こんにちは都於郡地域づくり協議会です!
このたび、伊東マンショの漫画を作りたいという思いで、FAAVOを活用させていただくことになりました。
都於郡地域づくり協議会では、地域の将来を考え、自ら行動を起こし「地域づくり」を進め、都於郡全体へと広がっていくことでより住みやすい地域にするために毎日、地域の皆さんと協力し切磋琢磨して頑張ってきました。
そして、その将来への課題の一つに、受け継ぐ歴史というものがあります。
(写真:都於郡地域づくり協議会 飯牟禮純比古会長)
皆さんは「天正遣欧少年使節団」を知っていますか?
教科書で一度は見たことのある名前だと思います。
彼らは、日本で初めて「ヨーロッパへ渡り帰国した」今でいう外交官でした。
そして、そのリーダーは、実は宮崎県西都市出身の「伊東マンショ」なのです。
(写真:1586年にドイツのアウグスブルグで印刷された、天正遣欧使節の肖像画【京都大学図書館蔵】)
伊東マンショはどんな人物か?!
伊東マンショは、永禄12年(1569年)ごろ、日向国都於郡(今の宮崎県西都市)にて、伊東祐青と母である伊東義祐の娘(通称「町の上」)の間に生まれました。
そう、西都市都於郡は、伊東マンショが生まれた地なのです。
(写真:都於郡城址本丸跡、伊東満所像)
マンショは伊東家当主の孫として生まれましたが、マンショが8歳の時、伊東家は島津家との勢力争いに破れ、豊後(現在の大分県)へと逃れます。キリシタン大名・大友宗麟が治める豊後でキリスト教に出会い、後に「天正遣欧少年使節」の主席正使としてローマ教皇に謁見します。
マンショたちが長い年月を得て、ヨーロッパを渡り、そして日本へ帰ってきました。
帰国した時、日本ではキリシタン弾圧が始まったことにより、彼らの功績は、日本の歴史の表舞台からは消え去ってしまいました。
(写真:都於郡城址 三ノ丸から見た景色)
8歳という若さで、城を追われ、そのあとは茨の道といっても過言ではないほどの波乱万丈な人生を歩んできた伊東マンショ。知れば知るほど、とてもドラマチックな経験を積んできた人物ですが・・・
伊東マンショ の活躍を若い世代に伝えたい!
マンショは歴史の教科書で学んだ以降はなかなか知る機会がないのが現状です。
実際、西都市内の若い人たちに「伊東マンショ」の名前をだしたところで、
「伊東マンショ?あー!きいたことあるけど、何した人かはわからない」
という答えがかえってくるのが7割でした。
(これは寂しい・・・)
都於郡小学校や中学校では「さいと学」という授業があり、西都市の文化や歴史を学ぶ機会があるのですが、伊東マンショについて調べてみたり、実際城址に訪れたりと、深く学んでいるのはこの地域の子供たちだけなのです。
2012年西都市は、伊東満所没後400年記念事業として、シンボルキャラクターの募集を行ない、都於郡城址まつりで式典を行ったほか、「伊東家の食卓」という食のイベントを行ったり、伊東マンショの生涯を描く「市民創作劇伊東鈍満所」という劇の公演などもありました。
2014年にイタリア・ミラノで、伊東マンショの肖像画が発見されるという、世界的に大きな発見もありました。
(写真:伊東マンショ肖像画)
それらは、たくさんの方々の希望があり、署名活動を行った後、2016年、東京、宮崎、長崎の3つの美術館にて日本初公開を迎えることができました。
今年度は伊東マンショをはじめとする天正遣欧少年使節にゆかりのある、宮崎県西都市、長崎県大村市、西海市、雲仙市、南島原市、波佐見町の5市1町で構成する事業「天正遣欧少年使節ゆかりの地首長会議」で、天正遣欧少年使節の偉大な功績を後世に伝え、歴史学習、現地住民との交流等により見聞を広めることを目的に、各自治体から選ばれた中学生を、「平成遣欧少年使節」としてポルトガルへ派遣しました。
(写真:平成遣欧少年使節として訪れた地ポルトガル「リスボン:発見のモニュメント」
11月6日には、イタリア大使が宮崎を訪れ、都於郡城址に訪問し、慰霊碑に花を手向けました。
(写真:イタリア大使と伊東満所(マンショ)像を前に記念撮影)
テレビでも伊東マンショの特集などがあげられたり、注目度は割と高くなってきているにもかかわらず…地元の知名度すら低いというなんとも悲しい現実があります。
(ヨーロッパの方が有名人だったりします)
世界にはたくさんの偉人にあふれています。そして、その数多くの偉人達は、子供達の生き方を示す道しるべとなっていきました。
伊東マンショもまた、波乱万丈な人生の中でも、人々にたたえられ、あの豊臣秀吉に見初められるほどの偉人であったにも関わらず、このままでは・・・子供達の記憶から風化されてしまうのではないかというような気がします。
どうしたら若い世代に伝わるのかを試行錯誤するなかでマンガで伝えることを考えました!
