この絵本出版プロジェクトの全体像がわかる3分動画があります。(クスッと笑えます)画面一番上の写真5枚に内蔵された「スタートボタン」を押していただき、動画視聴後、気になるポイントを文章で補っていただくとスムーズにお読みいただけます。
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〇課題意識
ぼくは「同調圧力」こそ、人々を生きづらくし、幸せから遠ざけてしまっている根本的な元凶だと考えています。日本社会においては特に、その歴史的背景・地理的な要因・高度経済成長を目的とした教育といった様々な理由でその空気に倣うことが当たり前になってしまっている現状があるのではないでしょうか。
〇解決策
この絵本出版プロジェクトが、そんな「同調圧力」に代わる”新たな空気”(違いを面白がる文化)を大人たちで一緒に日本に創っていく大きなキッカケになり得ると考えています。
そんな空気が少しずつ日本に漂っていくことで、「違いによる生きづらさを抱える人」がより生きやすくなり、「自分は自分でいい」と思える人が増えることで「幸せ」を実感できる人も増えていくのではないでしょうか。
とは言え、言葉だけで言ってても現実は何も変わりません。そこで「絵本」(という体験)と「デベソ」(という仕組み)を日本に創っていくことがこの課題を解決へと導き得ると僕は考えています。
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みなさんこんにちは!
「れおっち」こと、石塚玲央です。
明治大学情報コミュニケーション学部で大学生させていただいています。日本社会の「右向け右!」という風潮や「人と同じであれ、さもなくば敵だ」という空気感。そんな「同調圧力」をテーマに勉強させてもらってきました。
「想いはカタチにして初めて意味をなす」
そんな考えの下、ブログや絵本という形で発信活動をしている人間です。どうぞよろしくお願いします。
この度、ぼくが描いた絵本「なぜかみんなデベソである。」に対して文芸社さんからいただいた全国出版のオファーを現実にすべく、クラウドファンディングという形を取らせていただく運びとなりました。
おそらく、このプロジェクトページを読んでいただいている方の多くは「いや、れおっちって誰だよ!」とツッコミを入れたくなるように。
文芸社さんもまた”無名な”ぼくにこれだけのチャンスを下さるので精一杯。全国100書店にぼくの絵本を置いていただき、多くの方に作品を届けていくために206万円必要です!!!!
(フルカラー&綺麗なカバー制作・担当編集者さん・書店さんへのお願い等諸々込)
(追記)ある友人に出版社の名前もだせば?と言われて、覚悟を決めてだすことにします。
このオファーのお話をいただいた時に、口コミを見たりして正直不安な気持ちになりました。口コミサイトには残念ながら、あまりよく書かれていなかったからです。「自分に不利になるかも・・・」と思ってしまったんです。でも自分に不利だから隠すだなんて不誠実だと気づかせてもらいました。
担当の方とは何度も何度も電話で相談させてもらったり、大切な時間をたくさん割いてもらいました。ぼくは「口コミ」ではなく、自分が話して感じたことを信じます。ぼくに「お金のこと」でアドバイスして下さった方も何人もいました。本当にありがとうございます。
しかし、ぼくはここで逃げることをやめます。そんな逃げ腰じゃあ届くものも届かない。
どうか。しがない大学生の想いを最後まで聴いていただき、
「ちょっくら一肌脱いでやるか!」
「面白いじゃん?」
などと思っていただけた暁には、ご支援の御協力よろしくお願いします!
百聞は一見に如かず!!!
