能登復興の湯を温める!10年後も終わらせない。海浜あみだ湯の挑戦。

能登半島地震を乗り越え、2026年1月に引き継がれた銭湯「海浜あみだ湯」。持続的な運営につながる設備へのアップデートと福島県で仮設住宅として使われていたログハウスを移設することで、震災により失われつつあるコミュニティを繋ぎ留め温めます。人口減少率日本一の珠洲市で行う我々の挑戦を応援いただきたいです。

現在の支援総額

3,072,126円

61%

目標金額は5,000,000円

支援者数

200人

24時間以内に5人からの支援がありました

募集終了まで残り

36日

能登復興の湯を温める!10年後も終わらせない。海浜あみだ湯の挑戦。

現在の支援総額

3,072,126円

61%達成

あと 36日

目標金額5,000,000円

支援者数200人

能登半島地震を乗り越え、2026年1月に引き継がれた銭湯「海浜あみだ湯」。持続的な運営につながる設備へのアップデートと福島県で仮設住宅として使われていたログハウスを移設することで、震災により失われつつあるコミュニティを繋ぎ留め温めます。人口減少率日本一の珠洲市で行う我々の挑戦を応援いただきたいです。

こんにちは。珠洲市の銭湯「海浜あみだ湯」です。

クラウドファンディングが始まってから、達成率60%を超え、200名を超える方からご支援をいただいています。本当にありがとうございます。

今回は、本プロジェクトへの応援メッセージのご紹介です。電気湯・大久保 勝仁さまよりメッセージをいただきましたので、ご紹介させていただきます。

電気湯
https://denki-yu.studio.site/
@denkiyu1010
@KatsuhitoOKUBO

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 僕があみだ湯と珠洲の人々に出会ったのは、2024年の6月頃だった。電気湯メンバーの一人が「電気湯と同じような思想で運営している銭湯がある」とのことで、つなげてくれたのがきっかけだった。当時、震災直後から銭湯をぶん回し続けている勇者がいる、という話は方々から聞いていた。


 あみだ湯の運営を取りまとめるしんけんさんは、ジモコロというメディアで一方的に認知していて、同じロン毛ということもあり勝手に親近感を感じていた。いま思い返すと、「銭湯」という長い実践と哲学の道筋の中で、一瞬だけ同じ場所ですれ違った同志のように思っている。


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 (今はどうかわからないが)当時は、震災で解体された家屋から持ってきた木材を使ってお湯を沸かしていた。チェーンソーで木材を解体し、薪割り機で手頃な大きさに割り、燃え盛るボイラーの裏の薪置き場まで持っていく。当時、しんけんさんは、薪をくべる前に一本一本重さを測っていた。まちからあみだ湯に運ばれ、そしてそこでお湯を沸かすために燃やされる木材が、誰の家から来たのか、その重さがどれくらいなのか、執拗に記録し続けていた彼は、「このまちの重さを記録し続けている」とかそんなことを言いながら、瓦礫になってしまったまちそのものを弔うこと、そしてその弔いと湯沸かしが、ほんの少し前まで誰かの家だった木材を通して重なり合ってることを、あみだ湯のボイラー室で教えてくれた。


 あまりにも狂気じみた記録に、僕は「なんでそんなことをするんですか」という無知な質問を投げかけた。タバコをくわえたしんけんさんが、真面目な顔で「僕は、これをやることでしか人間性が保てないんですよ」と答えた。初めて会った日の夜、陽気な言葉でずっと僕たちを笑わせてくれていた彼が、発災からどれだけ壮絶な日々を送ってきたのか、半ば強制的に背負わされつつあるその責任が、少しだけ見えた気がした。その寂しそうな優しい横顔に返す言葉が見つからず、その後、いろんな感情がごちゃ混ぜになって薪をくべすぎてしまい、浴室には60℃くらいのお湯を提供してしまった。(猛省)


 しんけんさんのパートナーのももんちょさんは、「そもそも珠洲が夏休みっぽいから」と言いながら、「1月1日に地震がきたから、それから1月1日がずっと繰り返している感じ」と、珠洲に漂う非日常感のことを説明してくれた。夏休み初日みたいな青空と、スイカとかナシとかを差し入れしてくれる常連さんが集い、お客さんの名前を全員覚えてるんじゃないかというくらい全員に話しかける番台スタッフのえみさんが軽快な笑い声を上げる。少し移動すると倒壊した家屋が連なる街並みを背景に、震災のことを微塵も感じさせないあみだ湯のあの空間は、まるで銭湯の理想の姿を見ているようだった。


 自分でもやっているから少しだけ分かるが、銭湯を含め、その場所に長く続く生活の場所を残し続けるということは、想像を絶するほど難しい。「もう必要とされていないのかもしれない」と思うことなんて何度もある。東京のはずれですらそうなのだから、奥能登の果ての地域でなんて、いまこの瞬間ですら続いていること自体が奇跡かもしれない、と思う。


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 2025年の11月、僕の祖母が亡くなった。僕が電気湯を継業すると決めたその日から、毎日のように喧嘩をし、怒鳴りあってきた気の強い祖母で、僕が電気湯を続けることに納得してくれてからも、ずっと喧嘩をし続けていた。亡くなる日の数日前、弱りきった祖母はほとんど意識がない状態でベッドに横になっていた。僕と父の呼びかけにかすれた風みたいな音で返答をする祖母が、病室を去る僕に手を高く掲げて「がんばってね!」と言ってくれた声がずっと耳に残っている。人生で初めて祖母からかけられた励ましの言葉だった。その日、電気湯を継いでから初めて、あの場所の歴史の重さと責任が自分だけの肩にのしかかってきた気がした。


 僕は銭湯をやりたいわけじゃなかった。たまたま家業が銭湯で、タイミング的にたまたま僕が継ぐことになっただけだった。ただ、この仕事は人生を賭けるに値する仕事だとも思っている。ハザードマップが真っ赤なこの墨田区京島というまちで銭湯をやり続けるのは、いつかくる大震災に向けて、「日常」の練習と実践をし続けているからに他ならない。そういう目線でも、電気湯と僕にとっては、あみだ湯はおそらく最先端の銭湯であり、道標でもある。


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 歯磨きをしながらあみだ湯の待合室でしんけんさんに「しんけんさんは銭湯がやりたいんですか?」と聞いたことがある。彼がどう答えたかは書かないが、全く異なる経緯で、全く異なる土地で、限りなく近い意思で同じ領域に関わり続ける友人に向けて。珠洲の「死なない力」のシンボルの一つであるあみだ湯の存続を願っている。


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