見てはいけないものを、見てしまった。文化祭の喧騒が嘘のように遠のいた、薄暗いステージの袖。埃がスポットライトの光を乱反射して、まるで小さな星屑のように舞う中で。 シンデレラの衣装を纏ったなぎが、彼にキスをしているのを。(見間違いであってほしい) 強く願った。けれど、そんな都合の良い願いにすがる自分が、ひどく醜く、汚く感じられた。 あの雨の日、ひとつの傘の下で肩を寄せ合ったこと。くだらない話で笑い合った放課後。ただ一緒にいるだけで、胸の奥が温かくなるような気がしていた。満たされていたはずのその美しいトライアングルが、音を立てて崩れていく。 いや、違う。本当は、私は彼を独占したかったのだ。ぐるぐると、出口のない思考を繰り返しているうちに、時計の針は深夜を回っていた。開けっ放しの窓から滑り込んでくる秋風はひどく冷たいのに、過熱した私の脳を少しも冷ましてはくれない。 ああ、とても身体がだるい。もう、何も考えたくない。 頭の中を全部取り出して、冷たい水道水で洗い流してしまいたい。そうして、こびりついた記憶ごと消し去ってしまえたら。……なに、この感情。 どろどろとした、黒くて重たいもの。 ……嫉妬してる? ってことは、私は彼が好きなの?ずっと友情だと言い聞かせてきた。気の合う、趣味の近い大切な友人。だからこそ、今の心地よい関係を壊さないように、慎重に境界線を保っていたのに。 ……何故? そうしないと、私が彼を独り占めしたくなるからだ。「なぎよりも、私だけを視て」と、泣き叫んでしまいそうだったから。怖い。こんな自分が怖い。嫌な女だ。 とにかく身体が鉛のように重い。今日はもう、横になろう。 熱い瞼を閉じて、明日になれば。 明日になれば、一体なんだというのだろう……。「……休み?」抜けるような秋の青空の下、なぎはキョトンとした顔で聞き返してきた。 放課後の部室。少し冷たくなった秋の風が、彼女の細い髪をふわりと揺らす。今日は栞が学校を休んだことを、僕はなぎに伝えた。「無遅刻無欠席、健康優良のお手本優等生のしおりんが学校を休むとはねぇ」 なぎは飄々とした口調で言いながら、どこか見透かすような、悪戯っぽい瞳で僕を見た。 「文化祭の疲れが出たんだな。……放課後、ちょっと様子を見てくるよ」 「ふーん。いってらー」 なぎの軽い声が、高く澄んだ秋の空に吸い込まれて消えた。放課後。夕日が街を強烈な茜色に染め上げる頃、僕は初めて栞の家を訪れた。チャイムを鳴らすと、少しして栞の母親が申し訳なさそうにドアを開けてくれた。案内された彼女の部屋の扉をそっと開けると、カーテンが閉め切られた薄暗い空間に、いつもの彼女の——あの甘く清潔な柔軟剤の香りが、じっとりとした熱を帯びて充満していた。「……栞?」ベッドに横たわる彼女は、「孤高」と称される普段の凛とした姿からは想像もつかないほど、ひどく無防備で、幼い顔をしていた。熱のせいか頬は赤く染まり、苦しそうに浅い呼吸を繰り返している。 僕はプリントとノートを机に置き、彼女の眠りを妨げないよう、静かに部屋を出ようと背を向けた。その時だった。弱弱しい力で、しかし確かな服のすそを掴む栞。「・・・・帰らないで」かすれた、消え入りそうな声。 振り返ると、布団から這い出た栞の白い指先が、僕の制服の袖を弱々しく、けれど絶対に離さないという強い意志を持って掴んでいた。熱に潤んだ瞳が、僕を見上げている。 そこには、これまで誰にも見せたことのない圧倒的な「弱さ」と、隠しきれない切実な感情が溢れていた。「栞……」袖を掴む彼女の指先から、火傷しそうなほどの熱が伝わってくる。 なぎの持つ、世界を暴力的に書き換えるような猛毒の引力とは違う。この震える指先は、僕の良心と責任感を根底から揺さぶり、甘く温かい泥沼へと静かに引きずり込む力を持っていた。西日がわずかに開いたカーテンの隙間から差し込み、埃を黄金色に光らせながら、僕たち二人だけの影を床に長く伸ばす。 僕は自分の内側にある残酷さを自覚しながらも、抗うことなどできず、彼女の熱い指に自分の手を重ねた。そして、ベッドの傍らに崩れ落ちるように座り込む。こうして僕たちは、もう二度と元の美しいトライアングルには戻れないのだと、微かに気づきながら。小説『なぎのえき』こちらnoteでも更新しています。この世界観を活字でもお楽しみください。https://note.com/yuurishinohara/m/m928032f188db




