この度は「日本の薔薇を、100年先へ」ばら生体水プロジェクトにご支援いただき、本当にありがとうございました。たくさんあるプロジェクトの中から、私たちの小さな挑戦を見つけてくださり、想いに共感して応援していただけたことを、心から嬉しく思っています。いただいたご支援だけでなく、一緒に寄せてくださった温かいメッセージの一つひとつが、私たちの励みになりました。この薔薇を未来へ残していくこと。農業、研究、地域、そしてものづくりをつなぎながら、日本の薔薇の新しい可能性を育てていくこと。その一歩を、皆さまと一緒に踏み出せたことを大切にしていきたいと思います。クラウドファンディングは本日で一区切りとなりますが、ここからが本当のスタートです。これから少しずつ形になっていく「ばら生体水」の物語も、ぜひ見守っていただけましたら嬉しいです。心からの感謝を込めて。本当にありがとうございました。
江戸時代にも、ローズウォーターがあった。とても興味深い話を聞きました。それは、江戸時代の日本にも今でいう「ローズウォーター」が存在していたということ。その名は――「薔薇露(しょうびろ)」そして、この薔薇露を記録に残した人物が、あの平賀源内です。平賀源内といえば、エレキテルや「土用の丑の日」の話で知られる人物。本草学者、蘭学者、物産学者、作家など、実に多彩な顔を持ち、後世には「日本のダ・ヴィンチ」とも称される人物です。源内が1763年(宝暦13年)に刊行した『物類品隲(ぶつるいひんしつ)』。これは、当時の薬品会・物産会に出品された珍しい動植物や産物を分類し、解説した本です。その巻頭に、なんと「薔薇露」が登場します。東京都立図書館の解説にも、ここに**「バラの香水の製法や保存方法」**が記されているとあります。そして源内は、薔薇露についてこう記しています。「此ノ物ランビキヲ以テ薔薇花ヲ蒸シテ取タル水ナリ」つまり、薔薇の花を「ランビキ」という蒸留器で蒸して取り出した水。現代の言葉に置き換えれば、ローズウォーターです。さらに興味深いのが、その原料。『物類品隲』では、薔薇の中でも「野薔薇花を最上とす」と記されています。つまり、当時の日本で身近にあった野の薔薇が、薔薇露の原料として評価されていたのです。今、私たちが目を向けている日本原産の薔薇。その原点をたどっていくと、江戸時代の人々が「野の薔薇」に価値を見出していたことに気づきます。「薔薇露」は、香りを楽しむだけのものではなかったさらに驚くのは、その用途です。源内の『物類品隲』には、薔薇露について**「外療に用て功効多し」**と記されています。つまり、単なる香水ではなく、外科的な用途にも用いられていたことがわかります。実際、江戸後期の外科医・華岡青洲の医療にも、ローズウォーターが登場します。華岡青洲は、1804年(文化元年)に全身麻酔による乳癌手術を成功させたことで知られる医師です。青洲といえば、麻酔薬「通仙散」の開発があまりにも有名ですが、実は華岡流の医療の中には、薔薇水をつくる技術も伝えられていました。華岡家では、野薔薇を集め、蒸留してローズウォーターをつくる「ロウザ取り」という技法が伝えられていたとされています。そして、そのローズウォーターは、傷口の処置や口腔の治療などに使われていたとする資料があります。もちろん、ここでいう「消毒」は、現代の消毒薬と同じ意味で捉えるべきではありません。けれど、江戸時代の医療の現場で、薔薇から蒸留した水が外科や口腔の処置に使われていた。これは、とても興味深い事実です。華岡青洲が使った「ロウザワアトル」当時のローズウォーターは、オランダ語由来の**「ロウザワアトル」**とも呼ばれていました。さいたま市立図書館の資料では、『物類品隲』を引用しながら、「ロウズワアトル」はランビキを使って薔薇の花を蒸留して得る水であり、野薔薇が最上とされ、外療にも用いられていたことを紹介しています。さらに、華岡青洲がこの記録をもとに門人たちと野薔薇を採取し、医学塾で製造していたと説明しています。