シンボルを失った能登半島を輪島塗で照らしたい

石川県輪島市杉平町、田谷漆器店の田谷昂大(たやたかひろ)と申します。
ページをご覧いただきありがとうございます。

令和6年能登半島地震では、僕たちの拠点となる石川県輪島市も大きな被害に遭いました。能登半島はこの地震により、全体で壊滅的な被害を受けました。能登を象徴するほとんどシンボルが被災しました。復興の道のりは、非常に長く険しいものとなります。倒壊した工房から救出された道具と漆器


田谷漆器店は200年以上の歴史を持つ輪島塗の製造販売店です。今回の地震の影響により事務所棟・工房が全壊し、地震後の大火事により、新しく建設中のギャラリーは僕の目の前で焼け落ちました。新設のギャラリーは2月末にオープンを控えていました。

朝市通り近くの、新しく建設中だったギャラリー

壊滅的な状況の中で、たくさんの方から励ましのお言葉をいただき、多くの方に支えられていることを実感しました。能登半島は道路が分断されれば、陸の孤島と化しますが、人との繋がりを実感しています。皆様からのメッセージや、ご支援、応援は、前に進む原動力になっています。ありがとうございます。 


今回の地震でお亡くなりになられた方、家族を失われた方、怪我をされた方、沢山の悲しみがあると思います。心からのご冥福をお祈りすると共に、能登半島の一員として能登の復興を心より願っております。

このような状況下でも、生き残り、動ける僕らは地震に負けず、立ち上がらなければなりません。

朝市通りや輪島塗、豊かな自然風景や歴史ある建物など能登を象徴するもののほとんどが被害に遭い形を無くしてしまい、シンボルを失った能登を、輪島塗の復興で少しでも明るくしたい、そして能登の一員として、輪島塗を通して、能登の「創造的復興」に貢献したい思いで、このプロジェクトを立ち上げました。輪島塗の復興を、自分たちで力強く前に進めて行くと同時に、復興に対して同じ夢を見てくださる皆様に、応援をしていただきたいです。

田谷漆器店のこと

田谷漆器店の創業は、文政元年(1818年)です。創業者である田谷喜兵衛がいつ創業したか定かではなく、喜兵衛の亡くなった年を創業年としています。それ以来、輪島塗を作り続けてきました。

祖父は、料亭や百貨店への販路を開拓し、父はオンライン販売や文化財の修復の道筋を作りました。私は法人向けの輪島塗や海外への販売に注力しています。また、祖父、父、私のどの事業も現在は田谷漆器店の主力です。

常に伝統的な輪島塗の技法を大切にしながら、新しいものに柔軟に対応してきた漆器店だと思っております。伝統的な製法には忠実に、しかし販売方法や見せ方を工夫して時代を生き抜いて来たと自負しております。田谷漆器店には若い職人も多く、またフリーで働く若手職人との連携も強いです。なんとか、若手の仕事をこの地震に負けず守りたいと考えています。 

「創造的復興」

創造的復興とは、地震前の水準に戻す事を目指して進むのではなく、地震前より高い水準をゴールに復興を成し遂げる事だと思っています。輪島塗復興の高い水準とは、ただ壊れた建物を作れば良いと言う事ではないと考えています。

立派な建物があっても、お客様が輪島塗への理解を深められる事、より魅力を感じてもらえる事、使いたいと思ってもらえる事が欠如していれば、意味はないと思っています。

沢山の人が能登に来て、能登の風土を楽しみ、料理や人との交流を楽しみながら、伝統工芸の輪島塗を楽しんでもらえる、そんな復興を目指して行きたいです。そして、壊滅的な被害が起きてしまった今、能登の良さをそのままに、新しくより魅力が伝わる能登をみんなで作っていけると信じています。


創造的復興は、抽象的な言葉ですが僕たちの想いとしては、輪島や能登が震災前よりも魅力的なまちになっていくことを意味していて、ここは長い目で見て、時間をかけてゆっくりとビジョンを描く必要があると思っています。
それと同時に輪島塗に携わる企業としては、短期的によりスピーディに個々の事業者が復活する必要があります。

創造的復興のビジョンは、個々の事業者が復活出来てはじめて見えてくると思いますし、復興が進むにつれてビジョンが変わってくるかもしれません。なので、今の時点ではっきりと何を目指すとは言えませんが、長期的に目指すものと短期的に目指すものを同時進行していかなければならないと思っています。


