■はじめに ― 168年続く青森の飴屋から、皆さまへ
9代目 武内勝
はじめまして。
青森県青森市で飴やお菓子をつくっている「上ボシ武内製飴所(ジョウボシタケウチセイタイショ)」9代目の武内勝です。
1858年(安政5年)の創業から168年、青森で飴づくりを続けてきました。今では、青森県内で伝統の水飴「津軽飴」をつくっているのは、私たちだけになりました。
今回のクラウドファンディングで実現したいことは、168年受け継いできた津軽飴の味と技術を、次の世代へ確かに手渡すことです。
そのために、青森の果物と津軽飴を組み合わせた新しいお菓子づくりと、津軽飴の新しい食べ方の提案に挑戦します。
■津軽飴を、知っていますか
津軽飴(缶タイプとチューブタイプ)
津軽飴は、でん粉と麦芽だけでつくる、琥珀色の水飴です。砂糖も添加物も使わず、麦芽のやさしい甘さがあります。
割り箸にくるくると巻いてなめたり、せんべいに塗って食べたり。お料理の隠し味に使うご家庭もあります。青森で育った方なら、ねぶたが描かれた赤い缶とともに、子どもの頃に食べた記憶があるかもしれません。
■江戸時代から、変わりながら続いてきた
津軽飴のはじまりは江戸時代。津軽藩四代藩主・津軽信政公が、領民の副業として水飴づくりを奨励し、武内家初代の武内喜兵衛がその御用に携わったと伝えられています。
1858年(安政5年)、4代目が現在の青森市に移って飴屋を開業しました。明治から大正にかけては、青森市内に飴をつくる業者が増え、北海道のニシン漁の漁師たちにも津軽飴が求められました。
昭和30年頃の店舗外観
168年の歴史の中で、私たちは何度も困難に直面してきました。
1945年(昭和20年)、青森大空襲。店舗も工場も焼失しましたが、その焼け跡に、飴を煮る釜が一つ残っていました。
「当時の当主が、釜を守ろうと、とっさに水を張ったのかもしれない」。先代はそう語っています。そして、その釜で、間もなく飴づくりが再開されました。何もかも失った中でも、飴づくりを諦めなかったのです。
津軽飴は、昔の姿をそのまま守ってきたわけではありません。
戦時中、米が手に入らなくなると、原料をジャガイモのでん粉に切り替えました。戦後しばらく木のわっぱに詰めていた津軽飴は、やがてねぶたの缶へ。青森駅の売店では、青函連絡船に乗る人たちのお土産として、リヤカーいっぱいに運んでも追いつかないほど売れた時代もありました。
1988年(昭和63年)に青函連絡船がなくなり、人の流れが変わると、先代は津軽飴を軸にしながら、新しいお菓子づくりにも乗り出しました。りんごを使った玉羊羹、果汁入りの玉ゼリー、ドライアップル「林檎のふるさと」などです。
津軽飴も、昔ながらの缶入りに加えて、もっと気軽に使っていただけるチューブ入りをお届けしています。
伝統の津軽飴から、青森の素材を生かしたお菓子を製造しています
変えるべきところは変えながら、守るべき「味」と「技術」を守ってきた。それが、私たちが受け継いできた歴史です。
かつて青森には、津軽飴をつくる飴屋が何軒もありました。しかし、今、その味をつくり続けているのは、私たち一軒だけになりました。
この味と技術を、私たちの代で終わらせたくありません。
■社長の手にしかない技術
津軽飴づくりで一番むずかしいのは、「飴をどこまで煮詰めるか」の見極めです。
釜の中の飴は、煮詰めるほどに固くなっていきます。早すぎればゆるく、遅すぎれば固くなりすぎます。ちょうどいい固さで火から下ろすタイミングを判断できるのは、今、社長の私ひとりだけです。
その手がかりは、大きなへらで飴を持ち上げたときの、とろみ具合です。
へらから落ちる飴の伸び方、重さ、流れ落ちる速さ。それを目と手で感じ取り、「今だ」と決めます。数字や温度計では表しきれない、長年の肌感覚です。
へらで飴を持ち上げる様子
さらに、飴は季節によって表情を変えます。気温の違う夏と冬では、同じように煮ても同じ飴にはなりません。季節に合わせて煮る時間を変え、その日その日の飴に向き合っています。
飴を煮詰めている様子
この技術は、先代から私へ、細かいレシピではなく「感覚」として受け継がれてきました。しかし、この技術を受け継ぐ人は、現時点でまだ育っていません。従業員の中から、継承者を選定し、時間をかけて伝えていく必要があります。
