クラウドファンディング50%達成致しました。皆さまがこのプロジェクトを応援してくださるお陰で多くの方の目に触れ、ここまで来ることが出来ました。
終了まで2週間を切りましたので、これから私の想いなどを出来るだけ綴っていこうと思います。共感や行動の種となれば幸いです。
世界をほんの少し暖かくする方法。
今日は「世界をほんの少し暖かくする方法」をお話させてください。
本当は「世界を平和にする方法」と書きたかったのですが、どこかスケールが大きすぎて身の程に合わないと感じたので「暖かくする方法」とさせていただきました。
世界を暖かくする方法、それは
「思い出すこと」だと思っています。
嫌韓、嫌中、世界を知らずに罵る私
私の海外デビューは大学1年生の夏。海外に対し昔から興味はあったものの、日本の外に初めて出たのは19歳の頃でした。
家族で海外へ、なんて余裕も文化もない家庭でしたので、初めての海外は一人旅となりました。
東南アジアに滞在する中で、アジア各国の人々と触れ合うことになります。
その多くは中国人と韓国人。特に韓国人の若者の多さは目を見張るものがあり(人口は日本の半分程度にもかかわらず)、結果韓国人と多くの時間を共にするようになりました。
毎日のように韓国人の友達と過ごしているうちに、彼らと過ごす日々はかけがえのないものになっていきます。私も彼らが大好きですし、彼らからの愛も感じられる日々でした。
そんな中ふと頭をよぎったのは、日本で眺めていた反韓報道と、その時、画面越しに韓国人を罵る自分の姿でした。
政治のことなんて興味もない。日本の外には出たことない。
そんな何も知らない私が、画面越しの知らない国の人達に怒り、罵る。
ネットやニュース記事のコメント欄には毎日のように、目も当てられないような反韓コメントが書き込まれ、さらに私の空回った正義感はそれらを心中で良しとしていました。(中には災害や事故を喜ぶようなものまで)
私は19歳で海外に初めて出て、異なる国の新しい友達が出来ました。彼らとの時間が濃くなればなるほど、そんな自分の過去が、恥ずかしくてどうしようもなくなりました。
話したことも、触れたことも無い人たちを一方的に悪だと決めつけていた、馬鹿な自分を。
世界と触れたが、お前に何ができる。
それからというもの、無知による自分の醜さを噛み締め、アジアを数か国周りました。そしてアフリカにも訪れました。
タンザニア、フィジー、フィリピン、タイ、マレーシア、韓国、、、。たくさんの国の友達ができ、そんな友達がまた私の知らない国の話をしてくれました。
訪れた国、話を聞いた国、写真を見た国、憧れの国。
私の世界が一気に広がっていきました。
そして災害や事件など、そんな国々の不幸を耳にすると、なんだかいてもたってもいられなくなります。滞在経験があれば尚のことですが、訪れたことのない友達の出身国や、話に聞いた国でも同様です。
そんな時私にできることは、安否の連絡を入れることと、足しにもならない額の募金をすることしかありません。無力だと思っていました。
2016年、熊本地震。
20歳の春、熊本で大規模な地震が発生しました。関東に住んでいる私に直接的な被害はありませんでしたが、知り合いは被災しました。私は特に為す術もありませんでした。
そんな中、日本人である私以上に、想いに駆られて動いてくれたのは、昨年出会った韓国人やフィリピン人、世界の友人たちでした。
「地震があったようだけど生きてるか!」
「何か必要なものがあれば言ってくれ」
「支援金を振り込みたいのだけど、どの機関ならお前まで届くんだ」
「日本人を助けたいんだ」
思い出してくれて、ありがとう。
「思い出してくれて、ありがとう」
送られてくる数々のメッセージに、素直にそう思えました。
そして友人たちのそんな言葉は、私に一歩を踏み出させました。
日本人である私が動かなくてどうする、と思い支援金や物資を送ったりと、自分に出来ることを実行することが出来ました。
思い出してくれたこと。それだけで、私は幸せを感じ勇気をもらいました。
人生に一度でいい、想い馳せる国を。
異国の友人たちが、私を、日本を思い出してくれた。
そのことがこんなにも嬉しいとは思いませんでした。その後の私の行動が熊本の人を救えたかは分かりませんが、熊本に想いを馳せるきっかけをくれたのです。
私の世界をほんの少し暖かくしてくれたのです。
長くなりましたが、やっとたどり着きました。
思い出すためには、知ってもらわなければ。
アフリカは日本人にとって、最も未知な大陸と言っても過言ではありません。
依然渡航者は少なく、54ヵ国も存在するその大陸の内情はあまり知られていません。
知られていないと、どうなるか。
何かあっても思い出してもらえないのです。
どこに助けを必要としている人がいて、どこに今にも死にそうな人がいるのか。
アフリカはどこでも貧しいでしょ、では話にならないのです。
そして何かあっても、の「何か」とは決して悪いことだけではありません。
日夜新たな発展と共に目を覚ますアフリカを世界は知りません。
何か技術革新があっても、才能溢れる人材が出てきても、世界の関心が向いていないので、思い出してもらえないのです。
日本人の知らないアフリカにもっと目を向けて欲しい。いつか想い馳せる国の一つに。そんなきっかけをこのプロジェクトでは目指しています。
今回は私の恥ずかしい過去のお話とこのプロジェクトの根幹にある想いを綴らせていただきました。
このプロジェクトを通して日本の人々に、「なんだかアフリカ面白いなあ」「こんな世界が広がってるのかあ」なんて思ってもらえたら嬉しいです。
いつか何かあったときに、ふと思い出してもらえるように。
そして世界がほんの少し、暖かくなるように。