無事に(?)滑り込みセーフを果たした機内では、ウェルカムドリンクと機内食で乾杯!機内食にはサーモンのお寿司とドリア、ロールパンにはNewZealandのグラスフェッドバターが添えられていた。和太鼓撮影と飾り巻き寿司の旅にふさわしいメニュー。そしてNewZealandといえば、まさに昨年のちょうど3月に、今回と同じように和太鼓と飾り巻き寿司の旅をした。その喜怒哀楽、悲喜こもごも、たくさんの想いが詰まった旅の記憶をなぞりながら、今回の旅への気持ちを高めていった。旅立ちの高揚感で楽しく過ごしていたのもつかの間、気が付けばまさに泥のように眠っていた。節約のためのトランジットは、ロシア・モスクワのシェレメーチエヴォ空港だ。日本時間では真夜中のトランジットだが、外はまだ日がある。初めてのJetLagはどんな感じになるんだろう。高揚感と睡魔が混沌とする中で、ごった返すトランジットをこなす。ロシアのサービスは、なかなか「素敵」なレベルだ。大行列で混雑しようがお構いなし。行列を作らない、行列ができても搭乗者が困らない工夫もなし。日本の空港ならこうしてるよな、という観点で見ると、素人の私でも工夫や改善すべき箇所が随所に見つかる。こういうサービスを体験すると、改めて日本の過剰なまでのサービスが、かくも有難いことなのかと思い知らされる。2便目に乗り継ぐと、日本語の放送はなくなり、ロシア語と英語だけになった。いよいよヨーロッパが近づいてきたことを、思い知らされつつ、また眠りについた。ゴオォォォォォッ、という音が鳴り響く。気づけばもう飛行機は着陸態勢に入っていた。窓からはスペインの夜景が見える。日本時間では朝7時ごろだろうか。マドリードは真夜中だ。ロシア語と英語の機内アナウンスを聞きつつ、身支度をする。通関を通り、さぁ、妻の友人Noaとの再会!と思ったところで拓海の靴がないことが発覚!まさか機内に忘れたのか・・・もう後戻りはできない。Noaに事情を話し、Handling Agentの窓口に駆け込む。こだわりの強い拓海のお気に入りの靴だ。あとはもう祈るしかない。現地時間は日付が変わり、夜の1時を迎えようかという時に、靴が見つかったとの連絡が!Noaには遅くまで待たせてしまって本当に申し訳なく、また本当に有難かった。Noaのドライブで家路につく。久しぶりの右側通行に違和感をおぼえながら、異国の地のドライブを楽しんだ。これからどの国を巡るのか、どんなことをするのか。どんな仕事をしているのか。いろんなことを話した気がする。車を停め、まるでホテルのスイートルームのようなマンションに案内された。キッチンのものは何でも好きに食べていいよ、とNoa。洗濯機やお風呂など、一通りの説明を終え、Noaは翌日の仕事に備え寝室に向かった。次の訪問国フランスでは、レンタカーを借りて各地を走り回る予定だ。ここスペインで、キッチリ時差ボケを修正しなければならない。私たちはパンをトーストして真夜中の朝食をとり、荷物の片付けもそこそこに、また眠りについた。
ついに、ヨーロッパに旅立つその日がやってきた。やってきてしまった…という気持ちがなかったといえば嘘になる。どんな時もチャレンジには勇気がいる。清水の舞台から飛び降りるには、蛮勇さえ必要な時もあるだろう。事が成功するか失敗に終わるかは、自らの現在地を正確に把握し、勇気をもって飛び降りたのか、それとも己の未熟さに目を背け、蛮勇をもって飛び降りたかの違いなのだろうと思う。私たちは未熟なまま、スタートを切った。なーんて感傷に浸る暇はなく、出発前ギリギリまで徹夜でひたすら準備、準備、準備!純子は寿司ワークショップと身の回りの準備を整え、私は現地で巡りあだろう方々に手渡すための作品を、一枚でも多く作るために作業に明け暮れていた。こういう時に限って3歳の息子が超絶グズる・・・キャパを超えた時に本来の自分が露呈する、とはよく言ったもので、純子は外に出るタイプ、私は内に籠るタイプ。今回も本当に危なかった。軽自動車に夢と荷物をパンパンに詰め込み、いざ出発!あとは私のハンドルにすべてがかかっている。Less Accel, Less Brake.交通の流れの先の先を読み、最小限のアクセルと最小限のブレーキで最大限速く走る燃費走行。走り好きの私がいつも自分に課しているテーマがこれだ。だけど今回ばかりはそうも言ってられない。最大限安全を確保しながらも、アクセルを床まで踏み抜く勢いで、横浜から成田空港までノンストップで走り切った。息つく間もなく荷物を降ろして純子と拓海はチェックインカウンターへ。私はいつも使っている少し離れたパーキングへ車を走らせる。スムースに手続きを終え、連絡バスに乗り込む。あとは運を天に任せるしかない。空港カウンターで合流し、ロシア・アエロフロートのカウンターでチェックインをする。この時点で私たちの呼び出しがかかっていたようで、本来のエコノミー客向けカウンターではなく、VIPカウンターで最速手続きをさせてもらった。アエロフロートのスタッフが、一緒に手荷物検査場に駆け込んでくれた。やった・・・これで何とか望みはつながった・・・(←いや、ちょっとおかしいだろそれ)本当なら行ってきますのライブ配信をするつもりのはずが、まさに秒を削る駆け込みスタートで、私たちの珍道中は幕を開けたのだった。
大変ご無沙汰しております。吉浦哲弘です。3年前、私たちの旅を支え、応援してくださったみなさま、本当にありがとうございます。今、世界は大きな変革、変容の波が押し寄せてきている毎日ですが、お元気にお過ごしでしょうか。3年前の今日、3月9日に、私たちは旅立ちました。あの時にはまさかその一年足らずの後に、これほど世界の移動が制限されることになろうとは、夢にも思いませんでした。3年前のあの時に、奇跡のようにパズルのピースがすべて集まり、送り出していただいた。あの時でなければ、あの人と会おうと思わなければ、あなたに応援してもらわなければ。一つ欠けても、あの旅はなしえなかったのだと、心から思います。帰国してからの私たちに待っていた、きわめて厳しい現実に対処するために、本当はやりたかったことができずに、3年の時が経ちました。帰国後、私たち家族は横浜を離れ、九州に帰ってきました。コロナ禍の真っただ中で生まれた娘は、あと3か月で2歳を迎えます。私はガソリンスタンドのアルバイトスタッフとして、九州トップクラスのクレジットカード成約数をいただき、他のアルバイトスタッフを統括するアルバイトマネージャー的な立場で仕事をしております。3年も昔の話にはなりますが、本当はやりたかったこと。写真とともに言葉を紡ぎ、あの旅のコンセプトである人と人とをつなぐ旅。それを今、3年前の今日この日、という日々の日記のかたちで、約40日間の連続投稿チャレンジとして、スタートさせたいと思います。自分のキャパを超える現実に対処するために、繋がりを絶つ選択をした私にその資格はないのかもしれません。しかしながら、私自身も自分の在り方を、このチャレンジを通して修正していけるのではないかと思っています。お付き合いいただける方は、どうぞ3年前の旅の全容を、今までお蔵入りになっていた旅の全容を、お楽しみいただけたら幸いです。それでは、今晩遅くになりますが、一日目の投稿をいたします。どうぞお楽しみください。まるっとハッピーphotografamily 吉浦哲弘・純子・拓海・那々海