もし、この技術が誰にも渡らないまま途絶えてしまったら。似たような水飴はつくれても、私たちが168年守ってきた津軽飴の味は、二度と戻らないかもしれません。青森で長く親しまれてきた食文化の一つが、失われることになります。
■津軽飴が生きるお菓子、手包みの「金魚ねぶた」
青森銘菓『金魚ねぶた』 箱の中の金魚は、全て1個ずつ手で包んでいます
津軽飴は、そのまま味わうだけでなく、私たちのほかのお菓子にも生かされています。
中でも大切にしているのが、看板商品の「金魚ねぶた(りんご玉羊羹)」です。
青森のねぶた祭で親しまれている金魚ねぶたをかたどった、一口サイズの玉羊羹です。青森県産の紅玉りんごのピュレを練り込み、さわやかな甘酸っぱさに仕上げました。
そこに加えているのが、私たちの津軽飴。津軽飴を加えることで、羊羹の食感がなめらかになります。
包み紙をほどき、まんまるの羊羹につまようじを刺すと、薄い皮がプチッとはじけて、つるんとむける。見て楽しく、食べて楽しいお菓子です。金魚は金運の象徴ともいわれ、縁起物の贈り物としても選ばれています。
金魚ねぶたの包装工程
この「金魚ねぶた」には、私たちがこれからも守り続けたいこだわりがあります。
それは、一つひとつ、人の手で包むことです。
金魚柄の包装紙に包み、ひだを寄せ、ヒレの形を整え、丁寧に結ぶ。この独特な姿は機械では再現が難しく、今も社長である私や専務、従業員が、一つひとつ手で包んでいます。
慣れた職人でも、1個につき30秒ほどかかります。ねぶた祭シーズンや年末年始の繁忙期になると、毎日1,000個近くを製造しています。
時間と手間はかかりますが、私たちは「箱を開けた人が笑顔になりますように」という想いを込めて包んでいます。ねぶた祭の金魚ねぶたのように、見た人の心が少し明るくなる。そんなお菓子でありたいと思っています。
機械では生み出せない形と、人の手だからこそ感じられる温かみ。それも、上ボシ武内製飴所が大切にしてきたものづくりです。
■168年続いてきた会社が、直面していること
ここからは、現在の私たちの状況を正直にお伝えします。
上ボシ武内製飴所の売上は、年々減少しています。お菓子の選び方や楽しみ方が多様になる中で、昔ながらのお菓子をつくり続けることは、決して簡単ではありません。
このまま売上の減少が続けば、事業を続けていくこと自体が難しくなるかもしれません。168年続いてきたからといって、これからも当たり前に続いていけるわけではない。私たちは今、そのことを強く感じています。
社長の手の中にある技術は、まだ次の世代に渡せていません。技術を受け継ぐ前に事業が止まってしまえば、168年守ってきた津軽飴の味は、そこで終わってしまいます。
私たちは、この味をここで終わらせたくありません。
そのためには、技術を守るだけでなく、もう一度、多くの方に「食べたい」と選んでいただけるお菓子にならなければいけません。
空襲のあとも、青函連絡船がなくなったあとも、先代たちは新しい道を切り開いてきました。今度は、私たちの番です。
その思いから、今回クラウドファンディングに挑戦することを決めました。
■このプロジェクトで取り組むこと
1. 青森の果物と津軽飴で、ここにしかない新しいお菓子をつくる
青森の果物といえばりんごですが、カシスやぶどうなど、ほかにも魅力的な果物がたくさんあります。
今回のプロジェクトでは、青森県産の果物を使った新しいお菓子の開発に挑戦します。目指すのは、「こんなお菓子は初めて」と思っていただけるような、独創性のあるお菓子です。
そこに、私たちがつくり続けてきた津軽飴を組み合わせます。
青森の果物と、県内で私たちだけがつくる津軽飴。この2つを合わせることで、上ボシ武内製飴所にしかつくれないお菓子に仕上げます。1年ほどかけて、じっくりと形にしていく予定です。開発の様子は、活動報告でお伝えします。
2. 津軽飴の新しい食べ方を広める
砂糖も添加物も使わない津軽飴は、割り箸に巻いてなめるだけでなく、実は今の暮らしにもよく合います。ヨーグルトやトーストに、コーヒーや紅茶に、煮物や照り焼きのツヤ出しに。毎日の料理や飲み物にも、気軽に使っていただけます。
こうした新しい食べ方をSNSで発信し、「懐かしい飴」から「毎日の台所にある甘味」へ、津軽飴の楽しみ方を広げていきます。
3. 社長の技術を、映像と記録に残す
