▼こんにちは、佐谷恭です。
こんにちは!佐谷恭です。今年の3月まで世田谷区経堂にあった世界初のパクチー料理専門店「パクチーハウス東京」のオーナーをしていました。お店を開く前は「パクチー専門店?なにそれ?!ありえない」と言われ続けたにもかかわらず、強烈なパクチー愛と執念でパクチー普及に“全緑”を尽くし、毎日満員のお店にすることができました。応援していただいた方々には本当に感謝です。10周年の直後に電撃発表で閉店を告げ、その89日後の3月10日にお店を閉鎖したあとは国内外でパクチーとパクチー料理の普及やパクチーハウスをポップアップ営業しています。「無店舗展開」と呼んでいます。また、東京初のコワーキングスペース「PAX Coworking」の創業者でもあります。
店の仕事のほかには、ランニングでも事業化に成功。毎月100キロ走った社員にはランニング手当(8900円)を出していましたし、自分もランニング歴は8年を超えました。自らのチャレンジとして月間300キロを現在20ヶ月連続で達成中。メドックマラソンに8年連続で出場のほか、サハラマラソン、バイカルアイスマラソン(シベリア)、北極マラソンなど、いわゆるエクストリーム系のウルトラマラソンを経験して世界の極地を旅しています。また、スタートを決めず、コールだけを決めるというユニークな「シャルソン」をいうイベントを発案し、まちおこしイベントとして普及。6年間で全国で200回ほど開催されています。
時代を遡れば、大学時代は旅に魅了される日々でした。多くの魅力的な人と出会い非常に刺激を受けましたが、出会いより「再会」がより重要と気づき、当時まだ利用者の少なかったインターネットを再会と日常(オフライン)を豊かにするツールとして捉え、情報発信と旅を続けてきました。やがて「つながり」を作ることが趣味となり、仕事となり、人生のすべてとなりました。常識の殻を容易に破ることができるのは、常識は時代と場所によって異なることを旅を通じて身を以て知ったから。経営者となり「ありえない」ことを十年やったら、「怖れ」と「疲れ」と「心折れる感覚」をなくすことができたのです。
▼このプロジェクトで実現したいこと
自分を少しでもいいから変えたい、今いる環境を少しでもいいから変えたいと思っている人に、「怖れ」「疲れ」「心折れる感覚」をなくすために必要な気持ちとノウハウを記した書籍(書き下ろし+共著で書いた『つながりの仕事術』洋泉社新書の1部を再録)を発行して、それに共感してくださる方々とコミュニティを作りたいと思っています。
アウトプットとしては「書籍の刊行」がメインですが、真の目的は自分らしく起業したい人のコミュニティを作ること。そして、「いつか・・・」と思っている人が実際に自分の意思で生きるよう促すことです。より多くの人に僕の気持ちを伝えるために、クラウドファンディングという形を選びました。
▼プロジェクトをやろうと思った理由
人からよく「尖っている」と言われるのですが、僕自身はそんな自覚はありません。ただ、僕を目指して集まってきた人とのつながりや、お客様同士のつながりを意識してきただけのことです。そして、自らの意思でパクチーハウス東京に区切りをつけたことで多くの時間を手にし、自分の仕事観、起業術を整理することができました。
今回、自分の仕事観を思い切り表現した書籍を発行し、その本を教科書として起業・独立を希望する人たちへのセミナー、起業したい人たちの相談にのることで、新たな一歩を踏み出すことのお役にたてることができると思いました。僕の仕事観に共感した人たち、仕事や人生でブレイクスルーを起こしたい人たちとコミュニティを作りたいと思っています。このコミュニティが立ち上がり、つながりの力を感じて、ひとりでも多くの人が、自分らしい生活、仕事を見つけることを願っています。
▼僕の「つながり」の人生
僕はこんなつながりの人生を送ってきました。これからもたくさんのつながりが生まれるでしょう。今までのことを少し紹介します。
・パクチーハウス東京でこんなことをやってきた「つながり」
「追パク」で声を出させることに始まり、店内はアクションを起こすきっかけが満載。パクチーハウスでの出会いをきっかけに転職や起業した人、ファンを見つけた写真家やミュージシャン、一緒にアジア料理を食べる会をつくった人など枚挙に遑がありません。事例の多くを『89の証言集』でお客さん自らが語っています。コワーキングやシャルソンができたのも、パクチーハウス東京での「つながり」によるものです。
・PAXCoworkingでやってきた「つながり」
