『なぎのえき』癒しと郷愁の物語

孤独に戦い、感情を麻痺させている人へ。 「立派な大人」を演じ続けるのはもう終わりにしませんか。 そこは夕暮れの無人駅。佐賀県唐津市を舞台にした写真とオーディオドラマによる没入型アートです。都会のスピードに疲弊した大人が、いつでも日常から「途中下車」できる癒しのツールをお届けします。

現在の支援総額

37,000

1%

目標金額は2,500,000円

支援者数

6

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25

『なぎのえき』癒しと郷愁の物語

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孤独に戦い、感情を麻痺させている人へ。 「立派な大人」を演じ続けるのはもう終わりにしませんか。 そこは夕暮れの無人駅。佐賀県唐津市を舞台にした写真とオーディオドラマによる没入型アートです。都会のスピードに疲弊した大人が、いつでも日常から「途中下車」できる癒しのツールをお届けします。

限界 の付いた活動報告

栞のいる密室
2026/07/06 12:39

「ねぇ」 「ん?」 栞は、まっすぐに僕の瞳の奥を見据えて言った。 「好き、大好き」言葉の端々に、まるで遺書に捺すような重く確かな決意が滲んでいた。 栞はいつだってそうだ。輪郭の曖昧なこの都会で、彼女だけが、言葉という刃物で自分の輪郭を正確に切り出そうとしていた。初めて僕にその言葉を告げたあの夜も、彼女の周りには、息が詰まるような不穏な空気がまとわりついていた。上京してからの僕たちは、それぞれの時間を生き、それぞれの孤独を模索していた。けれど、模索した先に行き着くのは、いつも同じ場所だった。 僕には他者と比較して愛や友情を測る基準なんてなかった。友人は少なく、大学の講義が終われば、ただ無機質なワンルームに帰るだけの生活。だから、栞と多くの時間を過ごすようになったのは、重力に引かれるような必然だった。一方で、唐津に残るなぎとの距離は、物理的な距離に比例するように少しずつ遠のいていった。それでも、彼女からの電話は毎日のように僕の夜を揺らした。 「男の一人暮らしだもんね、絶対散らかってるでしょ? 今度遊びに行くときまでに、エッチなのはちゃんと隠しときなね」 無邪気な声が、スピーカー越しにコロコロと笑う。けれど実際の僕の部屋は、散らかることなどほとんどなかった。 栞が訪ねてくるたびに、僕の部屋には新しい収納グッズが増えていった。僕は娯楽を必要としない人間で、散らかるほどの物すら持っていなかったのに、彼女は少しでも僕の生活の余白を見つけると、そこを丁寧に、きっちりと埋めていった。ある夏の日のことだ。なぎが突然、夏休みを利用して東京へやって来た。 僕の部屋のドアを開けた瞬間(いつの間に合い鍵を作ったのか、それがなぎだ)彼女の顔に浮かんだのは、明らかな落胆だった。自分が世話を焼く隙間なんて微塵もないほど、完璧に整理整頓された部屋。 その時、偶然訪ねてきた栞が見せた表情を、僕は今でも忘れられない。いつもは「優しいお姉さん」の顔をしてなぎに接する栞が、あの瞬間だけは、勝者のような、酷薄なほど美しい微笑みを浮かべていた。あれは間違いなく「女」の顔だった。*東京での生活が一年を過ぎる頃、栞が僕の部屋を訪れる回数は目に見えて減っていった。 社会の波に呑み込まれ、彼女の時間は少しずつ削り取られていた。送られてくる電子メールの文面は日を追うごとに崩れ、時には思考が途切れたように、不自然な場所で打ち切られたメッセージが届くこともあった。 なぎとは違い、栞は決して電話をかけてこなかった。 『社会人だから、電話をするとあなたの時間を奪っちゃうでしょ?』 それが彼女の理屈だった。けれど本当は、彼女自身がギリギリの淵に立っていたのだと思う。自分の輪郭が崩れ落ちそうになるのを必死に堪えながら、それでも僕へのメールだけは欠かさなかった。そして、一週間。 栞からの連絡が、ぷっつりと途絶えた。 体調を崩していないといいが。そんな漠然とした不安を抱えていた夜、突然、僕の携帯電話が鳴った。画面には、栞の名前が光っていた。