輪島や能登が復興するには何年もかかると思いますし、何をもって復興した、と言うのかもわかりません。何年もかかって復興していく間に、皆様に忘れられたくない、この思いが強くあります。なので、長期的に、創造的な復興を目指す僕たちと一緒に、輪島塗の復興を見守っていって欲しいです。輪島塗のことを忘れないで欲しいです。

そのために今回のプロジェクトを立ち上げました。

輪島塗のこと

輪島塗は、国の重要無形文化財に指定されています。

ベースには国産木を使用し、下地から上塗りまでを天然漆によって仕上げます。下地には、布を木地に貼って強度を高める布着せ、珪藻土を漆と米糊と混ぜて3回塗布する本型地技法が含まれ、下地の強さが特徴です。

私の輪島塗の考え方として好きなところは、弱い下地の上に何度も漆を重ねても、「強い漆器」はできないと言うところです。強固な基礎の上に、職人の手によって生み出される繊細な漆の肌は、至高の漆器と呼べると手前味噌ながらに思っています。

そして、1つの輪島塗を作るのに124の細分化された工程と、6人から7人の職人が必要です。工程ごとにプロの職人がいることにより、より質の高い漆器が作れると考えています。また、加飾も輪島塗の特徴の一つです。加飾とは無地の器に装飾を加えることで、無地でも美しい輪島塗がより美しくなります。加飾には、蒔絵、沈金、呂色の3つが含まれます。

無地の日用品としての輪島塗の魅力、加飾を施した美術工芸品としての輪島塗の魅力、これほどまでに人々を楽しませるラインナップの広さは、輪島塗の自慢です。天然漆で仕上げる輪島塗は、抗菌性があり、持ち心地と口当たりは抜群です。吸い付くような柔らかい質感は、天然漆独特の肌です。

唯一と言われる自然由来の塗料漆は、塗料として最高峰に君臨すると考えられています。伝統的な製品ではありますが、機能性は抜群で、小学生の社会化の教科書では、「堅牢優美」と喩えられます。強く美しい輪島塗を、現代の人々にも、後世の人々にも楽しんでもらいたいです。そのために、我々は地震に負けずに前に進みます。

災害に耐えた輪島塗をリターンに

皆様からのご支援は、長期的な、創造的復興を共に目指す気持ちとして受け止め、その御礼に「震災を免れた縁起の良い輪島塗」をリターン品としてお手元にお届けいたします。

地震で倒壊した田谷漆器店の建物からは、震災を免れた輪島塗が救出されました。大きな傷なく救出されたものも多くあります。災害にも耐えた縁起の良い器とも言える輪島塗は、田谷漆器店以外の他の漆器屋さんからもたくさん救出されています。

今回のプロジェクトでは、田谷漆器店や輪島市内の漆器店で地震の被害を免れた輪島塗をリターン品として皆様の元へお届けします。(修理が必要なものは修理を施します)

田谷漆器店から救出された輪島塗

地震直後から、日本各地より励ましのメッセージをいただく中で、「助かった輪島塗を購入したい」「傷があっても構わないから残っている輪島塗が欲しい」などのお声を多くいただいてきました。

少しずつ従業員や職人たちの生活が落ち着きを取り戻しつつある中、そして余震もおさまりつつあることから、倒壊家屋からの救出作業を行い、たくさんの輪島塗が無事に助け出されました。他の漆器店からも同様の状況を聞いています。

工房が全壊したため、今すぐには新しい輪島塗を作ることができない状況の中無事だった輪島塗を皆様にお届けすることで、長期的な復興を目指す輪島塗の業界全体を、いつまでも覚えていてもらえるのではと考えています。震災前、漆を乾かすための「風呂」の中の輪島塗

そして、震災を免れた輪島塗であることの証明として、オリジナルのロゴマークを製作中です。壊滅的な被害をもたらした地震が、輪島や能登をより魅力的なまちへと復興させるきっかけとなったことを、皆さんの心に刻んでいただけるようなものを、グラフィックデザイナーと考案中です。

ロゴデザインは、プロジェクト公開後の活動報告などで随時お知らせしていきます。

リターン商品詳細

現状では、どの漆器店からどんな輪島塗が救出されているのか、まだ情報が精査できていない状況です。輪島塗企業の復活へ向けて、一刻を争う状況の中で、皆さまには「お手元に何が届くかはお任せ輪島塗」のリターンをご用意させていただきます。

輪島市内には100件ほどの輪島塗事業所や店舗があり、1万人以上が輪島塗に携わっています。各お店により被害状況が異なり、被害の程度もまだ全容が見えきらない中ですが、輪島塗の復興をきっかけに能登に明るさを取り戻したいと考える方も多く存在します。リターン品は田谷漆器店、復興を目指す全ての漆器店から救出された商品をお届けします。厳しいルールのもとで製造された伝統的工芸品輪島塗としての品質は保障いたしますし、金額に相応しい品物をご用意いたします。