まずは僕の20数年の集大成。絵本「なぜかみんなデベソである。」をご覧ください!※全国出版される絵本は編集してさらに!磨きがかかったものをお届けしますm(__)m
…お見せするのはここまでにしておきましょう。
(※原作はこれに27ページのお話が加わった、全30ページの絵本です)
幼稚園から、小学6年生まで絵を描く教室に通っていたぼくにとって「絵」とは「動かないもの」だったんです。そんな中、ぼくは「絵本」の存在を知ることになります。
「すごい!!!絵に文字をくっつけるとお話になるんだ!!!」
ぼくにとってはとても衝撃的な出来事でした。
話の内容をちゃんと理解できなかったとしても、「子ども」ながらに感じ取れることはあるし、それは「大人」には感じ取れないことかもしれない。
一方で、「大人」になってから「あの時の意味はそういうことだったのか!!」とふと気づくこともあります。
「絵本」は「大人」だとか「子ども」だとか関係なくメッセージが伝えられる媒体なのです。
「大人」だとか「子ども」だとか関係なく絵本を読む価値があります。
とはいえ、「子ども」は「大人」の影響を大きく受けて育つ存在であり、
「大人」が創り上げた”文化”を良くも悪くも受け継ぐのです。
「同じであれ」「空気を読め」といった空気感を造ったのは紛れもなく「大人」です。
だからぼくは大人たちに伝えたいのです。「一緒に違いを面白がる空気を創っていきませんか?」と。まずは「子どもが読むべきもの」という空気が漂う絵本を読む大人が増えていくことで、大人と子どもが感じることの「違い」を面白がる空気を創りたい。
そんな想いで絵本を描き始めたのがはじまりでした。
「もっと違いを面白がる風潮が日本にあったらいいのになぁ。」
そんな想いを込めてこの作品を描いています。
主人公のカッパくんは「自分は鳥でもないし、魚でもない中途半端な存在だ」と自分で自分のことを受け入れることができずに卑屈になってしまいます。
それは鳥や魚たちがカッパくんを「自分たちとは違う存在だ」として仲間外れにしてしまったからなのでしょうか。
はたまた、カッパくん自身が自分の中に自分で価値を見出せなかったからなのでしょうか。
ぼくはこの二つには共通点があると思っています。
それは両者が違いを「排除の道具」としてしまっているということ。
鳥や魚たちは「見た目」という「違い」から、カッパくんを仲間外れにしてしまう。一方でカッパくん自身は「自分」という存在を「他者との比較」を通して排除してしまっている。自分を仲間外れにしてしまっているのです。
「だれが悪い」を探しても、その答えは「どっちも」としかならない。じゃあ、何を探したら・・・?
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ここで少しだけ、ぼくのお話をさせて下さい。
幼少期から女手一つ、母に育ててもらってきました。そんな母になるべく負担はかけまい、と自分を押し殺すクセがありました。一方で、母は「失敗してほしくない」という想いからでしょう。母の考えにそぐわないことを言ったりすると「違うよ」と言われて育ちました。
自分で自分の気持ちを否定し、そして時折発するぼくの言葉をなかなか母に受け入れてもらえない。そんなぼくの中にいた「自分」は徐々にいなくなっていきました。
周りのみんなは徐々に「自分」が創られていくのに、なぜかぼくは徐々に「自分」が無くなっていく。
きっと周りのみんなから見たぼくは「変なやつ」だったと思います。
ここまでがザックリと高校卒業までのぼくのお話。
もうお気づきだと思います。
ぼくは「カッパくん」だったんです。
「自分が受け入れてもらえないのは、どうせ人と違うからだ。」
カッパくんみたいに言葉にはできなかったけれど、心のどこかでそう思ってたんだと思います。
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カッパくんが例の如く、「どうせぼくは・・・」と言っていると、「だれか」がカッパくんの隣に座ってきて言います。
「キミはキミでイイ。」
自分で自分のことを受け入れることが出来ていなかったカッパくんは名前も知らない「だれか」の言葉に戸惑います。「だれか」はそんなカッパくんにさらに言葉を続け、投げかけます。
「キミを見ている人はあちこちにいる」
「キミにできないこともあれば、キミにしかできないこともある。」
そう伝えると、そそくさとどこかへ帰って行ってしまいます。
そんな言葉を聴いたカッパくんの表情は一転します。「だれか」の言葉でカッパくんの中で何が変わったのでしょうか。また、それはなぜなのでしょうか。
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また少しだけ、ぼくのお話をさせて下さい。
文転浪人や自律神経失調症など、紆余曲折を経て大学生になったぼくは大学で「違いに触れる面白さ」を知ることになります。
「そんな考え方があるのか!」「そんな捉え方もあるのか!」毎日が発見の連続。
知れば知るほど「当たり前なんてないんだなぁ」と思えたし、なによりそんなキッカケをもらえていることに感謝の気持ちも芽生えていきました。
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これまでのお話をまとめます。魂込めすぎてしまったので、要点だけ知りたい人は↓の画像だけ読んでいただき、次のデベソまでスキップしてください。
ぼくら人間は
「見た目」「身分」「出身」「性」「年齢」「職」といったことや
もっと大きく
「考え方」「感じ方」「捉え方」「価値観」といった
他人との「違い」を排除しようとしてしまう生き物なのかもしれない。
それはなぜか?
