はじめに

2024年1月1日、令和6年能登半島地震。私たち一般社団法人フォースウエルネスの拠点である東京山側では、1月2日から地域ボランティアコミュニティを中心に支援物資を集め、1月3日に被災地に出発して支援物資を届けました。穴水町の美麻奈比古神社 宮司四柳嘉章先生とは繋がりがあり、1月4日に支援物資を届け、地域の方へ四柳先生から支援物資を配給されました。被災した美麻奈比古神社の状況と石川県輪島漆芸美術館名誉館長、漆器文化財科学研究所長を務める四柳先生の作業場をみて、早期復興を目指すことで輪島漆など日本の伝統文化を守り、被災地全体の復興につながると信じプロジェクトを立ち上げました。



私たちの活動について

このプロジェクトは一般社団法人フォースウエルネスが主体となり実行します。私たちは普段、東京山側で探究型自然体験学習スクールを展開しています。子どもたちの好奇心と探求心を刺激。大自然の中での自由な発想や、そこに生きる人々との交流を通じて、たくましく生きる力を身に着ける場を提供しています。

令和6年能登半島地震発生後、すぐに東京山側地域活動・ボランティア協議会を軸に災害支援チームを発足。「子供たち/子育て世代の悲しみ苦しみを減らすこと」を基本方針に、1月2日から被災地に支援物資を届けるための活動を開始しました。今回のプロジェクトの目的となる美麻奈比古神社、珠洲市、七尾市などに支援物資を搬入しました。最前線で支援活動をするレスキューアシストのサポートなど、現地では私たちができる支援活動を実施しました。東京山側コミュニティーと活動を支援いただいた企業様の、被災者の無事を祈る多くの人の想いを現地に届けました。


プロジェクトの目的

・美麻奈比古神社の被災修繕

・穴水町 美麻奈比古神社を拠点にした地域の支援活動

・被災者へのメンタルケア

・被災地での災害ボランティア活動

・石川県輪島漆芸美術館名誉館長 四柳先生との輪島塗復興プロジェクトの実施

美麻奈比古神社境内の被害状況


今後のスケジュール

◾️1月2日〜8日(実施済)
支援物資配給活動

◾️1月14日〜18日(実施済)
支援物資配給活動、レスキューアシストサポート、美麻奈比古神社の倒壊の恐れがある建物の応急処置

◾️2月19日〜22日(実施済)
美麻奈比古神社の復旧作業
珠洲市で活動するレスキューアシストサポート

4月以降も支援活動を継続。スケジュールが確定次第、活動報告などで報告いたします。

同時進行で輪島塗などの日本伝統文化復興活動に注力しプロジェクトを実施していきます。企業や団体やインフルエンサーと連携し、復興までの長期プロジェクトとして実行します。

資金の使い道

穴水町美麻奈比古神社の被災修繕および同社を拠点にした地域の支援活動に全て使用させていただきます。

LINEグループ「令和6年能登半島地震東京山側ボランティアグループ」では、支援活動報告会などを実施。私たちの復興プロジェクトに賛同していただける方はぜひグループにご参加ください。(3月10日時点で73名が登録)


四柳 嘉章先生 コメント

「元日の能登半島地震によって美麻奈比古神社本殿は基壇が崩落し、拝殿も傾斜。斎館は使用不能に陥りました。境内は9基の石燈籠や歌碑、玉垣、狛犬などが転倒し神々しい神域の景観が一変しました。当社は全国唯一の神社名をもつ古代の延喜式内社を継承。石川県における最古級(平安時代中期)の木造ご神像が鎮座する能登を特色づける神社の1つです。奥能登はユネスコ無形文化遺産に登録された田の神神事アエノコトや訪来神アマメハギはじめ古い民俗行事や神事が継承されており、信仰心の厚い土地柄です。祖先が守り伝えてきた精神文化を大切にし、地域の発展と平和を祈る核としての神社の復興は、地域の再興に欠かせないものと思っています。」


