ニシダタクジです。
僕にとって本屋とは何か?1年間、考えてきました。
「それを実現する方法として、なぜ、本屋なのか?」
と何人かに聞かれました。
いまも明確には答えられないのですが、ひとつ、たぶんこのあたりだろうなあと思うこと。
それは、本屋は委ねられる、ということなのです。
「この本を届けたい!」
いや。もっと言えば、「この本を売らないと、世の中はダメになる。俺が売らないと」
おせっかいな僕は、そんなふうに思える本に出会います。
たとえば、この本。
魔法のマーケティング(川上徹也 フォレスト出版)これを2012年の年末に読んで、衝撃を受け、すぐに著者の川上さんに連絡をとって、10冊直送してもらいました。それを1月5日に展開したのが上の写真です。
1月5日の新年営業初日だけで10冊が完売しました。この本を買っていったのぞみさん(当時新潟大学農学部在学中)は、「この本1冊で就活は十分だった」と言ってました。
でも。
他にも9名の方が、この日、この本を買っていったのです。
(7名の方は写真も一緒に撮ってました)
のぞみさんのような熱烈なリアクションはほかにはありませんでした。
もちろん、人生を揺さぶるほどの衝撃を受けた人もいるでしょう。
(僕自身もめちゃめちゃ衝撃を受けまして、「LA宣言」しました。)
※LA宣言については、本書「魔法のマーケティング」をお読みください。
「本屋」であること。
それは、「委ねる」ということです。
「この本を必要としている人がいるだろうなあ。」と想像して、
いままさに、それを手渡している、という実感はあるのですが、
それが本当に届くのかどうか?
の多くの部分をお客さん(読者)に委ねている。
届くかどうか、分からない。
そういうのがいいのではないかなと思います。
カフェやレストランであれば、食べている最中から
この空間で、この料理で、お客様は満足してもらっているなあと体感することができます。
しかし、本は、読んでもらわないと分からない。
いや、もっと言えば、その本が、その人にとって
価値があるかどうかは読んでいる最中、あるいは読んだ直後でも分からないかもしれません。
「あの本で言っていたのは、こういうことだったのか!」
と後から「!!!」と思うことがあります。
たとえば、この年始に読んでいた「続・ゆっくり、いそげ」(影山知明・クルミド出版)
前著の「ゆっくり、いそげ~カフェから始める人を手段化しない経済」も読んでいたはずなのですが、その時、「人を手段化しない」というキーワード。あれ、よく分かっていなかったなあって思います。僕は前著から3年の時を経て、自分自身もサラリーマンを経験して、「続・ゆっくり、いそげ」を読んで、やっと掴みとれたような感覚になりました。その時はなんというか、霧が晴れていくような気持ちになります。
そういったことがよくあります。僕はそれが、本の魅力、本屋の魅力ではないかと思うのです。
未来がどうなるか分からない。
それと同じく、「この本イイ!面白い!!」っていうのは仮説に過ぎません。
それを、本を通して、本を手渡して、本を届けて、相手に委ねる。
本屋っていうのは、だからこそ面白いのではないか、
というより、いいかげんな僕に向いているのではないかなと思います。
「仮説」としての本を並べ、本棚という「場に委ね」、
さらに、それを受け取った人の感性と未来に委ねる。
本屋は「委ねる」
だからこそ僕は「本屋」なのではないかなあと思います。