1800年の祈りを
2000年、そしてその先へ繋ぐ
皆さんは1800年前に思いを馳せたことがあるでしょうか?
それは西暦200年ごろ、日本ではあの卑弥呼が登場した時代です。
佐賀県唐津市にあり、かつての松浦郡一帯の一宮として祀られていた鏡神社は、その頃に創設されたとされています。
創建以来1800年という長きにわたり、この地に鎮座して地域を守って参りました。
そのような長い歴史を持つ神社ではありますが、戦後の大きな変化の中で、一時期は本殿さえないままになっていたような困難も経験しています。
現在の宮司である私と先代の父の代でだいぶ環境を整備して再興に取り組んで参りましたが、まだまだ万全とは言えない状況です。
このままでは歴史が途絶えてしまうかもしれません。

父の死によって突然背負うことになった1800年の歴史の重み。そして向き合うべき現実。
「私がやらなければ」
と、それらを引き受ける覚悟が定まった時、次の世代にバトンを受け継いでいけるよう私の代で環境を整備しようと決意した次第です。
そのために、長い歴史の中でいつの間にか変わっていた神社の姿を元の形に戻し、訪れていただく参拝者の方々にとって過ごしやすい環境を提供して参ります。
計画としては、神社の参道を一ノ宮を正面にして南側から入る本来の方角に戻して鳥居を新設し、参道に参拝してくださる方々が休息していただける休憩所を作ります。
鳥居の建設には膨大な資金と時間がかかりますので、まずは注連柱(しめばしら)という直径50センチほどの一対の木柱を設置いたします。
鏡神社の歴史を1800年から次の100年、200年と繋ぎ、2000年そして更なる歴史を紡いでいけるように、皆様からのあたたかいご支援を賜れますと幸いです。
自己紹介
佐賀県唐津市にある鏡神社にて宮司を務めさせていただいております重藤薫範と申します。
この度は我々のプロジェクトをご覧いただき誠にありがとうございます。
鏡神社は古来、松浦地方(現在の糸島~長崎)の総社として尊崇され、松浦三社の一位として歴代唐津藩主が第一に参拝する祈願所として定められていました。
また、源氏物語に「松浦なる鏡の神」と詠われ、遥かなる時を越え今もなお、松浦地方の鎮守神と親しまれる神社です。
御祭神は一ノ宮には息長足姫命(神功皇后さま)、二ノ宮には藤原廣嗣朝臣を主祭神として祭祀しております。
また楊柳観音菩薩(重文)をはじめ、立神様やお地蔵様なども神道で祭祀しており、神仏習合の名残を今も受け継いでいる神社です。

・突然の継承
父が亡くなったのは、あまりにも突然でした。
がんが見つかってから、わずか半年。68歳でした。
私は神職として父のサポートをしておりましたが、その時まだ一般企業で働いていたので、それは人生の大きなうねりのように感じられました。
もちろん、いつかは神社を継ぐつもりでいたので、35歳を過ぎた頃からは「そろそろ本格的に準備を始めなければ」と考えてはいました。
ですが、自分が神社を継ぐのはまだまだ先の話だと思っていました。
父から宮司としてのイロハをゆっくり学びながら。氏子さんや崇敬者の皆さんと手をたずさえながら。そうやって少しずつ受け継いでいくものだと思っていたのです。

しかし、その時間は父の死と共に突然失われました。
気がつけば、一夜にして私は1800年の歴史を背負う立場になっていたのです。
鏡神社1800年の歴史
鏡神社は、およそ1800年前に創建されたと伝えられる神社です。
詳しい歴史については鏡神社のHPに記載がありますので、ご興味をお持ちいただけた方は是非ご覧ください。
神功皇后が自らの生き霊を祀った一ノ宮、そして藤原鎌足の子である不比等の三男宇合の長男・藤原廣嗣朝臣の霊を鎮めるために建立された二ノ宮という二つのお宮を持ち、「源氏物語」にも登場することから紫式部もその存在を知っていたという歴史ロマン溢れる神社です。
・神功皇后の生き霊が祀られる一ノ宮

宝の国・新羅に出兵するに当たり、皇后は七面山(鏡山)に登り、天神地祇を祭って戦勝祈願をしたところ、山頂に夜な夜な霊光が現れるようになりました。
そして皇后は韓の国に向けて出帆しました。土地の人々は不思議に思い、皇后が凱旋した際に申し上げますと皇后は、「ここは祖神がわが軍を守ってくれたところである」と喜び、御鏡を捧げ、「わが生霊は長くこの地を鎮めよう」と言われました。

