


1976年山本萌が「正面の衣裳」をもって土方巽の暗黒舞踏派・白桃房より独立して金沢舞踏館を設立する。後に白榊(しらさか)ケイが参加し活動が広がる。2人で振付け・演出を手がけ、1999年よりヨーロッパで作品を制作するなどButohの海外普及にも努めている。2024年は10月にアメリカのイェール大学にて、土方舞踏の舞踏譜の研究の為の「Butoh Scores」にワークショップとパフォーマンスで参加する。11月金沢・シアター21にて「闇夜の子守唄」公演を行う。
舞踏の創始者・土方巽の最後の弟子である正朔が、土方巽に教えられた事、土方巽の様々な技法や文献から読み解き独自に発展させてきた舞踏について書き溜めた文章を纏め、初...
東北から世界へ発信する演劇!! 東日本大震災から活動を開始した東北在住の劇団 短距離男道ミサイルが活動6年目を迎え、更なる飛躍を誓い、決意のクラウドファウンデ...