クラウドファンディングも明日で終了というところまで参りました。皆さま、長い間応援してくださりありがとうございます。最後まで想いを届けてまいります。今日は先日発生したテロについて、筆を執ります。発生地域はケニア首都ナイロビ。15日、テロ組織アルシャバーブとみられる武装集団が首都ナイロビに位置するオフィス街を襲撃、現在21名の死者が出たとの報道がされています。そして、このケニア首都ナイロビは、今回のプロジェクトで訪れる地域であります。テロがあっても仕方ない場所、アフリカ。ケニアでテロ発生、という情報はまずケニアに住む日本人らのSNSから飛び込んできました。襲撃に遭った場所はホテルやオフィスが立ち並ぶ地域で、多くの日本人も滞在しています。この事件を知ったときまず思ったことは、現地にいる知り合いの身の安全です。すぐさま連絡し、無事を確かめることが出来ました。そして次に思ったこと、それは「またアフリカが危ない場所として認識されてしまう」ということでした。事件の起きる前、こんな記事を書きました↓日本に来て初めて母国が貧しい国だと知った、というお話。ケニア人留学生が日本に来て初めて「ケニアがかわいそうな国」だと知った、というお話です。今回のような事件で、さらに「アフリカのイメージ」が決まっていってしまうのだろうな、と悲しい気持ちになりました。あたかも今回のテロが54ヵ国存在する「アフリカ大陸全土」で起きた事件かのように。また一つ、彼らの魅力が隠されてしまった。そう思うと悔しくなります。テロ地域に行くのではない、アフリカ10ヵ国に行くんです。テロが発生し、色々な方からご心配の声をかけていただきました。「アフリカでテロがあった見たいだけど、大丈夫?」「今、アフリカが危ないようだけど、気を付けてね。」「やっぱり治安が悪いんだねアフリカは、、。」皆さま、こういう時ふと私を、アフリカを思い出してくれて本当にありがとうございます。とても暖かい気持ちになります。ただ、テロが起きたはアフリカのケニアという国の首都ナイロビの郊外です。アフリカのどこかでまたテロが、、。ではなく、傷を負った地域、人をしっかり知って頂かなければと思いました。そして私が2週間後向かう先は、「テロ地域」ではなく「アフリカ大陸」です。滞在予定の10ヵ国には確かにケニアのナイロビも入りますが、残り9ヵ国は全く別の国です。そのほとんどは治安もよく、プロジェクトに支障をきたすことはないかと思います。このように世の中では、ざっくりイメージで捉えられてしまいますので、やっぱりアフリカ=テロなのか、と認識されてしまう可能性があります。こうして確かにそこに存在するはずの「本当のアフリカ」が、またテロの影に隠れて見えなくなってしまう。テロの国、紛争の国、飢餓の国。またそんな代名詞として「アフリカ」が語られてしまう。そんな今だからこそ、私は行かなければならない、と思いました。ケニアの現実を伝えるために。そして事件に負けないくらいの、現地の魅力を発信するために。事件を受け、今プロジェクトの想いを再確認致しました。テロに立ちむかう、なんて大逸れたことは言えないのですが、アフリカの人々が本当に世界に知ってほしい現実をしっかり捉え、発信していこうと決心致しました。改めてプロジェクト実施の意思と、身の安全を確保した旅にすることを皆様にお伝えさせていただきました。これからもよろしくお願い致します。この度ケニア襲撃にて被害に遭われた方々、近隣に滞在する日本人の方々、もし何か力になれることがあればご連絡下さい。2/2に日本を経ち、2月中旬頃にケニア入り予定です。
クラウドファンディングも残すところ1週間を切りました。最近連日でこのようなちょっとした記事を書いているのですが、SNSなどを通じてコメントを頂けるようになりとても嬉しいです。夜中、一人でPCを叩くこの時間も皆さんとの対話のような気がして、なんだか暖かい気持ちになります。さて、今日は活動を共にする仲間から聞いたお話をシェアさせてください。日々目まぐるしいこの世の中で、いったん止まって考えてみる、そんなきっかけになればと思います。日本に来て初めて母国が貧しい国だと知った。私の知り合い(女性)は、アフリカ好き仲間の一人で、現役大学生。ケニアに留学経験のある彼女はスワヒリ語(東アフリカで話される言語)が堪能で、現地ではもちろん、日本へ来たアフリカ人留学生とも接する機会が多いようです。