※300,000円以下のリターンにつきましては、各漆器店の在庫状況により何が届くかはお楽しみとさせていただきます。(写真はイメージです)
※500,000円以上のリターンにつきましては、ご家族構成やご希望をお聞きした上でご用意させていただきます。

リターン商品イメージ(一例)

ぜひ、届いてパッケージを空ける瞬間をお楽しみに、お待ちいただけたらと思います。
(各漆器店により出せる商品が異なるため、同じ金額でも異なる商品が届きます)

スケジュール

おおよそのお届け目安は、プロジェクト終了から2.5ヶ月を目指します。

震災からの復旧の遅さや、余震等により、スケジュールに変更が出る場合もあります。また、想定以上のご支援があった場合も遅れが出る場合もあります。その際には、必ず活動レポート等でご報告いたします。

資金の使い道

皆様からのご支援は「震災を免れた縁起の良い輪島塗」へと形に変えてお手元にお届けいたします。

たくさんの輪島塗が倒壊家屋から救出されているにも関わらず、輪島の壊滅的な状況から、各漆器店共通の悩みとして、これまでの販路での販売ができない状況があります。今回のプロジェクトでは、長期的な輪島塗業界の復興ビジョンを描きながら、同時に企業としての短期的な復活を目指しています

最後に

この度は、弊社のプロジェクトページをご覧いただきまして、誠にありがとうございます。

能登半島は、地震により壊滅的な被害を受けました。

テレビや新聞で報道されている通りの現状ですが、報道されている箇所が一部ではありません。能登半島全体で報道されている状況が起きています。

奥能登の輪島市、珠洲市、能登町は、まち全体が壊れてしまっています。また、漁業、農業、観光業、輪島塗、能登に関係する地場産業は全て事業をすることすら、できていません。

能登のシンボルだった、軍艦島、窓岩、千枚田、朝市…

形がなくなってしまいました。


僕は能登に携わる人間の1人として、能登半島全体の復興を願っています。

そして、自分にできる事は、輪島塗を通して能登の復興に携わる事だと思っています。だから、諦めません。必ず、無くなってしまった工場も、ギャラリーも事務所も再建します。そして、輪島塗メーカーとして戻ります。


そんな中で、皆様にお願いがございます。

田谷漆器店は、前に進みたいと切に願っています。

現状の大変さや危機だけを伝えて、皆様から同情的なご支援を頂くよりも、ご支援を頂いた皆様と共に「創造的復興」の夢を追いかけたいと思っています。常に前向きに進みます。もしかすると躓くかもしれません。しかし、真摯に取り組む復興のプロセスを皆様にお見せする事で、恩返しをしたいと思っています。

この田谷漆器店の夢に賛同していただける方に、ぜひ輪島塗業界全体を応援していただきたいです。そして、この地震を機に、皆様と一緒に、輪島塗に「新しくも普遍的な価値」を、付け加えたいです。

まだどこがゴールかわかりませんが、田谷漆器店は全力で進みます。その進む姿を応援して頂けますと幸いです。

ありがとうございました。



<募集方式について>
本プロジェクトはAll-in方式で実施します。目標金額に満たない場合も、計画を実行し、リターンをお届けします。

  • 2024/04/01 20:55

    ご支援いただきました皆さまこんばんは。3月31日をもちまして【輪島塗を能登復興のシンボルに。創造的復興をともに目指したい】プロジェクトは無事に終了いたしました。皆様からたくさんのご支援をいただき、目標を大きく上回る結果での終了となり、大変有り難く思います。救出された輪島塗から皆さまのお手元に届...

  • 2024/03/29 16:50

    こんにちは。The Three Arrows事務局です。しばらく間が空いてしまいました。3月に入り、少しずつ状況に変化が生まれています。現在、田谷漆器店の敷地内に大阪の会社様からご支援いただいたトレーラーハウスを設置中です。私たちの事務所としての機能だけでなく、輪島で避難生活を送る方々が自由に...

  • 2024/02/28 19:24

    皆様、こんばんは。たくさんのご支援をありがとうございます。先日から工房の中にあったものを運び出し、ほとんどのものが安全な場所へ移動されました。画像は作業中のもので、ぐい呑みの木地で下地塗りが終わったものです(この後、研ぎの工程を経て中塗りが施されるものです)田谷漆器店の商品で壊れてしまったもの...

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