マグロの聖地 津軽海峡・大間沖に沈む豊国丸
太平洋戦争の末期の昭和20年7月、米機動部隊の本土空襲により北海道、東北地方も甚大な被害を受けましたが、大間崎など津軽海峡付近においても多くの艦船が戦闘により撃沈され、今なお多くの戦没者が艦船とともに眠っています。その一つが特務艦豊国丸です。
特務艦豊国丸(ほうこくまる)
昭和11年、鶴見製鐵造船で起工・竣工した日之出汽船の豊国丸(1274トン 全長66.87メートル)は昭和14年海軍に徴用され、横須賀鎮守府所管特設砲艦として上海、基隆方面で活動した。その後、太平洋戦争中は、横須賀鎮守府所管特設運送艦として、北海道ー横浜間の石炭輸送に従事した艦船です。
※写真は「青森空襲を記録する会」発行「大湊・下北空襲の記録」より
豊国丸最後の戦闘
昭和20年7月13日に宮城県塩釜を出港。大湊に向かっていた豊国丸は、途中、青森県八戸に仮泊。14日朝、八戸飛行場への米軍による爆煙を確認し、全速力(最大速力12.5ノット)で出港、対空戦闘を開始したものの、午前中のうちに乗員の6割が戦死あるいは負傷。午後2時頃、大間沖から大湊へ向かっていた豊国丸は函館市街の攻撃を終えた戦闘機の標的となる。既に機銃員のほとんどを失った豊国丸は、なすすべなく攻撃を受け、午後2時30分、艦長の渡部成己少佐が「総員退去、軍艦旗降ろせ」の令を下し、ロープで体を舵輪に結びつけ、軍刀を左手に握り締めた姿を最後に約90名が艦と運命を共にしました。
艦が沈んだ後、48名が生き残っていたが、海流に流された者、海に沈んだ者など多くが行方不明となり、生存者は海流に乗って大間沖から大畑海岸へたどり着いた12名だけでありました。
※写真は「青森空襲を記録する会」発行「大湊・下北空襲の記録」より
海を征き海に散りたるつわものの御霊よ永遠に安らかにあれ
135名もの死者を出し、今なお約90名が大間崎沖の海で眠りに就いていますが、昭和49年、北海道の遺族が生存者の安否確認を地元紙に掲載したことを契機に、遺族の輪が全国に広がり遺族会が結成され、海上自衛隊の協力を得て撃沈された海域で洋上慰霊祭を挙行しました。
その時大間小学校は開催中の運動会を中断して黙祷を捧げたそうです。また、少人数ながらも米軍にも戦死者も出ていることから、前日には地元漁船を借り切り、恩讐を超えてその供養も実施しました。
※写真は「豊国丸遺族会」発行「豊国丸遺族会と揺れ動く墓標」より
戦後70年・・・消えゆく戦没者氏名と高齢化する遺族
海軍特務艦豊国丸遺族会は、昭和49年7月14日、海上自衛隊の協力を得て撃沈された海域で洋上慰霊祭を挙行、その3年後には海上自衛隊、青森県、大間町等の協力を得て慰霊碑建立と33回忌慰霊祭を大間崎で実施しました。
それ以降毎年7月14日に大間崎に集い慰霊祭を開催してきましたが、平成6年の50回忌を機に遺族会は解散し、現在は海上自衛隊大湊地方総監部のOBで構成する大湊水交会をはじめとした有志が個人的に大間崎を訪問し参拝しています。
起案者である私こと、大間在住の工藤竹美は遺族会世話人として当初から慰霊に関与してその後も碑を見守っていますが、戦没者氏名が風化し、基礎部の歪も出ており今後の慰霊、平和祈願継続のため遺族会に修理の募金を行いました。
しかし戦後70年を経過した現在、遺族は減少し、高齢化等で修理に必要な資金200万円が集まらない状況です。
戦争を忘れないために私たちができる最後の仕事
この70年、世界中では多くの戦争が起こり多くの血が流れています。
どれほど永い時間が過ぎようと同じ過ちを繰り返してはなるまいと、私たち戦争を知る世代が平和を約束し、戦争で亡くなった方々の御霊を慰霊し続けてきました。
しかし、50回忌を機に遺族会は解散し、戦後70年が経過し、戦争を知る世代の多くがこの世を旅立ちました。
でも、「戦後70年が経過し遺族が減少した」「50回忌を過ぎた」で戦没者がいたことを風化させていいのでしょうか?
私たちに残された時間はあまり多くないことは、私たち自身が知っています。
平和な日々は、勝手にやってくるものではありません。私たち国民が平和を願い続けてきた結果だと考えています。
いま、全国各地にある遺族会は高齢化による遺族の減少により解散の一途を辿り、その姿を消しつつあります。
しかし、戦没者を慰霊する心は遺族会が無くなっても消えるものではありません。
大間沖で起こった悲劇を伝え、平和学習や観光案内に
慰霊碑は多くの人々が訪れる本州最北の碑のすぐそばに佇んでいますが、残念ながらこれまで、ここで起こった事実は観光客や地域の小中学校であまり伝えられてきませんでした。このことを伝えていくことが私たちに残された仕事であると思っています。
慰霊碑を修理するには多くのご支援が必要となりますが、大間崎付近での戦闘と軍人、地域住民、遺族等の対応、慰霊碑建立の過程等を遺族会資料等を基に振り返り小冊子にまとめるとともに絆や平和の重要性を再認識し、地域の連帯感の醸成、観光案内や平和学習に役立つようにしていきたいと考えています。
● 支援金の使いみち
・慰霊碑修理 :150万円
・手数料 : 30万円
・返礼品等 : 20万円
● 実行スケジュール
・平成30年5月~6月 慰霊碑修理
・平成30年7月14日 慰霊碑修理完了披露・慰霊祭
● お問い合わせ先
・プロジェクト代表者:工藤 竹美
住 所:大間町大字大間字大間平38-479
電 話:0175-37-5599
メール:michinokuhoteru-hotel-oomatei@ebony.plala.or.jp
・プロジェクト担当者:後藤 隆行
住 所:むつ市荒川町17-23
電 話:0175-34-9864
メール:gototaka1949@celery.ocn.ne.jp