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自分らしく歩く!!さっぽろレインボープライド2020を開催したい!!

北海道札幌市にて誰もが自分らしく生きやすい社会の実現を目指すべく、LGBTパレード「さっぽろレインボープライド」の開催を今年も目指しています!!開催にあたりましては、皆さまからのご支援が必要です!!よろしくお願いいたします‼

現在の支援総額

1,264,200

105%

目標金額は1,200,000円

支援者数

204

募集終了まで残り

終了

このプロジェクトは、2020/05/26に募集を開始し、 204人の支援により 1,264,200円の資金を集め、 2020/07/05に募集を終了しました

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現在の支援総額

1,264,200

105%達成

終了

目標金額1,200,000

支援者数204

このプロジェクトは、2020/05/26に募集を開始し、 204人の支援により 1,264,200円の資金を集め、 2020/07/05に募集を終了しました

北海道札幌市にて誰もが自分らしく生きやすい社会の実現を目指すべく、LGBTパレード「さっぽろレインボープライド」の開催を今年も目指しています!!開催にあたりましては、皆さまからのご支援が必要です!!よろしくお願いいたします‼

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2020/05/28 15:00
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はじめましての方は、こんにちは!

そうでない人は、いつもみんなありがとう!

さっぽろレインボープライド実行委員会、副委員長の満島てる子です。


本名は杉山和希(完全にオープンリーなのでどんどん晒していくわっ!)。

女装のゲイ(とはいいつつ、「ゲイ」という単語が使いやすいってだけなんですけどね)として、札幌で活動させていただいております。


普段は「7丁目のパウダールーム」という、女装サロン兼バーの店長として、いろいろなセクシャリティのお客様たちと、笑ったり泣いたり、一緒に飲んだくれたり、なんて日々をそれなりに過ごしております。


思えば、顔に粉をふりまくようになってから早5年。

実はドラァグクィーンとして人前に立たせていただいたのが、私の最初の化粧でした。

今でもステージに立つときは「てるまゑ・ノヱビア」という名前で踊らせてもらっております。


突然、内輪に対する愚痴ですが…(「いやそれは内輪でやれよ」なんて思う人もいるかもだけど言わせて!)。

昨日のかま栄さんの記事、なんとあたしの名前、てるま「え」になってたわね…。

でもね、「え」じゃなくて、あたし「ゑ」なわけ。

もう出会ってから6年近く。お互いの家とか、恋愛事情までそれなりに知ってる仲だっていうのに、人の名前もろくに覚えてくれないだなんて、ほんとに失礼しちゃうわね…。

クィーンにとっては、自分の「名」が自分の「生き様」そのものなんだゾ!

ゲイ業界長いんだから、そこらへん心してよね!


…大幅に話が逸れました。失敬失敬。

さて、目張りを引き、紅を差して日々を生かさせていただいているわたくしですが、札幌にてパレードに関わらせてもらうようになったのは、ここ3年の話です。当団体が「さっぽろレインボープライド」という名前になる少し前、実行委員長の柳谷から声をかけてもらったのがきっかけでした。

当時は、自分の店も一年目、女装としてもてんてこまいな日々を送っていたこともあって(忙しくさせていただくなんてぇのは、本当にありがたい話なんですけれどもね。そして、てんてこまいなのは今でもあまり変わってないか…苦笑)、「ほかの実行委員たちに迷惑かけちゃいないだろうか」なんて悩みつつ、定期的にべそをかいていたような記憶があります。

あれから時がたったような、たたないような。
「レインボーマーチ札幌」時代の先輩方をはじめ、当事者/非当事者の別を問わず、お店やイベントに来て声を「頑張ってね」と声をかけてくださる皆さん…
驚くほどたくさんの方々の、熱い思いに背中を押していただきながら、さっぽろレインボープライドも、わたし自身も、少しずつ成長してこれたように思います(願望含めですが)。

実行委員でありながら(別にそうでいいと思うのですけれど)、パレードに救われるような場面もあったりしました。
2019年のバルーンリリースは、一生忘れることはないだろうなあ。
セクシャルマイノリティ当事者として、迷って泣いて苦しんで、あんまり心地がいいとは言えない人生を送ってきたわたしとしては、あんなに美しい光景を見る日が来るなんて思いもしなかったんですよね。
マジョリティ規範ゴリッゴリの社会。そこから少しでも解き放たれた状態に身を置くことができて、隣にはたくさんの笑顔。そして、空へ自分の思いをのせて風船をはなつ…(こんな風に書くと興が削がれますが苦笑)。

思わず涙があふれて止まりませんでした。

昨日のかま栄さんからのリレー質問…
「てるま<え>さんはLGBT当事者として困ったり生きづらかったりしたことはありますか?その逆でよかったと思ったことも聞きたいですね!」
この質問を読んだときにフッと頭に出てきたのも、去年のバルーンリリースの光景だったんですよね。

少しまじめに書きますが、LGBT当事者の抱える「困難」「生きづらさ」、なんて表現を見かけることは多いんだけれども、その実態については、当事者すら誤解していることもあったりします。

一番多いのが、「じゃあ何に困ってんのよ」って文言だったりするんだけれども…。


違うんだよね、「何かに」困ってて、「これが」無くなれば、逆にあればいいとかっていう話じゃない(そういう場合もあるけれど。例えばドメスティックな関係性について社会的承認を与える何がしかの制度とかは、その一つだと思う)。