これが鏡神社の由来であり、村を鏡村、山を鏡山と呼ばれるようになりました。また皇后は身ごもりながらも出兵し、帰朝後無事の応神天皇を出産されました。
それゆえ、この神社は武運長久・子宝安産の神としても崇められ、境内には臨月を迎えた母の姿をした御神木もあります。
・藤原廣嗣朝臣の祟りを畏れて建立された二ノ宮

藤原廣嗣朝臣は藤原鎌足の子、不比等の三男宇合の長男でその才能は秀で都の人々をおどろかせていましたが、吉備真備や僧玄昉たちによって大宰府へ左遷されました。
玄昉らの悪政は「遠の朝廷」まで聞こえ彼らを排除する為に挙兵。しかし、玄昉らによって謀反人に仕立てられ松浦の浜で斬首されました。
廣嗣朝臣の思いは怨霊となり、都に禍をもたらすようになりました。その事を知った天皇は玄昉や真備を左遷。
そして、勅命により廣嗣朝臣の霊を慰めるために二の宮を建立させ大明神の称号を賜下されました。
正義を貫く意志の強さにより悪行を退散したことを称え、心願成就・悪縁退散の神様として、そして、器量良く、武道、学問、芸術、陰陽道など、あらゆる分野においてその才能は秀でていたといわれるため文武両道・歌舞音曲の神様としても崇められています。
・国指定重要文化財の楊柳観音菩薩

鏡神社には古くから絹布に描かれた、縦419cm/幅254cmの大幅な観音様があります。
江戸末期までは大祭ごとに小屋をつくり開帳されていたと「松浦風土記」や「鏡宮縁起」に記されていましたが、明治維新の廃仏毀釈によってその存在すら忘れられていました。
ですが昭和43年(1968年)、伊能忠敬の「測量日記」などの史料によりその内容が明らかになったのです。
それによると、この絵は高麗王忠烈王妃叔妃が衆生救済のため1310年に宮中画家に描かせたもので、それを鏡神社にゆかりのある僧良賢が買い求め、明徳2年(1391年)鏡神社に寄進したものとされています。
・『源氏物語』にも登場

NHK大河ドラマ『光る君へ』でも話題となった紫式部が著した世界最古の長編小説『源氏物語』。第22帖「玉鬘」にて鏡神社が物語の舞台となります。その中で「松浦(まつら)なる鏡の神」「松浦の宮」として登場するのが鏡神社です。
・広大な「松浦郡」の一宮
松浦郡は現在の佐賀県(唐津市・伊万里市・東松浦郡・西松浦郡など)〜長崎県(平戸市・松浦市・五島市・北松浦郡・南松浦郡・佐世保市など)にまたがる肥前国で最大の面積を持っていた郡です。『魏志倭人伝』に出てくる「末廬国」が松浦郡とも言われています。
その松浦郡の一宮が鏡神社だったのです。