ここで、ひとつの線がつながります。海外から伝わったローズウォーター↓平賀源内が『物類品隲』に記録↓日本の野薔薇を使った蒸留↓華岡青洲の医療の現場へ↓そして江戸の人々の暮らしへ薔薇は、単なる「美しい花」ではなかったのです。「花の露」という江戸の化粧水そして、もう一つ面白いものがあります。「花の露」江戸時代後期に刊行された美容書『都風俗化粧伝』(1813年)には、「花の露のとりよう」が紹介されています。そこには、ノイバラの花を蘭引に入れ、水とともに蒸留して化粧水をつくる方法が記されています。しかも、蘭引がない場合には、茶碗と薬鑵(やかん)を使ってつくる方法まで紹介されていました。つまり、蒸留という技術は、専門家だけのものではなく、「植物から水を取り出し、暮らしに生かす」という知恵として、江戸の生活の中にも入っていたのです。『都風俗化粧伝』では、この「花の露」について、顔に塗ることで香りを楽しみ、肌を整えるものとして紹介されています。江戸後期には市販品も登場し、歌川豊国の浮世絵にも「花の露」が描かれています。香り。美容。暮らし。そして医療。薔薇水は、江戸の人々のさまざまな場面に存在していたのです。江戸の蒸留器「蘭引」そして私がとても惹かれたのが、「蘭引(らんびき)」という蒸留器です。今のようなステンレス製の蒸留器ではありません。植物を蒸し、その蒸気を冷やして、水滴として集める。その基本的な原理は、現代の水蒸気蒸留にも通じています。江戸時代後期の『都風俗化粧伝』には、蘭引を使った「花の露」の作り方が記されているだけでなく、蘭引がない場合の代替方法まで紹介されています。ただし、ここには一つ大切な注意があります。「蘭引は陶器製だった」と単純に断定することはできません。現在確認できる資料からは、当時の蘭引の材質を一律に特定することは難しいとされています。それでも、江戸時代の日本で、蒸留という技術を使って植物から香りと水分を取り出し、それを暮らしや医療に役立てていた。この事実だけでも、私はとても日本らしい知恵だと感じます。何百年も前の人たちが見ていた「薔薇の可能性」ここまで調べて、私はあることを考えました。私たちは今、「日本原産の薔薇には、どんな可能性があるのだろう?」と研究しています。けれど、もしかすると、その問いは、私たちが初めて考えたものではなかったのかもしれません。江戸時代の人々も、野に咲く薔薇を摘み、蒸留し、その水を取り出し、香りを楽しみ、肌を整え、そして医療の現場にも用いていました。そこには、「植物を植物のまま生かす」という、今にもつながる知恵があります。江戸から、未来へ。私たちが今取り組んでいるのは、日本原産の薔薇にもう一度光を当てること。農業。大学の研究。地域の技術。そして、先人たちが残してくれた植物との暮らしの知恵。それらをつなぎながら、「日本の薔薇を、100年先へ。」そんな思いで、ばら生体水のプロジェクトを始めました。江戸時代の「薔薇露」は、ランビキで薔薇を蒸してつくられました。そして今、私たちは現代の技術で、日本原産の薔薇が持つ水分と植物成分に向き合っています。もちろん、江戸時代の薔薇露と、現在開発している「ばら生体水」は、製法も目的も同じではありません。だからこそ私は、歴史をそのまま再現するのではなく、先人たちの知恵を、現代の科学で未来へつなぎたい。そう思っています。薔薇は、ただ美しいだけではない。香りだけでもない。食べることもできる。暮らしにも寄り添える。そして、まだ私たちが知らない可能性がある。江戸の人々が「野薔薇」に見つけた価値を、今度は私たちが、100年先の人たちへ手渡していく。それが、このプロジェクトに込めた私達の願いです。江戸から、未来へ。クラウドファンディング、残り11日。日本原産の薔薇を、この先の100年へつないでいくために。最後まで、皆さまのお力をお借りできたら嬉しいです。日本の薔薇を、100年先へ。