「違い」は「不安」や「恐れ」を感じさせるものだから。
それはたしかに、「生物」として生き残っていく上では必要だった能力なのかもしれません。ぼく自身も、小さい頃にお友達に「おへそ変なの~!」と笑ってしまったことがあったり。仲の良かった友人が、所謂「ヤンキー」化してしまった時に離れてしまったりしました。
一方で、ぼく自身も「耳が悪いこと」「髪の毛が薄いこと」「男なのに〇〇」「子どもなのに〇〇」といったことでそれなりにイヤな想いをしたり、生きづらさを抱えてきました。
きっと今この文章を読んでくださっている、あなたも。
「違い」にまつわるイヤな想いだったり、生きづらさを抱えてきたと思うのです。逆に、知らず知らずのうちに「だれか」にイヤな想いをさせてしまったこともあると思います。
どうせそういう「生き物」だから仕方ない、のでしょうか。
日本社会には「出る杭は打たれる」だとか、「同じであれ!」「空気を読め!」といった空気感が根強く漂っています。この空気がより一層、日本に住む人々に対する「違いを排除しようとする傾向」に拍車をかけてしまっていると思うのです。変えられるところに着目する。
それにそんな空気はツマラナイじゃないか!!
せっかく人には「違い」があるわけで。
「違い」があるからこそ、
僕らは自分にできないこと、自分にはできることがあったり。自分にしかない考え方・感じ方・捉え方・価値観があるわけで。つまり、それは他人にしかない考え方・感じ方・捉え方・価値観もあるってこと。
だから、ぼくらは助け合えるし、学び合えるのではないでしょうか。
どうせならオモシロイ空気を漂わせようじゃないか!!
ではそんな「違う生き物」が「同じ社会」で生きていくにはどうしたらいいか?
「違い」がある生き物、人間。
「違い」を「排除の道具」としてしまいがちな生き物、人間。
「安心感」があればいい。「違いを面白がっていいんだよ」という「安心感」があったらいいのではないか。そうだ!そんな意味を(ぼくが過去に”排除の道具”としてしまった)「デベソ」に込めよう!!!
こうして出来上がったのが、この作品です。
ぼくの絵本を通して、「デベソ」というマークや、言葉を見聞きした時に「お前の母ちゃんでべそ!」ではなく、「デベソは違いを面白がろう!という合言葉」だよね。そんな風に違いを捉える人が増えたらいいなぁ、と願っています。
そして、いつの日か「デベソ」を通して日本にある「同調圧力」という空気から「お互いに助け合って、学び合ってけばいいよね」という空気が漂うことを本気で信じています。
※↓れおっちの頭の中のイメージ図
Step1:全国出版(このクラウドファンディングで実現可能なこと)→まずはより多くの人に知ってもらう!作品を読んでもらう!この作品の世界観いいな!と実感してもらう!
Step2:アニメ化(日本アニメ文化の1つに!)→実はこの絵本は最初からアニメ化を想定してシリーズものとして描いています。今回はその第1作。シリーズをどんどん出して多くの人から愛される作品になればアニメ化に繋がると考えています。(というか死ぬ気で繋げに行きます)
↓ココだけの話、既に2作品目描き始めてます⋯ボソッ)
Step3:企業×デベソによる商品化!→様々なデベソ商品を日常生活の中で目にするように。
(日常的に意識される仕組み)
Step4:日常化(最終的なゴール)→もはや「デベソ」なんか見なくても「違いを面白がる」スタンスでいることが当たり前に。
〇立ちはだかる壁
「自分にできることがあれば、自分にはできないことがある」
そんなメッセージを書いたわけですが、ぼくには絶対にできないことがあります。
それは、一人で生きていくこと。一人で生きていけない絶対的な自信が、ぼくにはあります!!!どれくらい一人で生きていけないかと言うと、今あなたに読んでもらっているこの文章。実は80人以上の方に読んでもらい、フィードバックをもらったうえで書いています。1万字以上書いた本文を4回消し、やっとこさ納得のいく文章が今書けつつあります。
忙しい中にも関わらず、お仕事終わりに電話してもらったり。
zoomしてもらったり。
協力してもらった上にさらに支援してください!ってんですよ?
