こんばんは!
本日は、クラウドファンディングのプロジェクトページにも一部書かれている、両国開催へ至った経緯を今年度渉外を務めている永井の目線から見たブログを紹介します。
IDFC日本開催とは?
日本で日緬両国の参加者がディスカッションなどを通じて相互理解を促進する、いわばIDFCの日本版…簡単に言うとそんな感じです。
ちなみにIDFC2018では2月の本会議直後、両国の実行委員のみで(いわばデモンストレーション)IDFC日本開催を実行しました。
そして昨年度の実験的開催をステップにして実行委員だけでなく両国の参加者全員が日本で学習できるように、とミャンマー側の実行委員は本年度のプログラムとしてこの日本開催を提案してくれました。
ミャンマーの学生が日本のリアルの姿を見て学び、新たな価値観を発見できるなら(今年のテーマはSeeking New Values)それはそれは素晴らしいプログラムになることには間違いありません。
ただ、日本開催のために立ちはだかる課題はあまりも深刻です。
その課題とは…
1財政課題
2スケジュール課題
3日本とミャンマーの立場の違い
ざっと挙げるとこんな感じです。今から一つずつ説明していきますが、長いので時間の無い方はスクロールで飛ばしてもらって結構です(笑)
1 財政課題
あなたがミャンマーに行ったことが無くても日本の物価がべらぼうに高いことは想像できるでしょう。
ホテル代、食費に交通費…生活するために必要な分だけでも莫大な費用がかかります。
1チャットは日本円で0.1円以下なので、単純計算で日本開催にかかる費用はミャンマーの本会議の10倍以上になります。そして日本開催を開くために必要な費用はなんと数百万円。
もちろん、会社に交渉したり財団のお金をゲットして財政面をなんとかするのが自分の役目です。
でも…そのような大きな額を企業の協賛で確実にとってくることは残念ながら約束できません。
論理的に可能と現実的に可能は全く違います。
入試に満点はあっても、満点を取るのはほぼ不可能なように、ウン百万を集めることは論理的には可能でも、不可能に限りなく近い額といえます。
それに僕が何社訪問しようがいくつ財団に申請しようがお金を手に得られなければ何の意味もありません。IDFCのコンテンツ内容がいくら充実していようがお金が用意できなければIDFCは開催できません。
2 スケジュール課題
現在、2つ財団の申請結果を待っているところですがこの結果が発表されるのは秋冬ごろです。(このブログ執筆後、一つの財団の結果が出て、採択が決定しました!)正直この2つが認められれば日本開催は可能です。
そしてIDFC日本会議(2月中旬)のためには、今からコンテンツ内容を考え始めないと間に合いません。
仮に財団からお金が下りたと仮定して充実した日本開催のコンテンツを考えても結果的に申請が通らなければ考えた労力は無駄になりますし、その期間を使って従来のミャンマー開催のコンテンツ内容をもっと充実させることができたでしょう。
つまりこれから限られた時間をどう使うかでIDFCの充実度合いが大きく変わってくるのです。
ちなみに充実度の問題は団体全体の信用度にも影響してきます。
前のブログでも話しましたがIDFCはただミャンマーに行くだけの旅行団体ではありません。
スポンサーや財団のお金を使わせてもらっているわけですから旅行とは違って常に質の高いプログラムを提供する義務があります。
中途半端な結果に終わったり、開催が中止になると企業や財団からの信用を失い、次年度の開催ができなくなるかもしれないのです。
3 日本とミャンマーの立場の違い
私たち日本側実行委員は確実に経費を集められるとは限らない日本開催に断固反対していました。その一方ミャンマー側実行委員は日本開催に並々ならぬ思いを抱いており、何が何でも開催するという熱意をもっていました。
なぜならミャンマーの大学生は比較的経済的に恵まれているほうですが、それでもミャンマーの経済状況を考えれば彼らにとって外国に行くというのはめったにない機会だからです。
「あなたたちはミャンマーの経済状況を分かっているでしょ、それに私たちはもうすぐ就職する。いま日本に行けなければ次はいつ日本に行けるのよ…?」ミャンマー側の代表の言葉が印象的でした。
つまり彼らはIDFCが日本に行って新たな価値観を得られる人生最後のチャンスだと思っているのです。
