ドキュメンタリー:戦後70年を過ぎた今、日本とミャンマーの若者が、ミャンマーの第二次世界大戦を再考。1941年、日本軍はミャンマーに足を踏み入れました。当時、ミャンマー人は、日本兵は、何を思って生きたのか。日本とミャンマーの大学生が、ミャンマー各地の戦争体験者の話を聞きに行きます。

プロジェクト本文

▼ご挨拶

はじめまして! 
京都大学法学部に在籍中の、茂野新太(しげのあらた)と申します。
2018年10月現在、大学4年目を休学して、ミャンマーに長期滞在しています。

▼会社紹介

今回のクラウドファンディングは、2011年の民政移管後、激動するミャンマーで、メディア業を営む「ヤンゴン編集プロダクション」のプロジェクトの一環です。
私は、2018年4月から12月までミャンマーの最大都市ヤンゴンにあるこの会社にインターン生として在籍し、
将来ジャーナリスト、映像記者として世界各地を飛び回る夢を叶えるためにトレーニング中です。


普段はこのように取材をしています。

▼クラウドファンディング ご支援のお願い

私のインターン期間中の最大の目的は、ミャンマーでドキュメンタリー映画を撮ることです。
しかしながら、ドキュメンタリー映画を撮る際には、専用の機材が必要になり、また、ロケの交通費・食費も高額になります。
つきましては、この映画製作に関して、皆さまのご支援を賜りたいと願っております。

▼第一作「ウェルカム・トゥ・ツナミヴィレッジ」

今年の4月から10月にかけては、第一作の短編ドキュメンタリー「ウェルカム・トゥ・ツナミヴィレッジ」を製作しました。

本作品では、発展するヤンゴンのすぐ南に位置する貧困地域、ダラ地区で、通称「ぼったくりガイド」と呼ばれる方々を取材しました。私、茂野自身が、ヤンゴンに来て二日目にガイドに声を掛けられ、ついて行った先で得た体験をもとにしています。
予告編はこちらです。

▼今回のプロジェクトは

そして第二作目となる今回は、ミャンマー人の若者と一緒に、第二次世界大戦下のミャンマーをテーマとしたドキュメンタリー映画を製作します!

▼ミャンマーと第二次世界大戦

ミャンマーの第二次世界大戦と聞いて、どのようなイメージを描くでしょうか。
「埴生の宿」で有名な、「ビルマの竪琴」は聞いたことがあるかもしれません。
「インパール作戦」、「白骨街道」は、若い人でもあまり耳慣れないのではないでしょうか。

ミャンマーを実際に訪れるまでは、私もその程度の知識しか持ち合わせていませんでした。

しかし、この国でジャーナリストの卵としてミャンマー人に取材をするなかで、少しずつ「日本の占領時代」という言葉が目に留まるようになりました。

第二次世界大戦当時、大東亜共栄圏を唱えて東南アジア各地に侵攻した日本軍は、それまでミャンマーを支配していたイギリス軍に代わり、ミャンマーを占領しました。この、1941年から1945年の期間が日本の占領時代と呼ばれています。

▼このテーマを選んだきっかけ

私がミャンマーでインターンをしているなかで出会ったミャンマー人のお年寄りは、とても優しく接してくれました。
ですが、少し打ち解けてきて親しくなって突っ込んだ話をし始めると、ふっと現れる戦争の面影。

「日本兵が来た時は本当に恐ろしくて、窓をぴったりと閉めて、息をひそめていたよ」と話すおばあさんや、
「日本人は私の祖父をスパイの疑いで投獄したんだ」というおじさん。


「日本兵は怖かった」と幼少時を振り返るティンエーさん

 

21歳の私は、生まれて初めて第二次世界大戦を目の当たりにしました。
それまでの大戦は、私にとっては歴史の教科書の一節に過ぎませんでした。これは、現代の若い日本人の多くにとっても同じではないでしょうか。
しかし、ミャンマーの人々にとって、この歴史は忘れられない記憶でした。
これに気がついた時、私は一人の日本人として第二次世界大戦下のミャンマーを正面から見てみたいと思い、この撮影を決意しました。

▼プロジェクトメンバー

今回の映画は、ミャンマー人の若者との共同プロジェクトです。日本が占領していた時代の歴史を振り返り、語り継ぐ映画を撮るために、私だけではなくミャンマー人にも参加を呼びかけたところ、”De Art Films”というミャンマーの映像制作会社が、弊社ヤンゴン編集プロダクションとの共同制作を快諾してくれました。

プロジェクトメンバーをご紹介します。

出演、監督 茂野新太(21)

出演、共同監督 パインサン (20)
De Art Filmsの創設者、ミャンマー映画界をこれから支えていくであろう若手映画人の一人。

出演、共同監督 カウンゴンティン(20)
脚本家志望の学生。学生自主映画への出演も多い演技派。

▼プロジェクトの計画

私たちは、2018年10月の一カ月をかけて、ミャンマーを北から南まで巡り、第二次世界大戦を経験した人々を訪ねる計画を立てています。

ミャンマーの北の端、カチン州ミッチーナに始まり、
ミャンマー最大の激戦地と呼ばれる、ミャンマー中心部のメイッティーラへ。
そして、戦況が不利になり敗走を始めた日本兵が数多く通ったバガン。
また、ミャンマー中部のタンビュザヤでは、映画「戦場にかける橋」にも登場する泰緬鉄道の駅を訪れます。

▼資金の使い道

今回は84万円のご支援をいただければ幸いです。内訳は以下の通りになっております。

30万円:ロケ代

20万円:渡航費、ビザ代

18万円:機材代

2万円:現地生活費

14万円:本サービス利用手数料

また、リターンには、完成作品やミャンマーのお土産をご用意しております!

▼最後に

今回のプロジェクトを成功させるために、4月にミャンマーに来て以来、撮影技術の訓練・ネタ探しなど、多くの努力をしてまいりました。
集大成をしっかりと完成までもっていけるよう、皆さまの温かいご支援をお願いいたします。

  • Vlcsnap 2018 11 12 10h58m03s694  2 .png?ixlib=rails 2.1
    活動報告

    ロケ報告 モン州タンビュザヤとネピドーで取材をしてきました

    2018/11/13 18:23

    10月末から11月上旬にかけて、ミャンマー国内のモン州タンビュザヤと首都ネピドーでロケを行いました。今回はそのご報告をさせていただきます。クラウドファンディングは現在、24名の方に25万4000円のご支援を賜り、目標総額の30%に達しております。ご支援くださった皆さま、心より感謝申し上げます。...

  • 43879613 2124614437787659 1102712709851381760 n.jpg?ixlib=rails 2.1
    活動報告

    ミャンマー国内の3地域でロケを行いました

    2018/10/29 23:49

    クラウドファンディングの現状報告 お世話になっております。 皆さまのおかげで、10月29日現在、84万円の目標金額のうち、17パーセントにあたる、14万6000円のご支援をいただくことができました。 ご支援、シェアでご協力いただいた皆さま、心より感謝申し上げます。 プロジェクトの経過報...

このプロジェクトの問題報告やご取材はこちらよりお問い合わせください