▼2018年6月12日にできた60秒CM
こちら


▼はじめにご挨拶

こんにちは、町田健登です。

フィリピン在住歴4年目、2児の父、

体育の成績万年「3」で、子供のころから
ずっと運動音痴として生きてきました。

そんな私ですが、
2018年6月3日(日)フィリピンスービック州で開かれる

「アインアンマンレース」に日本代表の一人として
参加いたします。

また、当日の風景はもちろん、当日までの日常を
フィリピン現地法人の助力を得て、
「映像化」を進めております。

【2018年3月9日 主催したフィリピンマニラでのクラブ貸し切りイベント】
ステージにて、映像作成の企画説明、メンバー募集をするシーン

 

▼そもそも、アイアンマンレースとは?
水泳4キロ、自転車180キロ、ラン42キロを連続で行う
トライアスロンの究極ゴール。
世界で最も過酷なスポーツの1つです。

自転車の180キロというと、東京-静岡間の距離に匹敵し、

朝6時に始まり、深夜11時に終わる合計17時間のレースです。

 

私自身、初挑戦であり、まだ完走したことはなく、
日夜猛練習に明け暮れています。
この競技が2018年6月3日、フィリピン史上、初開催いたします。

(※)2017年3月に参加したアイアンマン70.3.(今回の半分の距離)
  水泳2キロ、自転車180キロ、ラン21キロ。
  当時のゴール前の様子。これが、私のトライアスロン最長距離

▼このプロジェクトで実現したいこと

※当プロジェクト ウェブサイトは「こちら」をクリック。

アイアンマンレースでさえ、困難なのに、さらに
チャリティ活動、映像作品作成なんて、何しようとしてるんだ?


あまりの過酷さに、周りの友人からは、よく心配されます。

ただ、そこには、どうしても成し遂げたい3つのことがあります。

1.フィリピンへの恩返し。レース前、フィリピン各地でチャリティ。

  お世話になったフィリピンへ恩返しがしたい。
  この国の人々の明るい笑顔、勢いある経済成長に支えられ、
  念願の独立起業も果たすことができました。

  フィリピンに移住しなければ、果たせなかったと考えています。
  
  今度は、この恩をフィリピンへ返す番!!
  衣料品や食料品等の配布をしつつ、現地の若者と交流。
  彼らの応援入りの特別ジャージを着て、レースに参戦。
  当日、運動音痴が鉄人になる瞬間を観戦いただくことで、

  物理的な支援にとどまらず、
 「人の可能性」「環境を変えられる可能性」を考えるキッカケを

  彼らに提供したい。

   →自分たちも、現状打破できないか、考えるきっかけにならないか。

 

※写真は、独立起業前、2000人の人材学校にて。
 フィリピンのの貧しい若者に、日本語指導、日本への就労機会提供のサポートを

 本職にしていました。

 

2.ドローンによる空中撮影。マニラの首都部、貧困地域を撮影。
  「映像」というメディアを利用し、フィリピンの現状を発信したい。

多くの日本人が思う、フィリピンのイメージ。「貧困」

 

 しかし、フィリピンの首都部は、途上国と思えぬほど発展している。

 「フィリピン」=「貧しい」という価値観を壊して、
  この国の今の本当の姿を伝えたい。

 

3.「自分も何かできるかも?」視聴者の心に「火を灯す」きっかけに。

アイアンマンレースの完走は、人種も言葉の壁も超えて、

人が限界突破する過程がわかりやすいスポーツだと思います。

 

一般人がアイアンマンになるまでの過程、

今回の映像ができるまでの協力者が集まるプロセスなど、

挑戦と達成、ご縁と感謝の縁を見ていただくことで、

人の心に灯をともす、キッカケにしたいと考えています。 

 
▼プロジェクトをやろうと思った理由

たくさんの疑問があると思います。

1.そもそも、なぜフィリピンに移住しているのか

2.なぜ、アイアンマンにチャレンジするのか

3.なぜ、映像化しようとしているのか

4.なぜ、フィリピンのことを海外に発信しようとしているのか

 