だからもしここで日本側実行委員が日本開催を諦めさせれば彼らは一生日本に行くことは無いかもしれない…彼らのチャンスをつぶしてしまう危険がありました。
しかし、日本側実行委員には「行くことだけが目的になると日本開催がただの旅行で終わってしまう」という懸念がありました。
そして、180度真逆の思いを持った日本側実行委員とミャンマー側実行委員は何度も衝突して言い争いました。
↓ディスカッションの様子
もう分かり合えない
最初のディスカッションから何時間が経ったでしょう…
事あるごとに衝突し、終わりの見えないディスカッションを繰り返すなかで僕はミャンマー人との相互理解の限界を感じました。普段は仲のいい相手でも相手と深く議論すればするほど生身のアイデンティティやポリシーが露出してぶつかり合うからです。
渉外活動であれほど「日緬の学生間の相互理解を促進する」と熱弁していた僕はいつの間にか自暴自棄になっていました。
夢見がちなミャンマー側実行委員と超現実主義な日本側実行委員は絶対に分かり合えない。
ミャンマーと日本の学生が納得できる答えを出すなんて絶対に無理、相互理解なんて幻想だとまで思いました。
ターニングポイント
議論に議論を重ねて疲れて果てたら議論のことを考えながら眠り、また議論を続けるために朝起きる…こんな議論漬けな生活が続いて自分が自暴自棄に陥っていたとき、目を覚ましてくれる出来事がありました。
それはディスカッションの合間に昨年度の参加者であり、ルームメイトでもあったティハゾーに日本開催について軽く質問してみたのがきっかけでした。
右がティハゾー(イケメソ)
僕「君は本当に日本に行きたいのかい?ティハ」
ティハゾー「あぁ、もちろん」
僕「でも予算的に厳しいよ…」
ティハゾー「あぁ、わかってる…」
会話の内容よりも僕はこの会話をしたときの彼の真っすぐな目を忘れることが出来ません。
決して大げさではなく、彼の目を見て彼の日本に行くという決意、そしてIDFCをただの旅行で終わらせないという決意を感じました。
今思えば僕はそれまで、相手のことを信用するどころか「どうせ日本に行きたいだけだろ」「限られた予算のことを何もわかっていない」と根拠のない決めつけで相手の意見に耳を貸すことをやめていたのかもしれません。
しかし、あの短い会話でミャンマー側実行委員思いの強さを直に感じたのきっかけに彼らを心から信用できるようになりました。
それによって彼らが一生懸命予算表を作ってくれていたことや日本開催の意義を考えてくれていたことなど、今までの協力的な姿勢、彼らなりの真剣さに気づけるようになったと思います。
最終決着
夜明けまで議論を繰り返し、衝突し、時には涙を流しながら気づけば最初に日本開催が議題に上がって3日が過ぎました。
そしてついに議論に決着がつきました…
みんなが出した答えは…!
日本開催決行(ただしお金が集まらなければ今年のIDFCは開催中止)
一見するとミャンマー側実行委員に譲歩したように見えるかもしれません。しかし、日本開催→ドリーミーさ、できなければ開催中止→現実主義という真逆の価値観が見事に両立できているのです!
最初はあんなに「絶対無理やろ…」と思っていた日本側実行委員もミャンマー側実行委員の本気度に共感して資金集めの計画を立てていくうちに、気づけばみんなが「よっしゃやるぞ!!」となっていました。
僕は今まで問題解決にはどちらかの妥協が一番重要だと思っていました。
なぜなら全員が納得する答えなんて見つかるはずがないと最初から決めつけていたからです。
しかし、妥協することよりもどんなに時間がかかろうが決してあきらめずに双方の意見をくみ取った別のプランを考え続け、全員が納得できる答えを探すことのほうがずっと大切だと学びました。
この会議を通じてミャンマー側実行委員とたくさんの衝突がありましたが、最後はみんなが抱き合って別れを惜しんでいました。
議論中は想像すらできなかったこの景色を見て、やっぱり日本とミャンマーの相互理解は夢物語じゃない。
資金集めの道のりがどんなに厳しくとも本会議に向けて頑張ろうと思えました。
あの瞬間から現在へ
現在、この決定から三ヶ月以上が経ち、個人サポーターの方やスポンサー企業の方々、そして財団の採択など様々なサポートを得て、ついに開催まで80万円というところまで来ました。
スケジュールやスピーカーの方々も決まりつつあり、あと開催まで一歩です。
今後、スケジュールやスピーカーも紹介して参ろうと思います。どうぞご支援よろしくお願いいたします!!