音楽アプリの「nana」など、投資を受けた一般的な成功例を挙げることもできますが、本当に大事なのは日々の変化。PAX Coworkingでの出来事がきっかけで会社を辞めた、事業を始めた人は300人以上。メンバーと常連中心に行なっていた「フルボッコ」の会では、事業開始前に複数人が遠慮なくダメ出しをすることでありきたりのアイデアを捨てエッジを効かせる勇気を事業家が得るようです。代表例は原宿のHappy Printers。
・ランニングでやってきた「つながり」
ワインを飲みながら走る酔狂なメドックマラソン出場から始まったパクチー・ランニング・クラブのメンバーが相互に高め合い、お客さんと店主でTeam PAXiとして砂漠を約250km走るサハラマラソンを完走しました。その後、多くのサハラ志望者が来パクするようになり、一部で「サハラマラソンの聖地」とまで言われるようになりました。世界で近年普及して来たステージレース制のウルトラマラソンの最初のきっかけをつくったとも言われるサハラマラソン創始者のパトリック・バウワー氏も来パク。
・サラリーマン時代の「つながり」
あまりに飲み会が多く毎日予定が入っていたため、サラリーマン当初は上司からの誘いを断らざるを得ませんでした。申し訳ないと思い、友人との約束に上司を連れていくなどしたことで、閉鎖的な飲み会よりオープンな会合が楽しくてアイデアが生まれやすいことに気づきました。相席はもちろん、パクチーハウス東京の店舗に仕切りがなかったのは、「愚痴を言わせない」ため。明るい店内では笑顔が伝播するのです。
・学生時代の「つながり」
旅先での出会いが楽しくて、しかも再会がより重要だとの認識から、旅先で会った人と再会できる仕組みとして世界最大の一人旅サークル(と言われていました)「海外放浪ネットワークBEENMAN」を設立。旅先のゲストハウスと同じような出会いと再会の空間を日本国内でも作れることを確認するとともに、世代や立場・国籍を超えた人とのつながりが人生を豊かにすることを、多くの人たちとともに実感しました。
・パクチーハウス東京閉店後の「つながり」
閉店から約半年間、つまりこのプロジェクトが終了する頃までは、パクチーハウス東京やPAX Coworking、そしてシャルソンを通じた20万人以上のお手伝いをすると宣言し、日々を過ごしています。2つの店舗を閉じるまで、毎日新たに刺激的な人たちと知り合う毎日でした。それはそれで楽しかったですが、そのまま続けていると「お客さんを消費してしまう」のではないかという危機感もありました。旅とさまざまな事業を通じて「出会い」より「再会」の価値を痛感してきた僕は、10年間で出会った人と再会し、何か一緒にやるための助走期間として捉えて日々を過ごしており、必要となれば日本中どこへでも、そして時々世界へ出かけています。
飲食店を営む知り合いも増えたので、彼らのお手伝いをしつつ、僕の非常識的(革新的とも言われますがこの言葉を好んでいます)な方法論を紹介。「パクチーハウス◯◯」という形でポップアップ営業やコラボレーション営業をしています。過去89日に、松陰神社、三軒茶屋、銀座、京都、名古屋などで開いてきました。また、僕自身の経験を多くの人に知っていただくため、月3から4回のペースで講演やワークショップをしています。元々旅が好きなので、基本的に呼ばれたらどこにでも行くことにしています。
▼電子書籍『89の証言』(Paxi Publishing)
パクチーハウスで体験したこと、考えたこと、感じたことを89人に語ってもらっています。2018年8月9日発売。購入はこちらから。
▼目標資金 189万円
・編集・印刷・製本:約130万円
・セミナー・起業相談・リターン実費:約20万円
・その他手数料
▼書籍概要
タイトル(仮) 【絶版新書】ありえないから繁盛店へ
世界初のパクチー料理専門店元オーナーが語る「本当の」つながりの仕事術
本文2色/四六版/160ページ(予定)
※書き下ろしに加え、すでに絶版になっている『つながりの仕事術』(洋泉社新書)より僕が執筆分の1章を再録。
▼スケジュール
2018年8月9日 クラウドファンディング開始
2018年10月1日 クラウドファンディング終了
2018年11月20日 書籍刊行 ※パクチーハウス11周年記念兼出版記念パーティ開催予定
2018年12月11日 書籍書店発売 ※パクチーハウス東京閉店告知から1周年
▼書籍の制作・出版・流通について
