このクラウドファンディングは、豊後二見ヶ浦に常設の遊歩道を作るための資金調達として行っています。
海から飛び出た2つの岩にしめ縄を張り直すため、毎年『作業用の仮設橋』をかけていますが、
『常設のバリアフリー遊歩道』を作れば、作業労力の軽減だけでなく、新たな観光スポットとしての可能性が開けます。
 海辺の小さな地域ではありますが、伝統をアップデートすべく、皆様からのご支援をお願いいたします!
▼はじめに

こんにちは!

豊後二見ヶ浦(ぶんごふたみがうら)事業実行委員会です!

 九州の右端(最東端)にある大分県佐伯市(九州で一番に日が昇るまちとして知られています)、

そんな佐伯市の中心から少し東にある上浦(かみうら)という沿岸部の地域に・・・

『豊後二見ヶ浦(ぶんご ふたみがうら)』という場所があります。

私たち実行委員会はこの豊後二見ヶ浦の「あること」を存続させるために活動しています。


まずは、この豊後二見ヶ浦(ぶんごふたみがうら)がどんなところかをご覧下さい。


大きな方が男岩(おいわ)で17m、小さな方が女岩(めいわ)で10mの高さがあります。

九州の東側なので、日の出を望めるスポットとして地域内外のたくさんの人に愛されています。

日本各地に『夫婦岩』と呼ばれる景勝地はいくつかありますが、ここ豊後二見ヶ浦の夫婦岩には並々ならぬ特徴があります。

 自然が作り出した寄り添う夫婦のような岩や、その間からのぼる朝日の壮大さはもちろん、ここには『50年以上もの長い間、活き活きと積み重ねられた人々の営み』があるのです。

その営みというのが私たち実行委員で存続させている「あること」…そう、大しめ縄です!
(上の動画では張り替え直前なので中央付近がほつれ始めています…)

なんと

長さ 65m 

太さ(一番太い部分) 直径 75cm

総重量 約2t

の大しめ縄は毎年、全て人力のみで張り替え作業が行われています。

新年の日の出を新しい大しめ縄で迎えられるよう年末の寒い中、地域の人を中心に、たくさんの人々が作業に参加してくれています。

今では伝統行事として多くの人が集まり、マスコミにも取り上げられるようになりましたが、始まった当初は、こんな風に受け継がれていくとは誰も思っていなかったと聞いています。
時代によって方法を変えながらも、先人達の築いた良き伝統を受け継ぎ、関わるみんなの想いを乗せて、大切に育てられてきた海辺の小さな町の象徴となった大しめ縄。

「たったの50年間で“伝統”?」と思われるかもしれませんが伝統とは、受け継がれてきた「月日」であると同時に「存続させたい」「継承したい」と思う両者が同じ時代に生き、そのバトンをうまく渡せることで初めて成り立つ、貴重なできごとの連続だと考えています。
何かを始めることも偉大なことですが、いろいろな課題を抱えながらもそれを続けていくことに尊さを感じずにはいられない、そんな上浦の豊後二見ヶ浦の話です。


・・・少し大袈裟になってしまいましたが、実はことの発端は 若者たちの思いつき でした。

▼大しめ縄の歴史「お酒の席で生まれた若さゆえの盛り上がり」

〜言い出しっぺは地域の若者で結成された草野球チーム〜

遡ること53年前、1968年に『上浦ファイターズ』が結成されました。

地元の高校を卒業すると、ほとんどの人が進学や就職を機に都会に出ていった時代。
地元・上浦町(現・佐伯市上浦地域)に残った者、大学卒業後に帰ってきた者。
20代前半のわずかな若者たちで始まった草野球チーム
当時33歳で最年長だった松村さんは若手を見守る相談役的存在でした。

《スケジュールや金銭管理など事務的な世話をしながら
チームの方向性や存在意義についても使命感を感じていた松村さん。
活動当初の会計資料から、現在の新聞記事まで豊後二見ヶ浦に関する資料は大切に保管している。》

当時から地方の人口減少・過疎化は始まっており、1950年には約7,000人いた上浦町の人口は、1965年には4,200人まで減っていました。(国勢調査(大正9年~平成22年)、佐伯市行政区別人口動態調査によるデータ

「野球というスポーツでつながっているチームではあるけれど『地元・上浦に残った貴重な若手である』という側面からチームを見守っていた。体育指導員の経験もあり、地域貢献・人づくりや今後の発展のために何かできることはないかと常に考えていた」と言います。