「……あ、ごめんなさい、電話しちゃって。なんとなくね、連絡できなかったから」 「ちゃんと食べてる?」 僕が言うべき台詞を、彼女が先回りして言う。他愛のない話題をいくつか紡いだ後、彼女の声がふと、深淵を覗き込むように震えた。 「ん……あのね、えっと……」 ひどく歯切れが悪い。 「うん、ちゃんと言うね。……あなたが好き、大好き」 そして、一拍の沈黙。 「……です」電話は、一方的に切れた。 ツーツー、という無機質なビジートーンが、耳の奥でけたたましい非常ベルに変わった。 何かがおかしい。栞に告白されたという甘い感情よりも先に、その言葉の裏に隠された致命的な「SOS」が、僕の皮膚を粟立たせた。 頭の中で警告音が鳴り響く。僕はスニーカーの踵を踏み潰すようにして部屋を飛び出した。 アスファルトに反射する都会のネオンが、やけに目に突き刺さる。表通りに飛び出し、通りかかったタクシーの前に身を投げ出すようにして乗り込んだ。 「急いでください。この住所まで」 深夜の東京。渋滞のない道でさえ、風景が流れる速度がひどく遅く感じられた。 (頼む……) 僕は窓枠を強く握りしめ、すべての赤信号を心の中で激しく呪った。心臓が痛いほどに脈打ち、五感のすべてが栞の安否だけに集中していた。タクシーが停まるや否や、僕は栞のマンションへと駆け込んだ。階段を三段飛ばしで駆け上がり、彼女の部屋の前に立つ。 息を呑んだ。 ドアの真ん中に、手書きの張り紙があった。 『立ち入り禁止』 心拍数が限界まで跳ね上がる。僕は狂ったようにドアベルを連打し、ドアノブを乱暴に回した。 「栞っ!」 肺の底から叫んだ。 すると、僕の声が最後の呪文であったかのように、ガチャリと、重い金属音を立ててドアが内側から開いた。薄暗い玄関の隙間から、生気を失った栞が顔を覗かせる。 僕は考えるよりも先に、彼女の身体を強く抱きしめていた。 肩越しの視界。彼女の部屋の奥、リビングのテーブルには、硫化水素を発生させるための道具が無機質に並べられていた。床には『立ち入り禁止、毒ガス発生中』と書きなぐられた、何枚もの試し書きが散乱している。 間に合った……。 安堵で膝から崩れ落ちそうになったのは、僕の方だった。 栞はそのまま、僕の腕の中で糸が切れたようにへたり込んだ。 「ベッドまで、歩けるか?」 力なく首を振る栞。僕は彼女の冷え切った身体を抱き上げ、寝室へと運んだ。 (違う。間に合ったんじゃない。今が、彼女が壊れるかどうかのギリギリの境界線なんだ) 僕は栞をゆっくりと、壊れ物を扱うようにベッドへ寝かせた。部屋の惨状に、胸が締め付けられた。あんなにも完璧だった彼女の部屋が、未処理の仕事の書類や脱ぎ散らかされた服で、足の踏み場もないほどに乱雑になっていた。 「……な……んで」 栞が、掠れた声で呟く。 「告白の答えは、早いほうがいいだろ」 僕が無理に笑ってみせると、部屋の隅で、彼女の仕事用の携帯電話がけたたましく鳴り始めた。 ビクッと肩を震わせ、反射神経だけで電話に手を伸ばそうとする栞。僕はその震える手を、そっと、しかし力強く押さえ込んだ。 「いいから。この部屋の時間は、僕が預かる」 「……いいの?」 「いいんだ」 僕が頷くと、栞は両手で自分の顔を覆い隠した。 「見ないで。……お化粧、してないの」 「高校の時は、ずっとすっぴんだったじゃないか」 「前とは違うよ……。もう、あの頃みたいに綺麗じゃない」 僕は彼女の手を優しく退け、涙で濡れた頬に触れた。 「化粧している栞は綺麗だよ。でも、僕が好きなのは、今の栞だ」 その瞬間、栞が僕の首に腕を回し、すがりつくように抱きついてきた。 僕は、彼女の背中に腕を回す。強く抱きしめれば折れてしまいそうなほど、今の彼女は脆く、そしてひどく冷たかった。 社会の冷たい波音を打ち消すように、僕はただ、彼女の体温を自分の中に刻み込むように抱きしめ続けた。その間も、部屋の片隅では着信音が何度も鳴り、そして途切れることを繰り返していた。 僕は、彼女の耳元で囁く。「……ウチに行こう」それは、彼女を世界から隔離するための、最初の、そして最も甘い呪いだった。


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