6千年の時を刻んでいる。兵隊も、女も子どもも年寄りも、かけがいのない人として敬意を評されるべきだ。人類は、人類史とイデオロギーを見直さなければ、明日(未来)はない。
この人類史見直しの原点として、核心として、気づいたのが、鹿島灘から対話の館に差し込む朝日だった。キラキラと輝き、一気に熱を体で感じ、命と暮らしの希望を与えてくれる日の出だった。ここには日本列島に、西方からやってきた「太陽神の子」を掲げる「移民・植民」集団の子孫景行天皇の時、武内宿禰が平定されるべき豊かな土地「日高見国」と提案した歴史があった。私は、「日高見国」を考えるためにユーラシアンクラブの本部を霞ヶ浦に移転し、活動を模索した結果到達したのが「霞ヶ浦サンライズフェスティバル」である。
霞ヶ浦のすべての自治体、ユーラシアの全ての大使館、ユーラシアの優れたミュージシャンや文化芸能者と連携して、「太陽がつなぐ 地球は一つ」の理念で活動を模索する。霞ヶ浦サンライズフェスティバルの創設メンバー、同志、支援者をを募集します。
「夕焼けの向こうは日の出 地球は一つ」
特定非営利活動法人ユーラシアンクラブ 加藤九祚記念館・対話の館 館長(会長)
太陽がつなぐ 地球は一つ 霞ヶ浦サンライズフェスティバル 統括プロデューサー
大野遼
住所:茨城県かすみがうら市牛渡1796-1
連絡先:paf02266@nifty.ne.jp 携帯電話 090-3814-5322
ホームページhttp://eurasianclub.org/
https://www.facebook.com/profile.php?id=61584892928161&locale=ja_JP https://www.youtube.com/results?search_query=%E5%A4%A7%E9%87%8E%E9%81%BC
(霞ヶ浦サンライズフェスティバル解説)
【霞ヶ浦の祭祀の変化は、奈良の政治クーデターを反映】 霞ヶ浦には、奈良の石上神宮と同じ、経津主命を祭神とする物部氏縁の神社香取神宮があ り、香取海(霞ヶ浦)を間に鹿島灘に臨む鹿島神宮が藤原氏の氏神武甕槌命を祀る藤原氏 ゆかりの神宮が位置することは、奈良の情勢が反映されている。香取神宮の経津主神も鹿 島神宮の武甕槌神も、本来 物部氏の祭神であった。中臣氏(藤原氏)が、奈良で優勢になった事情で、本来物部氏の 祭神武甕槌神が中臣氏(藤原氏)の祭神となり、奈良の春日大社の祭神となった。 710年、藤原京の留守居として取り残された物部氏の末裔で、最後の血統を継承し左 大臣に上り詰めた石上麻呂(天武天皇によって朝臣として取り立てられた時物部から石上 に改名した)が、右大臣の藤原不比等によって平城遷都にあたり、藤原京の留守居に置か れる政治的クーデターによって、時代が物部から藤原へ移行した。藤原不比等の娘(宮 子)は聖武天皇の母、聖武天皇の妻も藤原不比等の娘(光明子、異母娘)、不比等の4兄 弟は奈良朝の高官だったが、天然痘で全員亡くなる。 その意味深長な関係にあるのが霞ヶ浦に臨む、香取神宮と鹿島神宮である。「常陸国風土 記」は、大化改新に大きな役割を果たした中臣鎌足(藤原氏創始者)の息子藤原不比等の 三男藤原宇合によって編纂された。藤原宇合は遣唐副使として中国にわたったこともある。 大和の役人が、霞ヶ浦の榎浦津で、鹿島神社(神宮)を遥拝して、常陸国に入ると常陸国 風土記に記されるのは、奈良で、藤原不比等の外戚支配と言っていいほどの統治が奈良時 代を通して続いたことと密接に結びついている。遥拝の対象となる鹿島神社は、香取神宮 と同様、物部氏が祭祀した元鹿島神社で、中臣氏が祭祀を引き継いだ。霞ヶ浦一帯は、 元々、多氏一族の祭祀、武御雷と韴霊を祀る物部氏の影響力が及んでいた所だったが、中 臣鎌足(藤原鎌足)の息子藤原不比等が行った政治クーデターによって石上麻呂を藤原京 の留守居にしたことと、鹿島神宮の祭祀権者が物部から中臣(藤原)に変わる事件も起き た。
【霞ヶ浦はシャングリラ、4つの太陽の物語が潜む】 「常世国」、「日高見国」、「扶桑国」の情報は、1300 年前の古文献「常陸国風土 記」に記されている。