「しかし、それぞれの仕事や家庭を抱えながら息抜き程度に始めた小さな草野球チーム。地域のために何かできるのだろうか?」そんな疑問も抱えて日々を過ごしていました。
当時は、草野球と飲み会が主な活動内容。
「みんな、娯楽としてはこのチームを楽しんでいる。だけどこのまま楽しいだけの草野球チームになっていくのか?」「チームの資金は常にギリギリ。何か始めるにも予算がない」「若手を人として地域でしっかり育てたい」そんな焦りも抱えていた当時の資料を見て懐かしそうな松村さん。

そんな時、お酒の席で

“長部網代(ちょうぶあじろ・当時の豊後二見ヶ浦の名称)に大きなしめ縄かけたら面白いんやねぇん?”

と誰かが言い出し、大いに盛り上がったそうです。
「まあ、酔っ払いの男たちが話すことなんて無責任なことばかり。笑い話で済むはずだった」と笑う松村さん。
しかし、酔いが覚めてから、大しめ縄をかけるための流れが急速に進みます。

地元に残った若者たちだからこそできる、血縁・地縁をフルに駆使して大しめ縄を架けるために必要な知恵・材料・人材を集めていったのです。

何を隠そう、豊後二見ヶ浦のある『上浦町』は【豊後どっこ】を生んだ町。
先祖代々、チームワークを駆使して壮大なものを作るのに長けているのです!(きっと!)

▼【豊後どっこ】をご存知ですか?

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「豊後土工(ぶんごどっこ)を生んだ上浦」
 農地が少なく、漁業以外に大きな収入源のなかった上浦の人々は、土木工事などの出稼ぎで生計を補っていました。トンネル工事の技術を身につけ、親方として現場を仕切り、後輩も育成し、日豊本線の開通した大正の頃には、全国の工事現場で「豊後土工」は頼りにされるようになります。危険を伴うこの仕事は、抗夫の団結が必要とされ、血縁や地縁による結びつきの強かった上浦の風土が生んだと言え、今も多くの人が全国各地で活躍しています。

佐伯市HPより

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愉快で豪快な上浦の若者ならではのアイディアと心意気で始まった豊後二見ヶ浦の大しめ縄。
若者の柔軟なアイディアや勢いだけならどこの地域にも、どの時代にもきっとあるでしょう。
しかし!ここ上浦にはそんな若者らしさに加えて「豊後どっこ」の精神や伝統がしっかりと刻まれていました。

『抗夫の団結が必要とされ、血縁や地縁による結びつきの強かった上浦の風土』

まさにこの風土の賜物だと思います。

昨今よく言われる『コンセプト』や『目的意識』なんてかっこつけたものはないけれど、ただ「やってみよう」と言い出した誰かと、その誰かを普段から慕い信頼している仲間、面白がる友達がいたから動きはじめたのでしょう。

《地域の人たちとしめ縄を運んでいる様子》

松村さんも相変わらず心配事は絶えませんでしたが、若者の勢いと行動力に圧倒され、自分のできる限りの知恵と能力を出し切って一緒に夢中になったと言います。

そして…1968年12月30日 日が沈む頃に、初めて豊後二見ヶ浦に大しめ縄が架かりました

《現在のものに比べると、少し細いが、立派な大しめ縄》

1年後の同じ時期には潮風でくたびれた大しめ縄を新しいものに張り替える作業が行われ、その次の年も繰り返され、参加者も増え、地域の恒例行事となっていきました。

年を追うごとに大しめ縄の質も上がり、作業効率も改善され、気づけば手作業で半世紀以上もの間継承されてきた地域の行事。

きっかけはお酒の席のアイディアでしたが、その視覚的迫力と若者たちの愉快な雰囲気が周りを巻きこみ、こうしてたくさんの人に愛される伝統行事となりました。

そもそも、大しめ縄というアイディアは、三重県伊勢市にある『二見興玉(ふたみおきたま)神社の沖にある夫婦岩に架かる大しめ縄』に着想を得ています。
しかし、伊勢市の夫婦岩には由緒ある長い歴史があり、決して真似できるようなものではありません。
上浦ファイターズの若者たちは「夫婦岩の間に大しめ縄があって、その間から昇る神々しい太陽が見られたら、きっと素晴らしい景色だろう」という地元を思う単純明快な気持ちで大しめ縄を張り始めました。
まだまだ歴史で言えば浅いですが、この思いは50年以上も地域の人たちに愛され続け、活き活きとした歴史となって受け継がれています。