ある日、彼女からこんな話を聞きました。ーーーーそれはある日の大学での出来事。彼女のもとにケニア人留学生の女の子が駆け寄ってきました。「ねえ聞いて、ケニアって貧困国なんだね」そしてケニア人留学生は続けます。「今、開発学の授業を受けてきたんだけど、私の母国ケニアが”貧しい国”として取り上げられていたの。私、ケニア人だけど、母国が貧困国だって知らなかった。」ーーーーといったお話。私の友人はこのちょっとした出来事に、深く考えさせられたといいます。私の国って可哀そうな国なんだ。私もこの話を聞いた時、なんと言ったらいいか分かりませんでした。そのケニア人留学生の気持ちを推し量ることは難しいですが、アフリカに関わる身として考えなきゃいけないことだと感じました。OECDが定める開発途上国に名を連ねるケニアは、貧困国であることに変わりはありません。ただ彼女(留学生)にとって、留学先の日本で目に映る母国(ケニア)が、全て”貧しい国”の姿だったら、悲しいなあ、と感じました。おそらくそのケニア人留学生が経験してきた母国の姿と、日本で目にするケニアの姿の間には大きなギャップがあるように思えました。彼女が見てきたケニアの姿はどこに「ケニアは貧しい」なんて言ったら可哀そうじゃないか。そんな綺麗ごとを並べるつもりは一切ありません。ケニアには巨大なスラムが存在し、そこで人生を賭けて尽力している人々も知っています。確実にそこに貧困はある。開発学の先生がそうするように、日本に伝えなければいけない現状がある。ただ今回私が伝えたい(惹かれている)点は一つ。そのケニア人留学生は、日本という世界的な先進国に来ても尚、母国を貧しい国だとは思わなかった、ということ。だったら私は、その留学生が当たり前のように触れてきたケニアの美しさを知りたい。この先進国である日本に来ても尚、薄れることのないのないケニアのパワーを感じたい。データに置けるケニアは紛れもない貧困国。では単に、彼女は母国の貧困を知らないだけだったのか。それとも、数字では語れない、そして日本人が知らない母国の姿を胸に秘めているのか。彼女が知る、世界に負けじと劣らないケニアのリアルな姿に触れてみたい。私は、このケニア人留学生のお話を聞いて、想いに耽っていたら、なんだかわくわくしてきてしまいました。皆さんは何を感じ、何を想いましたか?是非教えて下さい。貧しさ、幸福っていったいなんなのでしょう。私は考えていても分からなそうなので、行ってきます。そこには何があって、何がないのか。ケニア人留学生の胸に残る母国の姿に少しでも近づき、日本の皆さんにお伝えできれば、それが私の「幸福」です。
ここ数日書き溜めている記事も、毎回皆様が読んでくださるので、今日も背筋を伸ばして想いを綴っていこうと思います。私は世界から「アフリカ」を消し去る計画を立てています。本気です。まず手始めに「アフリカ」を世界から消し去ろうと思う。極悪人め。なんて声が聞こえてきそうな気がしますが、私は本気です。いや、言葉足らずでした。一括りで語られてしまう「アフリカ」を世界から無くしてやろう、そう思っています。これほど多様で無名な大陸があるだろうか。54の国家が集結して成るアフリカ大陸。3000の民族と2000の言語が今もなお息づいていると言われています。これほど多様な大陸が他にあるだろうか。そして、これほど無名な大陸も。「Im Japanese!」同じ気持ちだと思うんです。海外を歩いている日本人は必ずと言っていいほど「中国人!」「韓国人!」と言われると思います。私は胸を張ってIm Japanese!(日本人です)と答えます。そこに中国や韓国に対する他意はなく、それが私のルーツであり、アイデンティティだからです。何度も間違えられると悔しさを感じますし、逆に理解されたときはとても嬉しい気持ちになります。さて、ことアフリカに関してはどうでしょう。あれほど多様な国や人種が存在しているにも関わらず、私たちは「アフリカ」と一括りにして語ってしまいます。肌が黒くないアフリカ人もたくさんいます。東では英語、西ではフランス語が使われていたりします。全員が民族的な生活をしているわけではありません。貧しい人がいれば、とびきりお金持ちもいます。54の国、それ以上の数の人種、異なる宗教、それぞれのアイデンティティ。知らないが故に、それらを一つのイメージにまとめて「アフリカ」と呼んでしまう。No! Im Japanese!