なんと厚かましいことか・・・
それだけじゃないんです。
僕の知らないところで、「知り合いに意見きいてみた!」と言ってくれる人がいたり、直接話を広めてくれる人がいたり。知らず知らずに助けてもらってることも知りました。
それだけじゃないんです。
本当は協力してくれたみんなの顔とプロフィールと・・・全員ご紹介したいのですが、その中でも特に無理言わせてもらった2人だけ少し紹介させてください。
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〇けんけんさん
2月3日にれおっちの師(通称:たかちゃい)に急遽紹介してもらったカメラマン!!
無理言って2月6日に撮影のお願いをして、はじめましてのれおっちの撮影に4時間も付き合って下さいました・・・!!
〇せいぽんさん
「文章を何度書き直しても、死ぬほど長くなってしまう・・・どうしよう・・・」
そんな時、れおっちの頭の中にふと浮かんだのがせいぽんさんでした。
けんけんさんとの撮影の帰り道。
「せいぽんさんに無理難題を言わせてください!リフレクションやってください!」
その日の夜、長ったらしいぼくの想いをコンパクトにまとめて下さったせいぽんさん。
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そして一番身近でぼくのことを支え続けてくれてきた存在、大好きなえりな。
※事務所(本人)からNGもらったので写真は載せられません。
クラウドファンディングの準備に際して、たくさん寂しい想いをさせてしまいました。
本当にたくさんの人の力をお借りして、今この文章がここにはあります。ぼく一人では何もできやしないことを、このクラウドファンディングの準備を通じて学ばせていただきました。
これだけの人たちの想いも背負ってぼくは今この文章を書かせてもらっている。そして、読んでもらっている。多くの人を巻き込ませてもらっている。
絶対に成功させたい。絶対に成功させる・・・
そのためには、今この文章を読んでくださっているあなたの力がどうしても必要です。
お前まだ足りないのかよ!!!
はい!!
ぼくにもっともっと力があればよかったのですが、今のぼくにはそんな力がありません。こうやってお願いすることしかできません。人を動かすテクニックもわかりません。身も蓋もなく、真っ直ぐ伝えるしか芸の無いやつです。
ぼくにはこんな風に大口叩き、そしてお願いをすることしかできない。それでもこの絵本を全国出版し、日本に「違いを面白がってみようよ」という空気を漂わせるための一歩目を踏み出したい。
どうか、あなたのお力をぼくにお貸しください!!共に「違いを面白がる文化」を創っていく一歩を踏み出していただけないでしょうか!!
ご支援よろしくお願いします。
もしも、「お金は・・・」という方がいらっしゃいましたらこのクラウドファンディングをあなたの周りの方にシェアしていただけないでしょうか。そのシェア一つ一つが本当に助けになります。
あなたの想いを、どうかカタチにしていただけないでしょうか。
〇資金の使い道
絵本制作費:206万円
送料:約11万
(絵本300冊×レターパック370円)
CAMPFIRE手数料:約20万
合計:237万
〇リターンについて
全部で3パターンご用意致しました。
①ベーシックに応援したい方
→AからCプラン
②ファンとして応援したい方
→DからGプラン
③応援した上で、
御自身の応援もしてほしい方
→HからJプラン
~①ベーシックに応援したい方 ~
Aプラン:3000円→「限定読み聞かせ動画」+「自由に使えるカッパくんイラストデータ」
Bプラン:5000円→「サイン入り絵本1冊」+Aプラン
Cプラン:8000円→「SNS用アイコン」または「似顔絵」+Bプラン
~②ファンとして応援したい方 ~
Dプラン:10000円→「限定ファンクラブ参加権」+Cプラン
Eプラン:30000円→「絵本にあなたが登場?!権」+Dプラン【限定10名様】
Fプラン:30000円→「サイン入り絵本5冊セット」+Dプラン(うち絵本1冊は5冊に含む)【限定10名様 】
Gプラン:50000円→「挨拶回り同行権」+Eプラン【限定5名様】
~③応援した上で、御自身の応援もしてほしい方 ~