出版社は、東京・田園調布で小さな出版社を営んでいるソーシャルキャピタルさん。この会社を通して、全国の書店に流通させます。ソーシャルキャピタルは、トランスビューという書店さんと直取引によって新しい本の流通の構築にチャレンジされている会社を通して、全国の有名書店、オンライン書店に本をおいてもらっています。代表の吉田さんとは元大手出版社の編集者であり古くからの友人です。本プロジェクトの出版企画について制作・販売ともに了承済み。このプロジェクトの共同運営者になってもらっています。
・出版社ソーシャルキャピタルについて:英語教育書から中小企業オーナー本まで幅広いジャンルを手がけるほか、「かつて出された書籍の中に今読むべき本がある」とのコンセプトで「絶版新書」シリーズを立ち上げ、名著を復刊をしている東京・田園調布にあるひとり出版社。『広告に恋した男』(1984年刊)、『ランニング登山』(1986年刊)などの復刊本を発刊。ソーシャルキャピタル=社会関係資本の社名のとおり、書籍で人とのつながりが生まれることを喜びとして本作りをしています。
▼最後に
世界初のパクチー料理専門店を開くときにも東京初のコワーキングをオープンするときにも、各方面から「ありえない」と言われましたが、自分の信念を貫いた結果、今があります。今後も一般的にはありえないと言われようとも、真にしたいこと、必要だと思うことに次々チャレンジしたいと思います。
「いつか」と思いながら日々を過ごしてしまっている人の背中をドンと押し、自らの意志で生きる人を増やします。つながりを感じて、つながりを楽しみ、つながりとともに成長する、そんなコミュニティを作ります。共感していただける方はぜひ支援をお願いいたします!
最新の活動報告
もっと見る佐谷恭さんが千葉県鋸南町で新しいプロジェクトを始めました!!
2019/10/25 20:00『「ありえない」をブームにするつながりの仕事術』発刊にご協力いただいたみなさまへ皆さま、ご無沙汰しております。ソーシャルキャピタル吉田秀次です。この度『「ありえない」をブームにするつながりの仕事術』の著者佐谷恭さんが、新たなプロジェクトを始めました。下記をご一読の上、ぜひご支援をお願いいたします!ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー鋸南で新しいプロジェクトを始めましたこんにちは。佐谷恭です。10月から千葉県の鋸南町というところで新しいプロジェクトを始めました。ぜひとも遊びに来て欲しいのですが、まずは近況報告から。『「ありえない」をブームにするつながりの仕事術』のクラウドファンディングを終えてから1年以上が過ぎました。皆さまには昨年11月に書籍をお届けしましたが、今年の年初に一般発売が開始されました。「本が売れない時代」とは多くの人が口にするセリフですが、ありえないをブームにしたい僕は、売れないなら売ってみたいと思い、書店員さんたちに僕の存在を知らせるために書店めぐりシャルソンを始めました。出張その他で出かけた町で、空港やターミナル駅から走って書店をまわります。10月25日までで、その数378店舗となりました。著者が書店を訪ねたら、歓迎されると思うじゃないですか。僕はそう思っていました。しかし、ほとんどの本屋で、単なる営業マン扱い。「どんな本か」を聞く人は少なく「流通の話」か「返品できるか」だけを聞かれます。そこに著者がいるのだから、売るためのヒントを一緒に考えてもいいと思うんですが、仕入れその他の権限がほとんどなくルーチンワークに追われている書店員さんは思いの外冷たかったです。もう慣れましたのでめげずに通い続けてますが・・・笑とはいえ、実感値で15人に一人ぐらい、目を見て話してくれる人がいます。そういう書店員さんと一緒に、いくつかイベントをすることができています。書籍に関する講演を都内のほか、横浜・長野・神戸・平戸などで行いました。来月も徳島と高松で講演があります。関心のありそうな書店員さんがいればぜひお声がけください。2018年3月10日パクチーハウス東京/PAX Coworkingの店舗営業をストップしてから約1年半で、国内外合わせて約89カ所を訪ねました。その中で、縁がどんどんつながったのが千葉県の鋸南町というところです。10月から物件を借りて、週の半分を当地で過ごし、つながりづくりと準備をしています。鋸南エアルポルト(Kyonan AIR-port)というアーティストインレジデンスとコワーキング、シェアキッチン、本屋などの複合施設に仕上げようと思っています。