鏡神社は古来、松浦の地を見守り続け、時代の権力者たちからも篤く崇敬され、多くの人々の人生と祈りを受け止めてきました。
戦乱の時代も、
飢饉の時代も、
疫病の時代も、
この場所には祈りがありました。
そして、その祈りは1800年間一度も途切れることなく、今日まで受け継がれてきたのです。
乗り越えてきた苦難
受け継ぐ父の想い
そのような長い歴史と伝統を持つ鏡神社ですが、その一方で存続の危機を含めた苦難も経験しています。
一番の危機は第二次世界大戦後。それまで神社は国の組織下にあり、神職は公務員で、国からの支援などがありました。
しかし戦後、GHQからの指令で国と神社の関係が断ち切られ、非常に苦しい時期を迎えます。
実は、父の先代の宮司までは、神社を維持するので精一杯な状態だったのです。
資金がないために修繕費用が賄えず、本殿がない状態が長く続いた時期もあったほどです。
神社を守ってくれた父私は幼い頃から、神社に立つ父の姿を見ながら育ちました。
しかし当時の鏡神社には参拝者は少なく、建物の老朽化も進み、神社を維持していくことさえ簡単ではないことが伺えました。
「こんなに立派な神社なのに、なぜ人が来ないのだろう?」
「このまま未来に残せるのだろうか?」
子どもながらにそう思ったことを今でも覚えています。
父は、そんな状況の中でも諦めませんでした。
地域の方々と向き合い続け、祭りを守り続けました。
その積み重ねによって、少しずつ人が戻り、賑わいが戻り、鏡神社は再び多くの方々に愛される場所になっていったのです。
与えられたお役目を背負う
次世代へと繋いでいく覚悟
そして15年前。私は父から、その想いごと受け継ぎました。
建物でも土地でもありません。受け継いだのは、「未来へ繋ぐ責任」でした。
神社を守るとは、どういうことでしょうか?
社殿を修繕することでしょうか。それとも境内を整備することでしょうか。
もちろんそれも大切です。
しかし、15年間宮司を務める中で気づいたことがあります。
それは、「神社を守る」とは、祈りを未来へ繋ぐことだということです。
そのために今回、私たちは大きな挑戦を始めます。
それは、時代の流れの中で失われた参道と鳥居を復活させることです。
かつて鏡神社には、一ノ宮に向けて南側から入る正面参道がありました。その入口には鳥居があり、人々はその道を歩き、神様のもとへと向かっていました。
周辺の地域には今も「鳥居町」という地名が残っています。つまり、その場所には確かに鳥居が存在していたのです。
しかし時代の流れの中で周辺の開発が進み、本来の参道も鳥居も失われました。
だからこそ今、令和という時代に本来の神社の姿を取り戻したい。
そしてその神社を次の世代へと受け継いでいきたいと思っているのです。
まずは鳥居の原型とも言われる「注連柱」を建立し、参拝者の皆さまが憩える休憩施設を整備し、失われた参道の復活への第一歩を踏み出したいと考えています。
時を超えて未来へ。
(※こちらはイメージ画像です。実際の注連柱・休憩所とは異なります)これは単なる建設事業ではありません。1800年前から続く祈りを2000年へ、そしてその先の1000年へ繋ぐための挑戦です。
正直に申し上げます。この挑戦は私一人ではできません。
しかし、歴史とはいつの時代も、一人ではなく多くの人々の想いによって紡がれてきました。
1800年前に始まった祈り。それを受け継いできた先人たち。そして今を生きる私たち。さらに未来を生きる子どもたち。
そのすべてを繋ぐ架け橋となるのが、このプロジェクトです。
脈々と受け継がれてきた歴史。父から私へ。私から次の世代へ。
そして、その先の1000年へ。
どうか皆さまも、この歴史の継承者になってください。
あたたかいご支援と応援を何卒よろしくお願いいたします。
現在の準備状況
市県からの認可を得て5月から工事が着工しております。
注連柱の建設と、新設する参道の途中に参拝者様の休憩所の建立が始まり、徐々に形になってきました。(進捗につきましては活動報告でも発信して参ります)
リターンについて
ご支援いただいた皆様のお名前や想いを鏡神社の歴史と共に後世に伝えていくタイムカプセルプランをはじめ、御守りや御朱印など鏡神社にまつわる授与品、無料休憩所で使えるコーヒーチケット、参道にお供えするお名前入りの灯籠など、様々なリターンをご用意いたしました。
タイムカプセルプランは、皆様のお名前やお手紙を保管し、20年後に開封の儀を執り行うロマン溢れるプランです。
ぜひ鏡神社2000年、そして更なる歴史の一部になっていただけたらと思います。
タイムカプセルプラン(お名前コース) 10000円
お名前を記帳して木箱に入れて保管させていただきます。ご本人の他、お子様のお名前などでも大丈夫です。
タイムカプセルプラン(メッセージコース) 30000円
後世に託したいメッセージをお送りいただき、木箱に入れて保管させていただきます。
タイムカプセルプラン(セットコース) 50000円
後世に託したいメッセージをお送りいただき、木箱に入れて保管させていただきます。