きっと彼らも同じ気持ちなのではないのだろうかと考え、少し落ち込みます。本当の差別は、「ないこと」にすること。本当は「ある」ものを、「ない」ことにする。これこそ最大の差別であり、侵害だと私は思います。今は残念ながら、アフリカ大陸としての知名度がとても低く、それぞれの国や地域、文化は「ない」こととして語られがちです。アフリカ無関心層にアップローチしたい私は、どうしても分かりやすく便宜的に「アフリカ」を使わざるを得ません。ですから、私のような発信者にも大きな責任があると思い、申し訳ない気持ちになります。だからこそ、私は人生を賭けて「アフリカ」を知ってもらい「アフリカ」を世界から無くしていきたいと思っています。その人が誇れるアイデンティティが、ちゃんと伝わる世界へ。いつか私に子どもが出来たら、こう伝えたいと思います。「父さんはアフリカの魅力を伝える活動をしていたんだよ」そして私の子どもなら答えは決まっていて、「アフリカじゃわかんないよ!もっと詳しく教えて!」そんな未来を夢見てます。
クラウドファンディングも残すところあと約1週間。ここ数日で支援してくださる方が増えて参りました。最後まで発信していきますので、応援よろしくお願い致します。今日は私が人生を賭けて成し遂げたいことについて、綴らせていただきました。私はアフリカ人になんてなりたくない。私はこの先も人生を賭けてアフリカに関わっていきたいと思っております。今まで3つのアフリカ関連団体を立ち上げから携わっており、就職もせず、アフリカ一色の毎日を送っております。そんな生活をしている私に寄せられる質問は決まって、将来アフリカに住むんでしょ?アフリカ人になるんでしょ?といったところ。でも私、そのような気は毛頭ないのです。人生を賭けて取り組みたいこと。私が人生を賭けて取り組みたいこと、それはアフリカの魅力を日本、引いては世界へ伝えること。アフリカと言いましても54カ国あるので、私一人の人生では足りないくらいだと思います。まずは、生まれ落ちたこの国、日本にアフリカの魅力を伝えていきたいと考えております。そのため、アフリカをテーマにしたファッションショーを開催したり、ウェブメディアで発信したりしています。年に1.2度アフリカには足を運ぶものの拠点は常にアフリカの外にある私です。君のやっていることはどれも軽すぎる。私の活動の一つToykoAfricaCollectionファッションショーやアフリカ交流イベント、若者に向けた情報発信を行う中で、私がよく頂くご意見があります。それは君のやっていることは国際協力ではない。ということ。また活動が軽すぎる。現地に根差してない活動は、文化の盗用に過ぎない。君は部外者なんだ。もっとアフリカ人になりなさい。(寄り添いなさい)アウトサイダーだから意味がある。ToykoAfricaCollectionの様子アフリカでは多くの日本人が現地に根差し活動をされています。教育、医療、開発、ビジネス。そのどれも素晴らしく、熱意と信念を持ちアフリカの発展のため尽力されています。そして生のアフリカ情報や貴重なご経験をお持ちで、私など到底かないません。ただ、そのような方々がいることを日本の大半は知らないのです。しかし私は、アフリカのこと、アフリカで尽力している人がいることを、日本の大半に響かせたい。では、アフリカや国際協力に関心がない人たちに届かせ、興味を持ってもらうにはどうすればいいのか。部外者として、世界に向けてライトな入り口を作り続ける。自身が開催するアフリカ交流会アフリカを、またアフリカに尽力している人々を知ってもらうために、世界に向けてライトな入り口を作り続ける。これが私が人生を賭けて行っていきたいことです。軽い、浅い、ただそれが難しい。アフリカや国際協力の分野は敷居が高いと思っています。卑近な言葉を使うなら、”意識が高い”25%を切る日本のパスポート取得率。その中のどのくらいがアフリカに渡航し、さらに国際協力に興味を抱くのか。日本国民の1%もいれば良いほうではないでしょうか。そんな”意識の高い”国際協力や支援という言葉とセットで語られ続けてきたアフリカを、残りの99%の人に知ってもらうには、圧倒的にライトで魅力的なアウトプットが欠かせないと思っております。だからこそ私は、ファッションショーやメディアを媒介とし、これからを担う若者をターゲットにライトな入り口を設ける活動を行っております。