※③の中からご支援いただき、ご希望の場合は絵本の中にお名前記載させていただきます。
Hプラン:100000円→「れおっち3か月利用権」+「サイン入り絵本1冊」【限定4名様】
Iプラン:300000円→「れおっち半年利用権」+「サイン入り絵本1冊」【限定2名様】
Jプラン:500000円→「れおっち1年利用権」+「サイン入り絵本1冊」【限定1名様】
※「物品等は必要ない」という方はこちら↓
Zプラン:10000円~(お気持ちを上乗せしていただけると飛んで喜びます)
→メールにてお礼のメッセージを送らせていただきます。
〇実施スケジュール(イメージ)
↓編集作業について(概観)
4月頃から編集担当者さんと原稿整理・入稿
→3~4か月程度で2度の校正(7・8月)
→5~6か月後に印刷・製本(9・10月)
※予定変更の場合は活動報告からお知らせ致します。
まずここまで読んでくださったあなたに、大感謝しかありません。あなたの貴重なお時間を割いていただけるだなんて、本当に当たり前なんかじゃないです。本当にありがとうございます。
できることなら、あともう少しだけお付き合いくださいm(__)m
「想いはカタチにして初めて意味をなす」
そんな言葉を最初にちらっと紹介しました。
最後にこの言葉に込められた意味を誠心誠意込めてお話させていただきました。(3分)
今から4,5年前のこと。ぼくは一か月間かけて、「タイ」→「カンボジア」→「ベトナム」へと縦断していくプログラムに参加させていただいたことがあります。
「模擬国連」「交流イベント企画&実施」「市内視察」「国連の人へプレゼン」・・・とそれなりにやることがあったわけですが、1か月かけて僕が感じたのは「達成感」よりも「虚無感」でした。
「あー1か月かけても、結局そこで感じたことや考えたこと、気づいたことが現実に反映されなければ全く意味ないじゃん・・・」と。
確かに自分にとってはたくさんの気づきがあったし、学びもあったんです。でも、それはあくまでも自分だけのイミでした。
そんなのあまりにもツマラナイし、ある意味で無責任だとも思うのです。
ぼくが参加したそのプログラムがあるのはそもそも、裏側でプログラムを創ってくれた「人」がいるからなわけで。
関わってくれた「人」がいたから成り立っていたわけで。
引率して下さった方々がいてくれたから、無事に帰ってくることが出来たわけで。
一緒に参加してくれた人がいたからやり切ることが出来たわけで。
そして、「プログラムに参加していいよ」と言ってくれた母がいた。
そのプログラムでぼくが何かを感じ、何かに気づき、そして何かを学ぶことができたのは決して当たり前なんかじゃないんです。だとするならば、せめてそこで生まれたアイデアだったり、想いがあるのならば。それを自分だけのイミではなく、みんなにとっての意味にしたい。
想いはカタチにし、現実に反映されることで初めてみんなにとっての意味になり得る。
ぼくにできることなんて、たかが知れているのかもしれません。こんな風にお願いすることしかできないのかもしれません。でもそれで「違いってオモシロイよね」という空気がこの日本に漂う可能性があるならば、ぼくはその未来に懸けてみたい。
もしもあなたにもそんな未来見てみたい!!という想いがあるのなら、どうかその想いをカタチにしていただけないでしょうか。
ぼくと一緒に「違いを面白がる文化」を創っていきませんか?
石塚玲央
絵本を全部読んでみたい方はこちら←
<募集方式について>
本プロジェクトはAll-in方式で実施します。目標金額に満たない場合、「全国出版」のお話は白紙になってしまうかもしれません。しかしその場合でもご支援いただいた金額で自費出版の形で制作し、必ず支援して下さった方にぼくの「絵本」をお届けします。
All or Nothing方式(目標達成しない場合、支援金をお返しし、リターンもなくなる方式)にしなかった理由は、既に応援して下さった方の気持ちが蔑ろにするカタチは絶対に取りたくないからです。
<引用元>
画像の一部はCANVAにて作成、記載させていただいています
<絵本について>
全国出版に際した、「絵本」をリターンにする許可を文芸社さんからいただいています
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