皆様、はじめまして。石川県輪島市で飲食店を営んでおります、安原信治と申します。
僕はこのプロジェクトで、故郷・能登の味覚を届ける飲食店2号店をオープンしたく、
このクラウドファンディングに挑戦します。

2007年の能登半島沖地震で地元・輪島市が被災したことをきっかけに帰郷して12年、
震災による影響からは脱しつつありますが、過疎に疲弊していく故郷に貢献したく、
これまで「飲食店」に想いをかけて経営してきました。

そしてこの度、これまで支えていただいた皆様のおかげで、2号店をオープンする決断ができました。この2号店は、僕にとっての大きな一歩です。「地元・能登の味覚を届ける」というミッションを持った飲食店を、ゆくゆくは石川県内に留まらず全国に広めていきたい。そして、この店をキッカケに多くの方に、能登を訪れてもらえるように。

その一歩にかける想いを、皆さんと共有したく、今回このプロジェクトに挑戦します。
この先、少しお時間をいただいて、読んでいただければ幸いです。


自己紹介

改めまして、安原信治です。
現在、地元・輪島で和洋居酒屋「のどぐろ総本店」を経営しています。
皆さんは、石川県輪島市をご存知でしょうか。「輪島塗りの漆器」や「輪島の朝市」が有名なこともあり、足を運ばれた方も多いかもしれません。能登半島と言えば、”海鮮”というイメージをお持ちの方は多いと思いますが、海の幸だけでなく、山の幸も含め豊富な食資源に恵まれた地域です。

僕は高校までを輪島で過ごし、大阪の大学へ進学後はしばらく都市部で働いていました。
そんなある日、会社からかかってきた電話ー「お前の地元、大変やぞ」。
それが、2007年に起きた能登半島沖地震でした。
その日を期に、僕の人生は大きく変わっていきます。

震源地に近い輪島では、家屋の倒壊が相次ぎ、
知らせを受けた僕は、すぐさま地元へと一時帰郷しました。

何か地元のためになりたい、そう思った末、震災から2週間後には当時の勤め先を退職し、さらに2週間後にはネットショップを立ち上げていました。地元の食材を売ることで、貢献したいと思ったのです。

その後、食材を売るだけでなく、その食材たちの良さに説得力を持たせるためにも、
自らそれらの食材を活用するため、現在の「のどぐろ総本店」をオープンしました。
地元の食材や料理を、地元だけでなく、より多くの人に届けたいという想いが募り、
この度2号店のオープンを決断しました。


手をこまねくより、自分からお客さまの元へ能登を届けたい。

僕には、いずれ2号店に留まらずに都市部にも出店していきたいという夢があるのですが、そこには、軸となる2つの考えがあります。

1つ目は、「”食”だからこそ伝えやすい」ということ。能登のカルチャーや風土の素晴らしさを発信するには、やはり他の地域にも負けない、食というカテゴリーと共に発信した方が伝えやすいという考えです。

2つ目は、「呼び込むのではなく自ら出て伝える」ということ。みなぎるエネルギーやあふれるパワーは内から外へ出ていくのが自然なものだと思います。能登から、都市部へ出向いていくこと。受け身ではなく、自ら仕掛けていく姿勢が重要だと僕は考えています。

僕にとって2号店は、輪島本店に加えて、より多くの地元の方に応援してもらえる場になればと願っています。より多くの地元の方々に支えられているその事実こそが発信力にもつながるはずです。
そしてもちろん、そのために地元に愛され、応援していただけるような店づくりにも精一杯努めていきます。東京や大阪など、さらに沢山の人がいる場所で能登を発信する場を設けることは、誘客し続けなければならない能登の将来のためにも必要なことだと確信しております。

能登は魅力的な市や町が多いですが、中でも観光客が集まる場所の代表的なところといえば輪島と七尾。2号店を出店する七尾市和倉は、有名な和倉温泉のあるところです。
和倉温泉はもともと地元の人々に愛されていた背景もあり、今でも多くの地元の方が和倉の飲食店に通います。地元と観光客の両者が交叉する土地だからこそ、より発信力を高めることが出来ると思います。


和洋居酒屋「のどぐろ総本店」は、皆さんの期待を裏切りません!