どれも長文での説明になってしまうため、

全ての根源的動機について、お話しさせていただきます。

それは、

「墓前で誓った、亡き父との約束を果たすため」です。

私は、非常に親不孝な生き方をしてきました。

父と死別するまでの7年間、私は父と一言も口を
聞かなかった過去があります。

 

父が中学校2年生の時、脳腫瘍で倒れました。

歩くことも、話すことも、食べることも
困難になった父。


ストレスから、精神病もわずらい、家族に
当たり散らす日々が続きました。

当時、友達が一人もいなかった私。

唯一の逃げ場だった、家庭も荒れに荒れた結果、

自分の居場所を失いました。

 

だから、現実から目を背けました。

父と話さない。視界にも入れない。

一緒の場所で息を吸わない。

 

なんて馬鹿なことをしたんだろうと、今では思いますが、

当時は、そんなくだらない自己防衛に必死でした。


逃げ場所を求めて、高校卒業後は、

実家から離れた国際関連の学部へ進学しました。

 

転機は大学で参加した、海外ボランティア。

※2009年に訪れたフィリピン ロスバニョスの子供たちと。

衝撃でした。
ただ、「日本人」というだけで、
すごい喜ばれるんですね。

友達がいるとかいないとか、父が障害者だとか、
自分で自分が嫌いとか、そこでは一切、関係ありませんでした。

ただ、「日本人である」ということで、笑顔に囲まれて。
自分の存在を承認された瞬間でした。

日本では、居場所はないかもしれないけど、
海外だったら、生きてもいいのかな。


価値観の変わった瞬間でした。

 

それから、積極的に海外へ行き始め、

いつしか自分を表現し、自信をもって

生活できるようになりました。

※アメリカ留学。サンフランシスコ ゴールデンゲートブリッジ

※カナダ旅行。極寒のロッキー山脈国立公園

 ※韓国で開かれた東アジア4か国の大学生による国際会議AEARU研修

 

そんなある日、母から電話があり、

父が死んだことを告げられました。

 

本当は、私、わかってたんです。


「父が英語を教えてくれたから、

 外国人とコミュニケーションできること」

 

「父が外国人と英語で話すのがカッコいいから、

 英語を話せる自分になりたかったこと。」

 

「父が海外旅行に子供のころ連れて行ってくれて、

 すごく楽しかったから、海外が好きなこと。」

 

 

私の父は、英語の教員でした。

父が英語を教えてくれたから、今の自分があるということを。

どんなに目を背けても、口ではどんなに嫌いだといっても、

気づけば、自然と父の背中をおっていた自分がそこにいました。

 

気づかないふりをしていただけで、

本当は、わかっていたんです。

 

でも、「ありがとう」を言う前に、

尊敬する父と死別することになりました。

 

7年間、口を聞かなかった私は、父の声色すら覚えていませんでした。

何日も泣きました。現実から、また逃げたくて。

 

でも、どんなに悔いても、過去は過去。

時間は戻りませんでした。

 

 

だから、その時、決めたんです。

父に教わった英語で、「海外で挑戦しよう!」

「海外で人の役に立つ仕事をしよう!!」

そうすれば、きっといつか有名になって、
メディアが取材に来ることがある。

「町田さん、どうしてそんなに頑張るんですか?」

その時に、どうしても答えたいんです。

 

「父のおかげです。
 父が英語を教えてくれたから、ここまで来られました。」

 

そしたら、その声は、天国まで届くんじゃないかと、

 

それが、馬鹿だった自分が唯一できる親孝行。

 


父と死別してから7年経ちました。

いいことも、悪いこともいろいろありましたが、

今では独立起業。

家族と一緒にフィリピン移住。

家内は今、妊娠中で自分も2児の父になろうとしています。

 ※2017年ニューヨーク マンハッタン国際映画祭 通訳として仕事。

 

父と死別した当時より、随分と当時描いた生き方に

近づいてきたのではと思います。

 

でも、まだ足りないんですね。

もっと挑戦したいんです。

そして、もっともっと伝えたいんですね。

 