御守り&御朱印(紫式部)&絵馬&コーヒーギフト券&卓上絵馬(足付)のセットをセットを送りさせていただきます。
タイムカプセルプラン(観音様コース) 100000円
後世に託したいメッセージをお送りいただき、木箱に入れて保管させていただきます。
御守り&御朱印(紫式部)&絵馬&ドリップパック&コーヒーギフト券&卓上絵馬(足付)&観音様(小)のセットをセットを送りさせていただきます。
参道灯籠 500000円
プレートにお名前を記載した灯籠を参道に設置いたします。
タイムカプセルプラン(参道灯籠コース) 1000000円
プレートにお名前を記載した灯籠を参道に設置いたします。
後世に託したいメッセージをお送りいただき、保管させていただきます。
御朱印(紫式部)&絵馬&ドリップパック&コーヒーギフト券&卓上絵馬(足付)&観音様の掛け軸のセットをセットを送りさせていただきます。
ひたすら応援 5000円
感謝のメッセージと完成した注連柱の画像付きメールをお送りいたします。
2000年の歴史応援プラン(梅) 5000円
・御守り
・御朱印(紫式部)
・ドリップパック
・コーヒーギフト券
2000年の歴史応援プラン(竹) 10000円
・御守り&御朱印(紫式部)&絵馬
・御守り&御朱印(紫式部)&ドリップパック
・御守り&御朱印(紫式部)&コーヒーギフト券
2000年の歴史応援プラン(松) 15000円
・御守り&御朱印(紫式部)&絵馬&ドリップパック&コーヒーギフト券
・御守り&御朱印(紫式部)&卓上絵馬
2000年の歴史応援プラン(フルセット) 20000円
御守り&御朱印(紫式部)&絵馬&ドリップパック&コーヒーギフト券&卓上絵馬(足付)
2000年の歴史応援プラン(観音様セット) 30000円
御守り&御朱印(紫式部)&絵馬&ドリップパック&コーヒーギフト券&卓上絵馬(足付)&観音様(小)
観音様の掛け軸 250000円
スケジュール
7月〜 工事着工
8月31日 クラウドファンディング終了
9月上旬〜 リターン順次発送・実施
9月中旬 無料休憩所オープン、注連柱完成予定
最後に
もともと神社は人々の生活に密接に関わっていました。そして、全ての人々の幸せや平和を祈念する場所であることに変わりはありません。
1800年という年月と共に日本の歴史や人々の営みを見守ってきた鏡神社は、これからも時代の変化の波を受けながらも残っていかなければならない存在です。
それは単に神社の存続というだけでなく、日本人としての在り方にも関わっていると思うからです。
今回のプロジェクトでは皆様からご支援を賜りながら、それを通じて2000年、そして更なる1000年の歴史の一部となっていただけるような形を取らせていただきました。
子どもや孫の世代、さらにはもっと先の子孫の世代まで。想いを馳せながらプロジェクトにご参加いただけると嬉しく存じます。
最新の活動報告
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【プロジェクト公開のご報告】
2026/07/20 21:22本日、クラウドファンディング「世紀を超えて父から子へ。鏡神社1800年の歴史を次世代に繋ぎたい!」を公開いたしました。この日を迎えるまで、多くの方々にお力添えをいただきながら、準備を重ねてまいりました。まずは無事にプロジェクトを公開できましたことを、心よりありがたく感じております。鏡神社は、長い年月にわたり、地域の祈りの場として受け継がれてきました。しかし、その歴史は、ただ建物や記録が残っているだけで続いてきたものではありません。先人たちが神社を守り、次の世代へ託してきた積み重ねによって、今日まで受け継がれてきたものです。今回のプロジェクトでは、失われた南側の正面参道を復活させる第一歩として、一対の注連柱と、参拝者の皆さまにご利用いただける休憩所の整備を目指しています。この取り組みは、単に施設を新しくするためのものではありません。鏡神社がこれから先も、地域の方々や参拝される皆さまにとって、心を寄せ、祈りを捧げる場所であり続けるための大切な一歩です。先代宮司である父から受け継いだ思いと責任を胸に、1800年の歴史を次の世代へつないでいく。その覚悟をもって、このプロジェクトを立ち上げました。公開したばかりではございますが、すでにページをご覧くださった皆さま、応援のお言葉を寄せてくださった皆さまに、深く御礼申し上げます。クラウドファンディングは、ここからが本当の始まりです。多くの方にこの取り組みを知っていただくことが、未来へつなぐ大きな力になります。ご支援はもちろんのこと、プロジェクトページをご家族やご友人へお伝えいただくだけでも、大変ありがたく存じます。皆さまからお寄せいただくお気持ちを大切に受け止めながら、プロジェクトの進捗や工事の様子についても、今後こちらの活動報告でお伝えしてまいります。鏡神社の歴史と祈りを、世紀を超えて未来へつなぐために。最後まで、温かく見守っていただけましたら幸いです。鏡神社 宮司 重藤薫範 もっと見る




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