能登半島は、海や山の自然・食材に恵まれた地域です。
それは、”半島”の特徴として、海と山の両方が、人の暮らしから近い距離にあるからなのですが、きっと、海をイメージされる方が多いかもしれませんね。

和洋居酒屋「のどぐろ総本店」は、今では高級魚として有名になった「のどぐろ」を看板に、能登の美味しい海・山の幸を存分に楽しめる、創作料理・居酒屋です。

今では 『のどぐろ=金沢・能登』 というイメージを持っている方が多くいらっしゃいます。当店が出来るまでは、のどぐろを食べたいけど何処に行けばいいか迷われている観光のお客様が多くいらっしゃいましたか、店名にそのままのどぐろを冠することでその問題は解消されました。また、それまではのどぐろに関するメニューといえば刺・焼・煮ぐらいしかありませんでした。そこに私は、のどぐろの特性を活かしたメニューを17種類作り出し常時提供出来るようにしております。

のどぐろに限らず、創作性に富ませたその他の料理も含めて、お客様からは「田舎でこんなの食べられると思わなかった!」と言っていただくことも多いのですが、まさに、都市部と田舎の”食の偏差値”を埋めていけるような店づくりをしてきました。”田舎”というコンプレックスに負けない、食事の場です。

田舎の人はついついためらってしまう、”オシャレな料理屋”という壁をなくしたく、
馴染みのあるメニューも用意していますし、能登の食材に合うお酒も置いています。
女の子が飲みやすいカクテルも豊富に置いているので、老若男女問わず喜んでいただけると思います。


田舎な故郷は、夢と共に生きれる場所。

自分で、地元で飲食店を経営しはじめて10年以上が経ち、これまで本当に多くの人に支えられてきました。僕はもともと「田舎」は嫌いでしたが、故郷が嫌いになったことはありません。
近年では、田舎は移住地として選ばれることが多くなってきましたが、1つ胸を張って言えることがあります。それは「田舎は、夢を持てる場所だ。」ということ。

今後、故郷が、多くの人の夢に溢れた町になれば、こんなに嬉しいことはありません。
そのためにも、田舎で夢を持って暮らせる姿を、
僕自身が示していけるようにこれからも精進していくつもりです。

とはいえ、少子高齢化・8050問題は今後加速していきます。田舎であればあるほどその加速度は違います。地域外からの誘客による外貨獲得は必要資金です。能登の環境や暮らしは、世界農業遺産にも認められるものであり、カルチャーではユネスコや重要文化財が多く存在します。正直、地元からこれらが消えるのはなかなか考えにくく受け入れ難いことです。だからこそ、外から人を呼び続けられる、発信し続けられる場を作りだすことが、能登の下支えになると考えています。


支援者の皆様へ

能登地域は、人口はもとより観光客も年々減っています。
高校卒業後に若者の約8割は金沢(県内)か県外へと出てしまい、地元に残るのは約2割です。そんな僕も地元を出た者の1人ですし、能登半島沖地震がなければきっと、故郷で起業するなんてことを思いもしなかったでしょう。

自分が卒業した学校がなくなったり、子どもの頃に賑わっていた商店街がシャッター街に様変わりしてしまっていたりと、地元は寂しい姿に変わり果ててつつあった上に、能登半島地震の被災に見舞われました。

田舎が嫌で出ていったはずの僕は勝手な使命感で故郷を少しでも元気付けれたらと、
微力すぎるのは重々承知していますが、故郷に貢献したいという思いで起業しました。

2015年に北陸新幹線が開業し、想像をはるかに越える数の観光客の入込みが金沢にありました。しかし能登への流入は今もわずか。能登では観光客の減少が変わらないのが現状です。車で金沢→輪島は約2時間、金沢→七尾(和倉)は約1時間という距離感です。この距離には大きな壁があるようです。

能登を元の姿に戻すという大それたことは言いません。
しかし、減少の加速度を抑える役割を担っていきたい。
能登で「のどぐろ総本店」の作り上げたブランディングを都会で確立させられたら、
過疎地域での起業とて夢があります。その達成の先には更なる夢が待っています。

自分だけのことではなく、能登の未来のために夢ある起業家が増えてくれたら、
こんな嬉しいことはありません。能登の魅力ある様々な素材で勝負し、
能登がいつまでも多くの方に愛される地域でいられるよう全力を注いで参ります。

どうぞみなさま、応援のほどよろしくお願い致します。
最後までお読みいただきましたこと、心より御礼申し上げます。


<All-in方式の場合>

本プロジェクトはAll-in方式で実施します。目標金額に満たない場合も、計画を実行し、リターンをお届けします。


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