①(常世国) 常陸国風土記の総記には、霞ヶ浦が、海と山の幸に恵まれ、「蓋し疑うら くは(常世国は)この地」と記している。常世国は、海の彼方にある理想郷のことで世界 では 1933 年の小説「失われた地平線」に描かれたヒマラヤ・チベットのカラカル峰の麓 と記述された山の理想郷・シャングリ・ラが有名。ユートピア、極楽浄土とも記され、私 は、西方極楽浄土はホラーサーン、当方極楽浄土は霞ヶ浦の日高見国・霞ヶ浦と考えてい たが、常陸国風土記では、霞ヶ浦が常世国とみなされていた。
②(日高見国)「日高見国」も常陸国風土記に記載があり、茨城郡と筑波郡の人口を割い て信太郡を作った時に、「本日高見国」と記されるが、黒坂命が東征から凱旋の途中で亡 くなり、葬送の隊列の旗が垂れ下がる国といったのを後世信太国(郡)と言ったという形 で出てくる。黒坂命の東征や先住民佐伯や国栖征討に関わり、「本日高見国」と記してい る。日本書紀景行紀で、武内宿禰の報告によって、ヤマトタケルが平定するべき地を「日 高見国」としていることから、先住民佐伯・国栖と呼ばれていた人々(蝦夷)の太陽の物 語が記載されていると受け止める。しかし「日高見国」とは、佐伯や国栖と呼ばれていた 先住民が自らの国を「日高見国」と読んでいたことを示すのではないかも知れない。日本 人や中国人、インドや東南アジアの人たちが「アジア」という言葉を、自分たちの暮らす 世界空間を認識する言葉として「アジア」という言葉を使ってはいなかった。フェニキア 人やギリシャ人が、「日の出の方向」を「アジア」と読んでいたことにも通じ、「アジ ア」の地に住んでいた人がその生活空間を「アジア」と読んでいたというよりも、西方の 交易植民集団が「アジア」と読んでいたと同様に、「日高見国」は「アジア」と同様に、 西方の大和の勢力、最初は景行天皇に上奏した武内宿禰、後に藤原不比等の三男藤原宇合 が編集した「常陸国風土記」で、「平定されるべき土地を日高見国と呼んでいた」という 記憶が「本日高見国」と紹介された意味だと考える。もっとも、バビロニア、アッシリア では「太陽神」を西アジア統治の「代紋」「家紋」として利用していたが。日の出は、人 類が、暮らしの礎として畏敬、感謝の対象として、普遍的に共有してきた人類の希望だ。 「太陽はつなぐ ユーラシアは一つ」の理念の核心だ。
③(日本と扶桑国)聖徳太子の使節として遣隋使小野妹子が隋の皇帝煬帝に「日出処の天 子」が「日沈む処の天子」に「恙無きや」と挨拶した、と日本を紹介したのが 607 年。 702 年には、唐の則天武后に「日本」を国号として示し、武功は承認した。天照大神以来、 神武天皇を含め、古来日本は、10 個の太陽の宿る扶桑樹のある扶桑国として認識されてい た。 「日本」という国名が中国で知られる以前に「日が昇る」表象として知られるのは「(日 が昇る)扶桑樹」の国を「扶桑国」と呼ぶもので、中国南朝の梁書に、5世紀に扶桑国か らやってきた僧侶慧深の報告が知られ、倭の五王の時代、5世紀に、日本に扶桑国があっ たと記されている。「日出処の天子」という発想は、5世紀の扶桑国の知識が背景にあっ た。 もともと「扶桑」というのは、10個の太陽が宿る樹で、かつては三島半島以南に暮らし ていた稲作民族メオ族の民話でなぜオンドリのトサカは赤くなったかという物語で、太陽 の兄弟が一斉に出ようと末っ子を遺して九個の太陽が上り、熱くなって弓で射るという物 語が、殷王朝では十日神話として伝わる太陽樹が扶桑樹と呼ばれ、中国の「山海経」「淮 南子」で、紹介され、日の出の神木、日本の雅称として知られた。
④(太陽を象徴する蓮、蓮根の物語) 常陸国風土記には、蓮や蓮根を、病人に効き目のある、美味しい(甘い)と紹介している。 【蓮の花】は、日の出を仰いで花開く「太陽の花」。エジプトの太陽神ラーも、インドの ブラフマー、ラクシュミ(七福神)も蓮(エジプトでは睡蓮)の花から誕生し、仏教の開 祖お釈迦様が誕生して「天上天下唯我独尊」と語り歩いた足元に咲いた花。「悟りの象 徴」である「蓮」はインド、ベトナムの国花となっている。仏教では「極楽浄土」の花が 蓮。日本一の生産量を誇る蓮根が、花開く霞ヶ浦の7-8月は、東方藥師浄土を思わせる。