▼大しめ縄がかかるまでの作業

【荻町の皆さんとの交流】

毎年12月に張り替え作業が地域の大イベントとして行われますが・・・

大しめ縄張り替えのための最初の作業は5月の田植えです。 

上浦の子ども達が車で2時間ほどの荻町(おぎまち・現在竹田市)に行きます。

荻町の子ども達と合流して、みんな一緒に泥んこになって一本一本、米の苗を植えていくところがこの大しめ縄のスタートです。

そう、上浦は海辺の町で田んぼがありません。大しめ縄の原料となる藁がないのです・・・!

《初めまして、と会う子同士もすぐに仲良くなり作業開始です》

夏の間の田んぼの管理は、荻町の地域の皆さんと『荻町デザイン会議」の方々が行ってくれています。ベテラン農家さんばかりとは言え、毎年季節や天候に左右され、決して容易な作業ではありません。

そして台風や虫害・病害を乗り越えて、10月に収穫をします。

収穫された稲は、米と藁(わら)に分けられます。大しめ縄に必要な藁の部分だけで3tもあることを考えると、膨大な作業だということがわかります。

やっと12月。豊後二見ヶ浦が一番注目される季節ですが、この張り替え作業までに毎年こうして荻町で準備をしてくれている皆さんのおかげで豊後二見ヶ浦の12月を迎えられるのです。 

この作業の時に、今度は荻町の子ども達が上浦に来てくれます。

《普段は馴染みのない海で楽しそうな荻町の子ども達》

《荻町で作った餅米で一緒に餅つき交流会もします》

上浦の子は雄大な緑の中での田植え体験を、荻の子は広く爽快な海を、実体験を伴って学ぶことができ両者にとって大切な交流として続いています。

また、子どもだけではなく大しめ縄の作業にわざわざ来てくれる荻町の方々もいます。
荻町役場(現・竹田市役所荻支所)が毎年、市民の募集などをして下さり、市民の皆さんがわざわざ上浦まで手伝いに来てくれます。
大しめ縄に欠かせない「さがり」と呼ばれる部分を荻町の方々が担当して作ってくれています。

《大きな「さがり」と荻町の皆さん》

(2020年はコロナウィルス対策のため荻町の皆さんが来られず、私たちだけで「さがり」を作るのに悪戦苦闘…荻町の皆さんを頼り切っていたことに気づきました)


▼プロジェクトの内容

『大しめ縄の張り替え作業風景』

現在、大しめ縄張り替えの際に使っている橋は、橋脚部分のみ常設で、床板部分は毎年組み立てている仮設の橋です。

数年前まで業者と協力して床板部分の組み立てをしていましたが、地域の人手不足やスケジュールの関係で床板部分の設置が課題となっていました。
現在は、地元の東雲中学校の皆さんや日本文理大学附属高校レスリング部の皆さんにご協力いただき毎年、仮設の橋をかけている状況です。

しかしながら、練習の合間を縫って、ケガのリスクのある作業をしていただくことを今後も続けていけるかどうかはわかりません。
とても助かっていますが本音を言えば、学生たちには裏方のような仮設橋の組み立て作業ではなく、地域の皆さんとしめ縄作りの作業だけを楽しんで欲しい気持ちがあります。

仮設の橋に行くまでには段差の大きな階段、橋自体は最低限の設備であるため、大しめ縄を夫婦岩まで運ぶ作業をする人たち以外は入ることはできません。

夫婦岩や大しめ縄を間近で見られるのは、力仕事のできる男性や若者が多く女性や高齢者はほぼいない。

『仮設ではなく、誰もが安心して歩ける遊歩道を作りたい!!』

もし作業用の仮設橋ではなく、常設の遊歩道があれば、年に1度の作業の時だけではなく、普段からたくさんの人が豊後二見ヶ浦の迫力を間近に見ることができます!