鋸南という海と山に囲まれた風光明媚で、しかし人口が減り歩いている人をあまり見かけない町に、日本や世界から面白いひとを集めて、鋸南や南房総地域にいる人をゆさぶって、楽しいことが起こりまくる拠点にしたいと思っています。また、AIやロボットが次々に登場する時代。仕事の仕方を変えて、AIやロボットに仕事を献上して、人間にしかできない「遊び」をする人を積極的に増やすのが、鋸南エアルポルトの真の目的です。施設内にシェアハウスがあるので、事前に言っていただければ宿泊することもできます。心身ともにリラックスして、頭をクリアにして、次世代の世界を創る仲間が集積する場所でもあります。鋸南エアルポルトは、11月20日がグランドオープン。この日をゴールに2度目のクラウドファンディングを行なっています。◯◯応援団と書かれたプランは上記のシェアハウス3泊分の宿泊権もついていて、外部に宿を取るよりお得です。この機会にぜひ遊びに来てください。房総半島・鋸南町で、楽しく生きる人のコミュニティを創る!https://readyfor.jp/projects/kyonan-airportまた、継続して関わりたいという方のためにサポーター制度を設けています。こちらは希望者に別途ご案内しますので、関心ある方はご連絡ください( kyo.satani@gmail.com )。サポーターは15枠限定で、残り6枠です。長い文章を、最後までお読みいただきありがとうございました。みなさまと鋸南で一緒に遊べる日を楽しみにしています。株式会社旅と平和佐谷恭 もっと見る
パクチーハウス東京の原点:めぐろパーシモンホール
2018/10/01 08:27人との出会いも再会も偶然。その偶然が一人の人の人生を変えることがある。自分の身の周りにいる人は奇跡の出会いかもしれないとも思う。一期一会という言葉もそんなことを伝えているのだろう。つながりはいつも偶然と少しの勇気から生まれる。 以下は、佐谷さんの有料メルマガからの引用。超人気店にしたパクチハウス東京の原点がここにもある。 〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜 めぐろパーシモンホールの思い出 以下の文章は僕が出している有料メルマガの引用です。もう6年ぐらいやっているけど、あまり読者は増えません。まとまった文章を編集してきちんと出していません。ほとんど日記です。なぜそういうスタイルにしているかというと、まぐまぐ創業者の大川さんがかつて、「メルマガってのを雑誌だと思っている人がいるけどメールだから、気軽に読者が返事するものであるべきだ」という旨のことを書いていて激しく同意したためです。殴り書きだし駄文だけど、僕の行動がよくわかると思います。「つながりの仕事術」ってこうやって生まれてるってことが、8~9年ぐらい読めば分かります。 以下、9月30日配信分を一部引用: イベント自体も懐かしいのだけど、このイベントの打ち合わせに行く際に、目黒区役所近くの路上である人物に再会した。これがあとでパクチーハウスを作ると決めたときに決定的に大事な要素となった。再会したのは、張子賢さんという台湾人。僕がライブドアにいた頃、大好きで月1以上通っていた表参道にあった「ヤムチャイナ」という店のオーナーだった。店に行く度に親しくしてくれ本当に大好きな店だったが、建物の取り壊しで十数年やった店を閉じざるを得なくなった。移転先があったわけではなく、一人のファンとしてその店の閉店を惜しんだが、張さんの連絡先を聞くことはなかった。 その張さんが道端に偶然いたのだ。バッタリ会った。そして、連絡先を聞いた。当時彼は自由が丘に住んでいた。その2ヶ月ぐらい後、僕はパクチーハウスを作る構想ができた。その瞬間に存在していたメニューはヤンパクとぐちゃぐちゃが美味しい皮蛋豆腐だ。そして、ぐちゃぐちゃが美味しい皮蛋豆腐は、張さんの店にあったメニューだ。パクチーハウスのそれと違う点は、ヤムチャイナではネギを薬味として使っていた点。 あるとき、日本パクチー狂会の会合をヤムチャイナで開こうと思い、ヤムチャイナは打ち合わせに行った。僕は大好きだったぐちゃぐちゃが美味しい皮蛋豆腐に、パクチーをどっさり入れて欲しいと頼んだ。「なるほど、それは美味しそうだ」と二つ返事でOKしてくれ、当日パクチーをたっぷり用意してくれた。「日本パクチー狂会では、パクチーは薬味でなく主役ですよね」。そう言って出してくれたのは、のちにパクチーハウス東京で出てくるぐちゃぐちゃが美味しい皮蛋豆腐の姿だった。 これを是非出したいと思ったので、張さんに連絡をした。