●家族の大切さとか
●海外の朗らかさとか、
●人生って苦しくても、素晴らしいってことを。

    

※母校の高校で、講演活動をする様子。


 

私はゆとり世代です。

私の世代は、失敗を過度に恐れて、

挑戦するのを嫌います。

 

でも、残念ながら、時間って巻き戻りません。

本気でぶつからないと

伝わらないことってあるんです。

そして、時間って無限じゃなくて、限られているんです。

 

 

※フィリピン奥地。ライヤビーチ。どこまでも続く青空と海。

 

苦しい、つらいってなったら、一歩試しに

海外に目を向けたら、環境を変えてみたら

どうでしょう?

やってみたいことがあるなら、

とにかくやってみたら、どうでしょう?


その勇気ある一歩の先に、

きっとまだ見ぬ景色が広がっていると

私は待っていると思います。

 

「言葉よりも背中で語れ!!」

父が私にそうしてくれたように。

 

だから、この難しいスポーツを、

灼熱地獄の海外フィリピンで行い、

映像化することにいたしました。

▼完成した映像作品の使い道

フィリピン英語版、日本語版の2つを作成予定です。
フィリピン英語版は、フィリピンのショートフィルム映画祭への出展を
予定しています。
日本語版は、今回の支援者の方への配布や、現在、私が行っている
日本への学校への講演活動などを通じ、継続的に発信して行く予定です。

また、某大手出版社から年末、フィリピン関連の本の出版を予定しており、
そちらと合わせたプロモーションも展開予定です。

 

▼資金の使い道

映像作成費用 80万円(機材レンタル費、人件費、交通費、撮影許可申請費用、編集費)
支援物品費用 50万円(シャツ、炊き出し費用、Tシャツ作成費用、交通費)
アイアンマン関連費用 自己負担

▼大会参加歴
2016年3月 トライアスロン デビュー

2016年6月 【スービック】オリンピック距離(アイアンマンの4分の1)
       4時間18分 完走


2016年10月 【カビテ】 オリンピック距離(アイアンマンの4分の1)
       3時間6分完走

2016年10月 【スービック】 ミドル距離(アイアンマンの半分)

       7時間32分完走

2017年3月  【スービック】  ミドル距離(アイアンマンの半分)
       6時間49分完走

2017年6月 【スービック】 オリンピック距離(アイアンマンの4分の1)
       2時間50分 完走

2018年2月 【スービック】 オリンピック距離(アイアンマンの4分の1)
       3時間10分完走

▼最後に

ご存知ですか?
フィリピンは、スラムじゃありません。
ゴミダメで有名なスモーキーマウンテンはもう撤去されました。

都会は、ものすごい勢いで発展!

東京よりきれいな街もできています。

 

貧富の差はどんどん拡大してますが、貧しい地域の子も、

この国では一切自殺しません。

たくましく、笑顔で生きています。

 

スポーツへの挑戦はもちろん、背景に移るフィリピンの景色、

登場するリアルなフィリピン人たちを見ていただき、

何か視聴者の方の心を揺さぶる、温める作品をつくり、

広げていければと考えています。

ご支援・ご協力、何卒、よろしくお願いいたします。

  • 2019/02/17 11:58

    こちらの活動報告は支援者限定の公開です。

  • 2018/06/17 09:30

    パトロンの皆様へお世話になります、町田健登です。先日、6月15日(金)、当プロジェクトのクラウドファウンディング終了日となりましたが、おかげさまで、目標金額130万円到達することができました。本当にありがとうございます!!アイアンマンの完走もさることまがら、ご支援・ご協力なしには、当挑戦の映像...

  • 2018/06/13 21:17

    ーーーーーーーーーーーーーーーー▼60秒CMは、下記をクリック。→FBにアップした60秒CMーーーーーーーーーーーーーーーー 【クラファン終了まで、あと2日!!】 ついに!!!60秒CMできました!! 日本の有名TV局等々から映像を依頼される監督に直接、撮影をお願いし、撮影をつづけたこの2か...

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