⑤(中央アジアの日出る国から日本に来たソグド人) ソグディアナ、ホラーサーンで活躍したソグド人と日の出によって、中央アジア(タジキスタン、 アフガニスタン、トルクメニスタン、ウズベキスタン、キルギス、モンゴル国)と霞ヶ浦(日本) は結ばれている。 「紀元前12世紀のカタルシス」と言われた人類史的事件の後に、フェニキア人、アラム人な ど、海洋、陸上の交易集団が誕生、この伝統を引き継いだソグド人集団がホラーサーン(日出る 国)からソグディアナで活動を開始します。アレクサンダーの東征以前からシルクロードの交易で 活躍したとして知られるソグド人は、中国大陸の東方の玄関である揚州のソグド人集落と東シナ 海を挟んで真東に位置する五島列島復縁島のソグド人集落を介して、遣唐使の派遣、情報伝達、 などで側面的に支援していた可能性が高い。また、日本最古の仏教寺院飛鳥寺の建設、蘇我馬子 の仏教導入、法隆寺や正倉院に残る宝物、にソグド人の関与が指摘され、実は、東大寺の No2 二 月堂のお水取りを始め、頭塔を建設した実忠もソグド人の可能性があります。ソグド人は、奈良 の役人の中にいた可能性が平城宮から出土した木簡から推測されています。もっとも有名なソグ ド人は安如宝です。二十歳の頃、鑑真の来日に随行し、東大寺で元聖武天皇ら 400 人が受戒した 際に僧となり、30 歳の頃、鑑真が設置した東国、下野薬師寺戒壇院の戒師として赴任する際、海 路霞ヶ浦の舟で、香取神宮付近から北上し、牛渡ー歩崎ー高浜ー常陸国府へと向かったと考えら れます。中央アジアの日出る国ホラーサーンと鹿島灘からの昇る日の出サンライズはつながってい た。
【東海道終着駅の海路と陸路】 7 世紀から 8 世紀、常陸国が成立し、『常陸国風土記』(713 年頃)が編纂された時代、下総国から香取 の海を経て、霞ヶ浦を真北に舟で進み、常陸国国府へ至る海路が、人と物資を運ぶ主要な回廊として機能し ていました。 この海の道は、香取神宮から榎浦津(のちの江戸崎)、古渡、牛渡、歩崎、高浜を経て、常陸国国府へと 至るルートであり、陸路を迂回するよりも効率的な交通路でした。
しかし 771 年、官道は武蔵国を経由し、東京湾北部から常陸国へ至る陸路へと付け替えられます。 これは東北経営、すなわち反乱鎮圧渡「蝦夷」への軍事行動を支えるための決定であり、兵や牛馬を迅速に 移動させるための「軍の道」として整備されたものでした。 称徳天皇の崩御と道鏡の失脚、光仁天皇の即位という政治的転換の中で、仏教振興から統制へと時代が移 り、東北での軍事的緊張が高まる中、東海道は陸路中心へと再編されたのです。 しかし、それによって海の道が消えたわけではありません。
香取神宮から霞ヶ浦を経て常陸国国府へ至る水運は、地勢的な効率の高さから、その後も長く使われ続け ました。人と文化、そして物資を運ぶ回廊として、この海の道は生き続けたのです。
やがて江戸時代、利根川の改修によって江戸と結ばれると、榎浦津は江戸崎として再び重要な港となり、 東北から江戸へと至る水運の大動脈の一部を担うことになります。
陸は軍の道として整備され、海は人と文化の道として使われ続けました。
その両方が交わる場所が、霞ヶ浦です。
霞ヶ浦は、単なる地理的な湖ではありません。人と文化が行き交い、重なり合う回廊であり、東アジアだ けでなく、北方ユーラシア、南方ユーラシア、と、全方位でユーラシアへと開かれた東の結節点でした。 霞ヶ浦サンライズフェスティバルは、この歴史の上に、未来につながる新しい文化の流れを立ち上げる試 みです。
ここから、再び人と文化が動き出します。
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筑波大学へ霞ケ浦地域連携プラットフォーム構想を提案
2026/05/29 21:484つの太陽の物語が収束した、鹿島灘に臨む霞ケ浦。常世国=シャングリラと常陸国風土記に記された太陽文化圏は、海運で反映した。香取神宮から出発した船は、古渡、江戸崎(榎浦津)ー牛渡ー歩崎ー高浜ー常陸国府と移動したが、筑波山が大きな灯台の役割を果たした。霞ケ浦サンライズフェスティバルを提案したグランドデザイナー大野遼は、筑波大学が、霞ケ浦サンライズフェスティバルを通した地域連携プラットフォームの「今の灯台」担ってほしいと提案している。 もっと見る





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