
いつも温かい応援と多大なるご支援を賜り、心より御礼申し上げます。
質問を寄せられておりましたので、伊藤若冲と閑臥庵の歴史について報告させていただきます。

〜若冲の絵は、今も「祈り」として生きている〜
京都・閑臥庵(かんがあん)には、江戸時代の天才絵師・伊藤若冲ゆかりの「十二支の版木」が、今日まで大切に受け継がれています。
江戸時代を代表する絵師、伊藤若冲(1716–1800)
その独創的な作品で今なお多くの人々を魅了する若冲は、禅の世界、そして黄檗文化とも深い縁を結んだ人物でした。
若冲は、黄檗僧出身の売茶翁や相国寺の禅僧大典顕常ら、当時の京都を代表する禅僧・文化人たちと交流を深く持っており、安永2年(1773)58歳の若冲は黄檗山萬福寺を訪れ、第20代住持伯珣照浩(はくじゅんしょうこう)と出会います。
伯珣は若冲に「革叟(かくそう)」という道号を授け、自らの僧衣を与えました。
この伯珣照浩は、実は閑臥庵の歴代住持の一人でもあります。
若冲に禅者としての名を授けた伯珣と、その伯珣が法灯を担った閑臥庵。そして閑臥庵には現在まで、伊藤若冲ゆかりの十二支の版木が大切に受け継がれています。
一般に、木版は長い年月の中で摩耗や破損、散逸などによって失われることが多く、江戸時代の木版が今日まで現存していること自体が極めて稀少であり、非常に数少ない価値あるものです。
これらの版木は、単に寺宝や美術品として保存されてきたものではありません。その背景には、閑臥庵で代々受け継がれてきた「鎮宅霊符神(ちんたくれいふしん)」への信仰があります。閑臥庵では古くから、鎮宅霊符神の星祭りに際し、参拝者一人ひとりの生まれ年の干支に応じた絵を摺り、お守りとして授けてきました。
江戸時代から伝わる若冲の絵が、寺に眠る「過去の作品」ではなく、今なお人々の一年の安寧を願う「祈り」として生きている――。芸術が信仰と結びつき、人々の祈りの道具として大切に守り伝えられてきたことこそが、閑臥庵に伝わる十二支版木の最も大きな特徴です。
そこには、美術品としての価値だけでは語り尽くせない、閑臥庵ならではの歴史と文化が息づいています。
皆様の温かいご支援とともに、この生きた祈りの文化を未来へと大切に繋いでまいります。引き続き、本プロジェクトへの応援をどうぞよろしくお願い申し上げます。
※ご支援の前にご確認下さい※
本返礼品の十二支のうち「牛」のみ、閑臥庵第十四代住職・王谷による作と伝わっております。版木の破損、あるいは散逸によるものか、明確な記録は残されておりません。
しかし失われた「丑」を補い、十二支を未来へ繋ぎ止めるために制作されたものと考えられています。数百年という激動の歳月を寺院生き抜いてきた証であり、歴史の変遷を物語る背景でございます。この由緒・経緯をご理解・ご了承いただける方のみ、ご支援を賜りますようお願い申し上げます。