▼このプロジェクトで実現したいこと

《遊歩道のイメージ図》
(※色味や雰囲気は現在の景観に合わせて調整中です)

①大しめ縄張り替え作業時の負担軽減
これまで書いてきたのが今回のプロジェクトの核の部分です。
この常設遊歩道ができることにより、地域に与える波及効果もあります。

②観光客の増加と地域への経済効果
現在、豊後二見ヶ浦を訪れる観光ツアーは年間40本ほどあり、個人のお客さんも含めると1万人にも及びます。しかし、見るだけの観光では滞在時間が短く、これでは「地域にお金が落ちない」どころか視覚的印象以外が少ないままお客さんが帰ってしまっている状況です。
『遊歩道を歩いていただき、実際の夫婦岩や大しめ縄の迫力を体感し、より印象深い旅行にして欲しい』
『豊後二見ヶ浦のみならず由緒ある神社や荘厳な滝をゆっくり散策したり、近隣の飲食店や市内のお店でもっと上浦地域や佐伯を満喫してほしい』

そんな気持ちで夢の遊歩道の建設を願っています。
新型コロナウィルスの猛威が治まった後にはこれまでと違う、上浦地域の観光・訪問スタイルを作っていきたいと考えています。

③完全バリアフリー化でみんなに優しい観光地に
長年、豊後二見ヶ浦を見守り続けてきた地域住民も、思い出の地として毎年再訪して下さる方も、この景勝を楽しみに遠方から足を運んでくださる方々も、高齢化が進んでいます。
現在の豊後二見ヶ浦は、自然の壮大さを感じられる一方で岩場の険しさもあり、ご高齢の方や歩行に障害のある方などは少し離れた護岸までしか近づけず、もっと大しめ縄の近くまで行くことができたら海や夫婦岩の迫力を肌で感じることができます。
せっかくの来訪を、もっと健やかで愉しい時間にしていただきたいと願い、駐車場から完全バリアフリー(上記の図のように)で豊後二見ヶ浦をお楽しみいただけるように設計しています。


▼最後に

これまで続けてきた地域住民の熱い気持ち・故郷の名勝として愛されてきた『豊後二見ヶ浦』の大しめ縄をアップデートし、より多くの地域内外の方々に愛される『豊後二見ヶ浦』を作っていきます!!
今後、更なる過疎化が進み、大しめ縄張り替えの作業に協力できる人が減った時にも作業の効率化が図られ、この素晴らしき伝統を受け継いでいける環境づくり、そして上浦地域・豊後二見ヶ浦を想う人の更なる醸成を切に願っています。

皆さんのご協力、どうぞよろしくお願いいたします!!



■特定商取引法に関する記載
 販売事業者名:請求があり次第提供致しますので、必要な方はメッセージ機能にてご連絡ください。
 代表者または通信販売に関する業務の責任者の氏名:請求があり次第提供致しますので、必要な方はメッセージ機能にてご連絡ください。
 事業者の住所/所在地:請求があり次第提供致しますので、必要な方はメッセージ機能にてご連絡ください。
 事業者の電話番号:請求があり次第提供致しますので、必要な方はメッセージ機能にてご連絡ください。
 送料:送料込み
 対価以外に必要な費用:プロジェクトページ、リターンに記載のとおり。
 ソフトウェアに係る取引である場合のソフトウェアの動作環境:該当なし
 


<募集方式について>

本プロジェクトはAll-in方式で実施します。目標金額に満たない場合も、計画を実行し、リターンをお届けします。

  • 2021/11/26 12:39

    こんにちは、豊後二見ヶ浦実行委員会 事務局 クラウドファンディング担当の中村です。(記事を書いてくれている「なかむらさん」とは偶然同じ苗字です)上浦生まれ・上浦育ち。(肌が小麦色なのは海の男だからではなく毎週末、息子の野球の審判などを務めているからです!)20代の頃は、外の世界を経験するため福...

  • 2021/11/24 17:04

    こんにちは!ページをご覧いただきありがとうございます。記事作り担当のなかむらです。取り急ぎご案内です。本日の大分合同新聞に豊後二見ヶ浦のクラウドファンディングについて掲載していただきました!記事の詳細はこちらをご覧ください。こうして、地元で大切にされている新聞社に丁寧に取材していただき、掲載し...

  • 2021/11/19 21:10

    こんにちは!はじめまして。ページをご覧いただきありがとうございます。なかむらかずみと申します。今回のクラウドファンディングの記事作りを担当しています。2017年に縁もゆかりもない佐伯市に移住してきて、地域おこし協力隊として3年間市役所で働いていました!現在は佐伯市内でゲストハウスを経営していま...

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