世界への扉を開く鍵 それは、「独特な動き」
その「独特な動き」は
ダンス、空手、アクロバット、の3つのエレメンツから出来ていること、は本文中でもお話しいたしましたが、特にダンスに関しては、生まれた環境が独特だったこと、が影響しています。
ここでは、その①「ダンス」特集として、僕にとってダンスとは何かをお話ししたいと思います。
その① ダンス
僕は、ダンス教室に通ったことはなく、生まれた時から、泣いたり笑ったりするのと同じように踊ってきました。ダンスは僕にとって生活の一部、肉体や脳の一部のような感覚です。
僕の両親は、まだ日本でストリート系のダンスが認知されていなかった1980年代前半から日本に新しいダンス時代を創ることに人生をかけ、そのためにダンスの本場であるアメリカに渡りました。
言葉の壁や人種差別などを体験したようですが、僕が物心ついた時には、すでにアメリカでダンスにおける成功者として認知されていました。
そのため、僕の周りには、生まれた時から、様々なダンススタイルのオリジネーターやカリスマダンサーがいて、常にダンスミュージックがあったのです。
母はダンススクールも経営しキッズから大人までプロダンサーの育成をしていましたが、音楽があると自然に踊ってしまう僕を見て、母は
「ナチュラルな感性に枠をつけてはいけない」と考え敢えてダンスクラスに入れなかったと言います。
その代わりに、ダンスコンペティションやプロダンサーが集まるオーディション、アンダーグラウンドのダンスバトル、新しいダンススタイルが生まれようとしている地域などに連れて行ってくれました。
そこでも僕は感じるままに楽しんで自由に踊りました。
世界トップダンサーやミュージシャン、カルチャーとしての新しいダンスが生まれるコアな地域の人たちとの繋がりがある生活環境で育ったこと。
そして、母が僕をダンスでは「枠」におさめず身体表現の可能性は無限大だと教えてくれたこと。
それが僕のダンスの個性に繋がっているのだと思います。
僕は、基本的には、振り付けより自由に踊るのが好きです
なぜかというと、音を感じるのが好きだからです。
目を閉じて、心を澄ませると音が肌に伝わる感覚がたまらなく好きです。
何層もの音が重なることでひとつの曲が出来上がります、その音の層を一つ一つ理解し聴くことで作曲家の思いが伝わります。
ストリートダンスに於いては、音楽がなくては始まりません、音楽の作り手へ感謝する気持ちでいつも踊っています。
同じ音でも、その時のシチュエーションや自分のコンディションで聞こえる音色が違ったりもするので、それを楽しんで踊っています。
「音」を「楽しむ」ことで初めて「音楽」になると信じています。
これが僕のダンスに対しての思いです。
本文中では「Jupitor Love」で踊っている動画をアップしましたが、もうひとつソロで踊っている動画をご紹介します。この日は女性オーディエンスが多かったのでいつもとはちょっと違う気分で踊りました。SAMさんがプロデュースする「POWER STATION」でのショータイムです。
★POWER STATION Vol.8 (NEXT JAPAN主催)
チームを持たない僕ですが、日本では何度かスペシャルユニットで踊る機会がありました。
★第一回目は16歳の時、坂見誠二さんプロデュース1日限りのスペシャルユニットとして、坂見誠二さん、YOSHIEさん、TATSUOさん、と僕の4人ユニット。
★また、広島のPREPPYには声をかけてもらい何度かショータイムやエキジビションバトルをしました。PREPPYとのショータイムは練習の時間も含めて僕にとっては最高に楽しくて、また、仕事で溜まったストレスを解消できる時間でもあります。
★そして、師匠でもある兄貴こと植木豪さんプロデュース、千葉涼平さん主演の『WASABEATS』!
初の海外公演(香港)にも参戦させていただきました。『WASABEATS』はこれからも進化していきます。そのメンバーに加えていただいていることを誇りに感じています。
芸能事務所に所属して俳優として活動している間は、ダンスイベントへの出演に規制がありました。 フリーランスになった今、これからはダンスシーンにも積極的に出ていきたいと思います。そう思っていた矢先に、パパさん(SHINICHI)から「俺と組んでバトルに出ないか?」と誘っていただき、出陣して参ります! またご報告します!
これからも踊り続けます。 僕にとってダンスは生活そのもの、生きている証です。
そして、今まではただ自由に自分が踊りたいから踊ってきただけの僕でしたが、25歳を目前にして、これから先は
・自分の親や同世代のダンスパイオニアたちの勇気ある開拓の歴史を次の世代に伝える
・初代パイオニアたちが、ディスコやストリートでの娯楽としてのダンスを、ダンススクール・イベント・芸能・教育・社会福祉、など様々な方面からニーズを開拓してきたダンスへの情熱とロマンを引き継いで、アクション映画という切り口からもダンスの可能性を世界に問いかけ、ダンサーが活躍できる場をさらに開拓していく
それがダンスに於いて特に恵まれた環境に生まれ育ちその恩恵を受けた、僕の使命だと感じています。
ダンスを武器にアクション映画で世界に挑戦します!
ご支援よろしくお願いいたします。