2016/10/08 01:53


高校教員だったころのお話しをします。今から6年前、私が担任するクラスの生徒に「将来は芸能界で仕事がしたい!」という子がいました。
保護者の方や周囲の教員は「またまたそんな夢のようなことを・・・」と取り合わない中、私はなんとなくピンとくるものを感じ、彼女の話をじっくり聞くことしました。

まだ精神的に成熟しておらず、自分のやりたいことをはっきり言語化することができず、「ただやりたいんよ!」と感情的に言うだけの彼女。先の見込みのない話でしたが、頭ごなしに否定するのもよくないと思い、しばらく様子を見ることにしました。

静観しつつもチャンスの種を何気なく蒔いてみます。小さなオーディション情報を提供したり、ローカルフリーペーパーのモデル募集に応募させてみたり。

しかし、蒔き続けた種が発芽しかかった高校3年生のときのこと。そのときは担任を離れていた私のところへ彼女が来て、「芸能人になる夢はやめにするわ」と・・・。高校卒業後の進路を決めるとき、両親やそのときの担任の先生に芸能人になるために上京するという進路を反対され、結局地元の専門学校に進学することにしたとのこと。

私は彼女の目を見て言いました。「本当にそれでいいんだな?」

「はい」

しかし彼女の目に明らかに迷いがありました。そうはいっても担任を離れた自分にそう口出しはできません。明らかに本意ではない決断をただ黙って見ているだけでした。


高校卒業後、地元の専門学校に通っている彼女からしばらく音沙汰ありません。便りがないのは平穏無事な証拠、と思っていた矢先、「先生、写真撮って!」との連絡。やはり芸能人になるという夢をあきらめきれず、東京の芸能事務所のオーディションを受けたいとのこと。そのプロフィール用の写真を私に依頼してきたのでした。もし受かったら専門学校を中退して上京することも決めたそうです。


さすがに私は迷いました。高校時代の夢を諦めず、再び挑戦する勇気は称えたいが、進学した学校を辞めて単身上京するという選択肢はよほどの覚悟がない限り勧められません。心の中では考え直させるつもりで彼女の話をもう一度じっくり聞きました。しかし高校時代とうってかわって自分の将来像をきっちり組み立てているのです。勢いで言っているのではない。ご両親を説得できるのであれば好きなようにしなさい。そして私が勧めたからには、責任をもってどんな状況になっても応援を続けると伝えました。


その熱意が伝わったのか、オーディションには合格、ご両親も認めてくれ、晴れて状況。タレント養成学校でしばらく勉強することになりました。


タレント養成学校卒業後も思ったように仕事が来るわけではありません。泣かず飛ばずの状況が続き、その都度相談に乗っていましたが、不思議と彼女から「もう諦めたい」という言葉は一言もでません。常にポジティブに自分の芸を磨き続けているのです。

2016年5月、東京の小さな劇場での初舞台が決まりました。私はその舞台を見に行き、そのセリフ回し、ステージ上で存在感を見せるダンスなど、彼女の成長を大きく感じました。

8月、私は岡山である小冊子の編集に携わり、岡山で彼女のことを少しでも知ってもらおうと、カバーモデルに彼女を起用することにしました。写真はすべて私が撮影。そこには6年前、無邪気に芸能人になりたいとはしゃいでいた彼女の姿はもうありません。表現者としての自分の立ち位置をしっかり見据えたプロとしての顔がファインダー越しに見て取れました。

塩尻成花さんを起用したフリーペーパー「wasao book」


彼女の名前は塩尻成花。11月には劇団燐光群の舞台「天使も嘘をつく」(作・演出 坂手洋二)に出演します。主演は竹下景子さんという大きな舞台です。29日の岡山公演は正に「凱旋公演」となります。(劇団燐光群「天使も嘘をつく」岡山講演告知ページ)


さて、「勉強アドバイスを通じて学力を向上させる」というミッションとは少し異なりますが、高校時代から現在に至るまで塩尻成花さんとの関わりは、私の中でセカンドオピニオンティーチャーの原点ではないかと思っています。学校では担任の指導がすべてであるのか?私が担任を外れたことによる不本意進路の選択。担任の先生以外にも常に色々な意見でアドバイスできる先生や大人が周囲にいれば、と思いつつも私自身が塩尻成花さんのセカンドオピニオンティーチャーになれなかったこと。このことを反省しつつ、学校の外から学校の先生経験者が最適なアドバイスをする教育サービスを提供したいと考えています。

 

左2011年 右2016年