釜の前で私が何を見て、どう判断しているのか。へらから落ちる飴の状態、煮詰める時間、そのときの気温。冬と夏、それぞれの季節の飴づくりを映像に収め、判断の基準を言葉にして記録します。
感覚に頼る技術は、記録だけで完全に伝わるものではありません。それでも、記録があれば、次の世代が何度でも見返し、確かめることができます。万が一のときにも、技術の手がかりが残ります。
いただいたご支援について
ご支援は、原材料の仕入れや製造・事業運営、新商品の開発などに充てさせていただきます。新しい挑戦に取り組むあいだも、毎日のお菓子づくりを止めないための資金です。
目標金額ですべての課題が解決するわけではありません。それでも、津軽飴をこれからも残していくための、大切な一歩になります。
■その先に、描いている未来
子どもの頃、割り箸に巻いてなめた津軽飴。青函連絡船のお土産だった、赤い缶。青森で暮らしてきた多くの方の記憶の中に、津軽飴の味があります。
私たちが描いているのは、その味が「思い出」で終わらない未来です。
10年後、20年後も、青森の子どもたちが津軽飴を手にしていること。青森を離れた方が、ふるさとの味として、また手に取れること。そして、青森を知らない誰かの食卓にも、津軽飴が並んでいること。
そのとき、釜の前には新しい職人が立っているはずです。その職人がつくる津軽飴が、また誰かの思い出の味になっていく。そうやって、この味は受け継がれていきます。
津軽飴は、私たちだけのものではありません。168年、青森の皆さまが食べ続け、育ててくださった味です。
誰かの「懐かしい」を、次の世代の「おいしい」へ。
皆さまのご支援が、その未来への一歩になります。
■資金の使い道
いただいたご支援は、次の取り組みに充てさせていただきます。
・新商品の開発、津軽飴の新しい食べ方の発信
・原材料の仕入れ
・製造・事業運営に必要な経費
・津軽飴の技術の記録(季節ごとの製造工程の映像化、判断基準の記録など)
■リターンについて
ご支援くださる皆さまへ、私たちが大切につくってきたお菓子をご用意しました。
江戸時代から受け継ぐ「津軽飴」。一つひとつ手包みで仕上げた「金魚ねぶた」。果汁のおいしさを楽しめる「ジュエル」。季節ごとにお届けする定期便や、企業・団体の皆さま向けのプランもご用意しています。
ご自宅で楽しんでいただくのはもちろん、大切な方への贈り物にもお選びいただければ幸いです。
新商品の開発や技術の記録の様子は、活動報告で随時お伝えします。
■スケジュール
2026年10月 クラウドファンディング開始
2026年12月 クラウドファンディング終了
2027年1月 新商品の開発着手、冬の飴づくりの記録
2027年2月 リターン発送開始
2027年4月 津軽飴の新しい食べ方の発信スタート
2027年7〜8月 夏の飴づくりの記録
2027年9月 技術の記録のご報告(活動報告にて)
2027年冬ごろ 新商品のお披露目(予定)
■最後に ― これからも青森でお菓子をつくり続けたい
168年前に始まった、小さな飴屋。その歴史を今日までつないできたのは、代々の職人たちだけではありません。
スタッフ一同
お菓子を一つひとつ包む従業員たち。商品をお客様へ届けてくださる取引先の皆さま。そして、長年にわたり私たちのお菓子を選び、食べ続けてくださったお客様。多くの方々に支えられて、今の上ボシ武内製飴所があります。
現在の店舗外観と内観
私たちが守りたいのは、ただの古い歴史ではありません。
津軽飴をつくる職人の技術。
金魚ねぶたを一つひとつ包む従業員の手仕事。
そして、青森のお菓子をこれからも届けられる会社であること。
そのすべてを、次の時代へつないでいきたいのです。
空襲の焼け跡から釜ひとつで立ち上がった先代たちが、この飴づくりを私に手渡してくれたように、今度は私が、次の世代へ手渡す番です。
今、私たちは厳しい状況にあります。けれど、ここで歩みを止めたくありません。168年の歴史に甘えることなく、これからもお客様に選んでいただける飴屋・お菓子屋を目指してまいります。
どうか、上ボシ武内製飴所の挑戦にお力をお貸しください。
上ボシ武内製飴所
9代目 武内勝




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