つまり再会できたためにその連絡ができるようになっていたのである。そして、本当に気持ちのよい接客をする張さんのスタイルを学びたいと思い、ぐちゃぐちゃが美味しい皮蛋豆腐という名前をそのまま使わせてもらう許可をいただくと同時に、 5回シリーズで彼に書道を教えてもらうことにした。彼は台湾料理店のオーナーであると共に書道家でもあった。ヤムチャイナで予約をすると、いつも達筆でしかも遊びごごろのある絵とともに、予約札を書いてくれていた。パクチーハウス東京で予約者に用意した札は、ヤムチャイナのパクりだ。 5回の授業で、書き方を教えてもらうというより、心構えを学んだ。張さんとの再会から連絡してまた会うまでの間に生まれたうちの長男の名前を大書するというのがゴールだった。毎回89分ぐらいの時間に、張さんの人生哲学の一部を聞き、ヤムチャイナであった経営のあれこれをいいことも悪いことも話してくれた。 話が随分それたが、めぐろパーシモンホールは僕にとってそんな思い出を思い起こさせる場所だ。 もっと見る
「カニちゃん」と僕の結婚式のこと
2018/09/30 13:38佐谷です。昨日はフラメンコギタリストのフアン・マニエル・カニサレスの来日公演に行ってきました。世界が注目するギタリストですが、縁あってご来パクいただいたこともあります。 出会いは14年前の今頃。僕自身の結婚式でした。 カニサレスの演奏は素晴らしく、というか圧倒的で、ギターからあんな音が出るのかという感じ。また、クインテットの歌も踊りも僕のボキャブラリーでは本質を表しきれないのでここに書くのはやめておきます。ぜひ検索してインタビューを探して、アルバムも買ってみてください。 結婚式になぜそんなギタリストが来たのでしょうか。僕の妻の同級生が、カニサレスの奥さんだからなんです。結婚式はポルトガルのロカ岬で行いました。カニサレスと奥さんは、マドリッドから車で来てくれました。 その時は彼がどんなギタリストか知らなかったので・・・前夜祭では「ギタリストらしいね!」なんて気軽に声をかけ、当日も特別に奏でてくれたのを聞いて「さすがやな、めっちゃうまいな!」なんて皆んなで“カニちゃん”を褒めそやしました。 10年以上前ですが「日本でライブするから来てよー」と言われ、そのチケットを取ったときに気づきました。会場がブルーノートだったのです。すごっ! その後注目させてもらっていますが、フラメンコの世界にとどまらず、ベルリンフィルハーモニーをはじめとして世界のオーケストラとも共演するような存在になりました。まさに大御所。来日するたびに、一ファンとして、“カニちゃん”と呼べる友人なのをちょっと誇らしく思いながら、聴きに行っています。 ーーーーーーーーーーーーーーーーーーー せっかくなので結婚式について少し書きましょう。それはまさに「つながりの結婚式」と呼ぶべきものでした。直前にイギリス留学をしていたのでイギリスから来た友人たちがいて、それまでのアジア・ヨーロッパへの旅で会ったヨーロッパ人たちが、それぞれのホームタウンからやって来てくれました。日本からも兄弟家族以外に多数の友達が来てくれました。 学校の同級生、仕事で知り合った人、居酒屋でたまたま隣だった人、そういう人を常につなぐ飲み会をやっていたので、いろいろな種類の人たちが集まる会合に意味もわからず出席すると、想像もつかない面白いことが起こると身体で知っていた人たちです。ツアーでもなく、現地集合。58人もの人が集まってくれました。 ロカ岬で結婚式をした理由は、そこがユーラシア大陸の最西端だからです。僕はそれまでに、ユーラシア大陸を1人旅で3度横断していました。妻は、スペイン語が専攻で、スペインへの留学経験がありました。僕は一人旅を終えて二人旅になる記念として、ユーラシア大陸の端に立ちたいと思いました。妻は、いつかスペイン語圏である中南米で仕事をすることがあるかもなということでした。これからの生活を、ロカ岬から大西洋の先に望もうというのが、その場所を選んだ理由です。 もちろん、ロカ岬は結婚式場でもなんでもないのですが、関係各所の協力を仰いだほか、参列してくれた友人たちのアイデアを加えて思い出に残りまくる結婚式となりました。そこで出会った友人同士が、その後世界各地で再会しているという報告をいくつももらっています。最西端までわざわざ飲み会をしに行ったメンバーという強固な絆ができました。 もっと見る
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