活動拠点となる美麻奈比古神社について

当社は全国唯一の神社名をもつ古代の延喜式内社。石川県における最古級(平安時代中期)の木造ご神像が鎮座。

古代能登には大陸からやってきたと伝える神様が目立ち、ハイテク半島と呼ばれるように、鉄・塩・陶器・漆器の生産が盛んで、他の半島とは一味違う個性的な所であった。当社の主祭神である美麻奈比古神、美麻奈比咩神は、製鉄が盛行した朝鮮半島のミマナ(任那、伽耶)から渡来した集団が祭った神とする考えが有力である。ヒコは名の語尾に付けられる男性首長や身分の高い男子の尊称で、ヒメは祭祀的に優れた女性をさした。古代では軍事的に優れた男性と卑弥呼のような祭祀にかかわる女性が共同して国の統治にあたっていた。二神は別々の社殿に祀られていたが、三間社流造の本殿が完成した天正9年に穴水城にあった白山神を合わせて、三神を同殿とした。本殿の妻組は派手で、手挟などの彫刻も豪華である。拝殿も格式の高い格天井の造りとなっている。

穴水保は中世、崇徳上皇の御影堂領であり、当社は上皇の勅願所であった。近世穴水郷36ケ村の総社として崇敬され、「穴水神社」「能登の国津神宮」とも呼ばれた。春祭りは「お頭祭り」ともよばれ、古くは36カ村より頭人が選出され、厳重な潔斎のうえ種々の神事が執行された。お頭は昭和40年代まで川島区4人1組でおこなわれたが現在は中断している。しかし祭礼は乙ケ崎海岸の火宮神社で神迎えをし、乙ケ崎区の獅子舞が先導する古い形を現在も継承している。元禄7年以降のお頭帳が現存し、当(頭)屋祭研究の重要史料となっている。また新たに氏子入りした花嫁が参拝する「ゲンゾ」参りも著名。秋祭りはキリコ(巨大奉燈)と山車15台ほどが入り乱れて秋の夜に競演する能登では珍しいもの。

主祭礼日 春季例大祭 4月第3土曜日 秋季例大祭 9月第2土曜日


▽ 文化財

ご神像(平安中期) 石川県最古級の木造神。幞頭とよばれる冠をかぶり、袍を身に着けた坐像。袖に手をかくして笏を持つ拱手の形。太く大きな目と鼻、真一文字の口に厚い上唇、縦長の大きな耳が特徴で、簡素ながら神秘的な風格をかもしだしている。面奥が深く、目を深く掘り出さないなど古様な点が多い。

三番叟図額(寛文4年)翁姿の神が舞う三番叟の動きのある表現は絵画的に優れ江戸時代前期の代表作。手にもつ日の丸扇は天下泰平や五穀豊穣を祈るもので、日の丸のルーツを取り上げた書籍には必ず掲載されるほど著名。

立花図額(寛文4年)花器(薄端)に高く大きな松を立て、中心に椿、まわりに梅、水仙、姫榊、小潅木などが配されている。国内では数枚しか現存しない貴重なもの。

三十六歌仙図額 (寛文4年) スギ板に三十六歌仙とそれぞれの和歌を上部に配する。奉納にいたる経緯を記した文書が残されており、江戸前期の貴重な例。

以上のほか多数の文化財を有しており、詳細は『美麻奈比古神社の歴史と文化財―奥能登の祭りと文化財』(四柳嘉章著)参照。

▽ 宮司プロフィール

四柳 嘉章
1946年 石川県生まれ。
國學院大學史学科卒業。歴史学博士。
現在、石川県輪島漆芸美術館名誉館長、漆器文化財科学研究所長、美麻奈比古神社宮司。
専攻、漆器考古学、文化財科学


<募集方式について>

本プロジェクトはAll-in方式で実施します。
目標金額に満たない場合も、計画を実行し、リターンをお届けします。

  • 2024/04/20 08:00

    元日の能登半島地震によって美麻奈比古神社本殿・境内が激しく被災し、神々しい神域の景観が一変しました。神社の復興は地域の発展と平和を祈る核として欠かせないものです。しかし氏子の大半が被災した中、今般クラファンを通して皆様のご支援をお願いしてまいりました。結果、目標達成率105%(1,575,55...

  • 2024/04/12 17:46

    この度は、プロジェクトをご支援いただきまして誠にありがとうございます。四柳先生から美麻奈比古(みまなひこ)神社境内の桜がようやく咲き始めましたと連絡がありました。被災した「のと鉄道」の復旧も進んでおり、能登中島から穴水間が復旧したとのことです!3ヶ月ぶりの運行再開で、能登半島復興が少しずつ進ん...

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