歴史上の偉人を取り上げたマンガはたくさんありますが、伊東マンショを主人公として取り上げたものはまだありません。
ないなら作ろう!
ということで、
この度、その制作費をクラウドファンディングで募集する運びとなりました。
伊東マンショの漫画のイメージの一部をご紹介!!
今回FAAVOの公開のために漫画家さんがだいたいのイメージを作成してくれました。
このシーンは、伊東マンショが都於郡で暮らしたわずかな時を描いたものです。
このあと、彼は幼くして戦いに巻き込まれ、壮絶な人生を歩むことになるのです。
時は流れ、マンショたちは船でヨーロッパに旅立ちます。
2年の長い航海。今と違って過酷だったことでしょう…
マンショたちが必死の思いで辿り着いたヨーロッパ
世界で見てきたもの、そしてそこで過ごした日々は彼らを大きく成長させました。
更に長い年月をかけ日本で初めてヨーロッパから帰国した4人たち
「海外の素晴らしさを日本の人々にも伝えたい」
しかし待っていたのはキリシタン弾圧という世界…
厳しい状況の中でも、彼らは必死に生き、そして貫いた思いがあった
★ 制作の流れ ★
マンガ制作は以下の流れで行う予定です。
① 脚本(漫画家さんによるネーム作成)
② 都於郡城史文化研究会による脚本のレビュー
(長くて約半年はかかると思われます)
③ マンガ執筆(約2か月)
④ 印刷・製本
①②脚本に関して
漫画家さんにネームを作成してもらうために、伊東マンショを愛し研究を重ねている都於郡城史文化研究会の方々、西都市・西都市教育委員会にも脚本の校正を行ってもらいます。(歴史に沿った完全オリジナル!)
③ マンガ執筆
都於郡地域づくり協議会と仲良くさせていただいている、佐土原出身の漫画家、里見紀(さとみはじめ)さんにお願いする予定です。(また後日レポートにて紹介していきます!)
④ 印刷・製本
初版として、1000部制作し、県内小学校、中学校、高等学校と、図書館に寄贈する予定です。予算次第では増刷を検討。マンガは資料館やネットで販売する予定です。
● 支援金の使いみち
・マンガ制作費(脚本料、校正料、執筆料)
・印刷 / 製本費
・リターン品 / 配送費
・FAAVO手数料
まずは、宮崎県内への寄贈を目標としていますが、金額が100%を超えた場合は、
★ページ数増加 120%超え
★印刷部数の増加 150%超え
★寄贈先を更に伊東マンショと関わりの深い地へ拡大 200%超え
を予定しています。
● お問い合わせ先
【団体】都於郡地域づくり協議会
【代表者】飯牟禮 純比古
【HP】http://tonokuri.main.jp/
【Facebook】https://www.facebook.com/tonokoori/
【Twitter】https://twitter.com/tonokuri
【後援】西都市