軽い、浅い、はある意味で言われて当然な言葉なのかも知れません。なぜなら私は、常に軽くすることに必死であり、その難しさに日々苦心しているからです。いつか大衆の関心を貴方のところまで。ファッションショーやメディアでの発信も私はアフリカ認知度を上げる国際協力の一環だと思っています。国際協力の道に何十年も人生を捧げ、ご尽力されている方々には本当に頭が上がりません。私は、貴方のようなリアルな方々まで、大衆の目を向かわせたいと本気で思い現在の活動をしています。だからこそ、「君の活動は軽い」「アフリカ人になりなさい」というご意見には、少し悔しさを感じざるを得ません。本気で多くの人に周知したいと考えたら、まず日本とアフリカを繋ぐ分かりやすい橋が必要だと思っています。私はこちらの岸で一生懸命魅力的な橋作りを続けて、いつか多くの人々の関心を貴方たちのいるところまで届かせたいと思っています。だから私はアフリカ人になんかなりたくない。あくまでも部外者として、アフリカのリアルを外の世界に伝えていきたい。これからの日本の次世代が、貴方のようなリアルな方々を知り、憧れ、目指していけるような世界を目指して。ps,自らこう言っておきながら、この文章自体が"意識高く"なってしまいました汗。最後まで読んでいただけたか、伝わったか多少不安になりましたという追伸です、、。
クラウドファンディングも残すところあと10日ほどとなりました。いつも応援してくださる皆様、本当にありがとうございます。必ず「アフリカ」というキーワードの中で、日本を代表する人間になりますので、応援よろしくお願い致します。本日は、アフリカに関する活動を続ける中で、幾度となく頂いてきたご意見についてお話させていただければと思います。海外より、まずは日本の問題に目を向けなさい。「アフリカもいいのだけど、まずは日本の問題に目を向けなさい。」私が日本の先輩方からよく頂くご意見。最近は減りましたが、活動を始めた当時は本当によく頂く言葉でした。2016年、私はアフリカ、タンザニアという国の教育支援を行う団体を立ち上げました。鉛筆と紙がないという理由で勉強ができない子どもたちを目の当たりにし、どうにかその世界を少しでも変えたいと思い奔走しました。沢山の方々や企業様のお陰で、有難いことに現在でもその団体は活動を続けているのですが、やはり当時は胸が苦しくなるようなご意見をよく頂いたことを覚えています。君は、日本はどうでもいいと思っているのか。熊本地震の発生もあり「災害の年」とも言われた2016年。そんな中、「アフリカのために」と大声で駆け回る大学生の私。「まずは日本の問題から取り組みなさい」そんなご意見を頂くのも当然のこと。さらに当時駆け出しの私は、そのようなご意見に対して返す言葉も見当たらず、ひたすら「申し訳ありません」とお答えしていた記憶があります。今考えると自分が情けなく悔しい限りです。しばらくは「なぜアフリカ、まずは日本ではないか」の納得のいくお答えが出来ない日々が続いたのですが、ある体験を機に心の整理がつきました。それはアフリカの山奥の民族で過ごしたことに始まります。今、隣にいる人を愛すこと。タンザニアで活動を終え帰国日も近づいた頃、私は何を思ったか一度団体を離れ一人でこちらの山岳民族の村を訪れました。知り合いのツテで急遽住まわしていただくことに。この村では子供からお年寄りまで多くの家族が生活しているのですが、私が挨拶に回ると例外なくどの家族も暖かく受け入れてくれました。彼らの言葉を全く理解できない遠い国の私。もう戻ってこないであろう先進国の私。それでも村人の皆さんが一生懸命伝えてくれたこと、それは今、隣にいる人を愛すこと。私の隣人は、偶然アフリカ人でした。私の隣人は、偶然アフリカ人だった、それだけのこと。縁があって導かれ、出会った人が助けを必要としてる、それだけのこと。そこに国境線は存在せず、とにかく今、心が近い人を大切にする。電車でたまたま乗り合わせた方に席を譲るのと、たいして変わらないのかもしれません。国際協力だとか、ボランティアだとか、日本が、アジアが、世界が。そんな言葉に惑わされていた未熟な自分に気付きました。"日本人"として、隣の人を愛します。「なぜアフリカなんだ」「他国を優先してどうする」「まずは日本の問題に目を向けなさい!」今なら胸を張ってこうお伝えしたいです。私は、"日本人"として隣の人を愛するだけです。