あえてその言い方に合わせるとすれば、「自分自身」に困っちゃうから、無茶苦茶生きづらいんです。

わたし自身、ずっと「自分自身」に困りっぱなしでした。
幼いころは、スカートを履きたがったり、化粧をしたがったりして、怒られ続ける自分自身に困り…。
誰にもカミングアウトできずにいた学生時代、親友の男子に恋をしてしまった自分自身に困って、「これは間違ってるんだ」とその想いを否定してみたり。
でも、否定できずに告白してしまい、トラブルになってしまって、それを引き起こした原因は自分自身だ、こんな自分無くなればいいのに、と絶望したり。

そういう自分自身と付き合っていく難しさがずっとあったから、進学にしても就職にしても、どうしても思わぬところでぎくしゃくしてしまっていました(説明会で「結婚」なんてワードが出た瞬間に、どんなに興味がある会社でも退席したりしてたなあ。まじめな話、就職にあたって自分のセクシャリティから困難を感じるようになる当事者はたくさんいるようで、それがマジョリティとの経済格差につながったりもしてるんだよね。云々)。

でも、なんでこんなに自分自身で苦しむのかと言えば、僕(あえてこの一人称を使わせてね)が同性愛者であるっていう、今思えば単にその一点に尽きるんですよね。そして、単なるその一点が、社会的にマイノリティに振り分けられる軸になりうるからという、そこに理由が収束していくんです。

自分は単にそのまんま自分として生きているだけなのに、その自分と向き合おうとすると、「おめえホモじゃん」「結婚できないんでしょ」「孫の顔も見せられない不孝者」なんて偏見が、誰かに言われたわけでもないのに脳内にぶわっと出てくる(実は、これのマイノリティ内部でのバージョンもあって、これがとってもめんどくさかったりするんですけど、どえらい長くなるので割愛!)。


あんまり真剣にのぞき込むと、メンタル全部やられそうなのでうやむやにする(きっとそこから、それをのぞき込んで初めて、「ゲイとしてはこれに困るからこうしてほしい」っていう具体的な話がはじめられるはずなのに)。

そんな、社会に教え込まされた常識や規範めいたものたちが存在しているせいで、そして、それが思いのほか、自分の心の中にたくさん巣食っているせいで、これまですんごく生きづらかったです。

これからも時々そうかもしれません。「社会ではLGBTの認知が進んできている」なんてまことしやかに言われる場面もあるけれど、じゃあ自分自身を真正面から受け止めたうえで、そういう「認知」って言われるものと向き合えている当事者って、一体どれぐらいるんだろうなって思う時があります(今言っていることは、カミングアウトしてる・してないということに結び付けられがちだけど、それとは全然関係ないです。カミングアウトしない生き方を選択するのも、ひとつの受け止め方だとわたしは思います)。

「君のこと、LGBTのこと、認めるぜ!」と、周りが・社会が言っているから大丈夫っぽく思えて思しまう時があるけれど、実は全然大丈夫ではなく…。「いや、<認める>って言い方すら実は違うよ。あなたや社会に認められなくてもわたしたちは現実として生きてるんだよ」って、伝えたり闘ったりしなきゃいけないし。

そうしなきゃって気づくためには、当事者としての己の感受性に頼ったり、時には自分自身に批判の目を向けなきゃいけない場面も出てくるのだけれど、そうするには気力も体力も必要だったりして、嗚呼やっぱり、こうやって生まれてきた「自分自身」を受け止めるのがめんどくさい、放置したいって思うシーンも、実行委員をやりながらもあったりして…。


でも、あのバルーンリリースを見ることができたときは、なんだかそういうものから全部解き放たれて、ふわっと自分自身を認めてあげれそうな気がしたのです。「わたしは、僕は、すごくシンプルに、今ここに居て、存在していていいんだな」と感じたんですよね。

質問にあった「LGBTで逆によかったこと」に該当するかはわかりませんが(ちなみに、そんなのはわたし、無いような気がします。そもそも、社会格差前提に、まあたとえば男性として生きていて、利益を得てしまったこととかはあるような気がするけども…。LGBTだから得するどうとかって、なんかそもそも発想しづらいな。単に、あたしはあたしとして生まれただけだもの。属性としては「ゲイ」だったり「クロスドレッサー」だったり、いろんなものがくっついてきてしまっているけれどもね♪)、あの場にいて、ああいう気持ちになることができたのは、わたしが今のわたしとして、胸を張れるかどうかはさておき、これまで生きてきたからだろうなと、心底そう思います。

…さてさて、回ってきた問いについてあれやこれや考えていたら、大変長くなりました。
そんな、わたしが「生きていてよかった」と心から思えたあの場面、あの景色を守るために、皆さんにお願いしたいことがあります。

このページをご覧になっているということは、すでにご存じなはずだとは思うのですが!!!笑


現在さっぽろレインボープライドは、2020年の開催に向けても、そして、今後団体として存続していくためにという意味でも、クラウドファンディングに挑戦しております。

もう、単刀直入にお頼みしたい。みなさん、これからもパレードが、わたしたち実行委員会が、活動を続けていくためにどうかご協力をお願いします!!!

どんなかたちであっても、参加してくれた人が、去年のあたしのように「ここにいていいんだ」と思ってくれるようなパレードを実現できるよう、そして、プライドの灯を絶やさないためにも。

ただただ、ご協力くださいと、わたしから言えるのはそれにつきます。
本当に頼む!!お願い!!

てなわけで、あーん!本当に長くなったわ!
想いがあふれてしまった満島てる子でございました♪

明日は、さっぽろレインボープライドを代表するDJ、ひろ兄の登場よ!
質問じゃないかもだけど、おすすめのオネハとかきけると嬉しいかなあ。乞うご期待。

というわけで、今日も明日も、これからも。
皆さんの胸の内にレインボーフラッグがはためいていますように。

ハッピープライド!

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