みなさんこんにちわ!ゴールデンウィークいかがお過ごしですか?僕は今、撮影で地方ロケに来ています。 これまでは何かとリーゼントの髪形の役が多かったのですが、今回は「ドレッドヘア」です。重いヘアスタイルのせいで熟睡できないのが悩みの種ですが、今回も手を抜けないアクションシーンがあるので、クランクアップまで頑張るのみです!この映画の出演情報は解禁になり次第お知らせいたします。 一昨日は僕の弟分、増本尚(石原プロ所属)の初舞台初日を観に行きました。いつか共演できる日が来るといいな、と願いながら会場を後にしました。 そして、今日は皆さんに新企画スタートのお知らせがあります。 Youtubeチャンネルの番組『kuro-obi world』(月間視聴者数100万人、月間再生回数200万回)で、僕をフィーチャーした新企画が始まります! 題して 世界のアクションスターへの道 大きな夢を持った若き俳優(丞威)が、一流の武道家たちに本物の心と身体操作を学び、その学びを生かし、プロのアクションチームと共に世界に通用する独自のアクションスタイルを見つけていく。そのプロセスを僕自身の言葉で、YouTubeチャンネルの英語番組として世界中へ伝えていく、という内容です。 映画・映像における世界レベルと認知されたアクションは全て中国・香港の武術の技術が基本となっていて、演武を重視する派手で見栄えの良い技と型が映画のエンターテイメント性に反映されてきました。 そこに、ブルース・リーは截拳道(ジークンドー) という哲学を武器として世界へ、ジャッキー・チェンはスタントに力を入れて世界へ、そしてドニー・イエンは地味だとされていた詠春拳(エイシュンケン)を映像向けに派手にアレンジし独自のスタイルを創り上げて世界へ、出て行ったのです。 僕は、日本発の世界的アクション俳優になるためには、日本発生の武道をもっと勉強し、技を磨き、独自の哲学を構築し、地味とされている武道を取り入れたアクションスタイルを作っていかなければいけないと考えていました。 そんな時に、この新企画が降りてきたのは、僕にとっては最高に有難いことです。 異なる様々な流派の空手は勿論、「kuro-obi」とは、空手に限らず、他ジャンルの武道の達人にも学びながら、アクション界のkuro-obiともいえるアクションチームや監督の力を借りながら、僕自身のアクションスタイルを進化させていくプロセスをぜひリアルタイムで見守ってください!『kuro-obi world』ファウンダーの西冬彦監督は、僕のアクション俳優としての可能性を見出してくださった恩師でもあります。(「トーナメント」「琉球バトルロワイヤル」) 全面の信頼を預け、この新企画に取り組んでいきたいと思います! 予告編が昨日公開されました。今後、本編が順次公開になっていく予定です。無料登録できるメルマガに登録すれば新着情報も自動的に入ってきます。 メルマガ情報より↓ ↓ ↓ 今週のメルマガは、新企画「アクションと空手が合体!」の裏話を書きまし た。アクション俳優ジョーイくん、中達也先生、アクション監督の吉田浩之 さんのことを、じっくりと。無料登録はこちらから。https://bit.ly/2wMcIJT 予告編 ↓ ↓ ↓
プロジェクト支援者募集締め切りまであと数時間になりました!今日は午前中から、日本向けのプロフィール写真を新しくするためスチール撮影をしています。締め切りまでのカウントダウンが気になりながらもカメラの前に立っています。ヘアメイクを担当してくれたのは、なんと僕が小さいころ(4歳くらい)ロサンゼルスのダンススクールの留学生だった丹後知久さんです。高校卒業仕立てで留学しに来たのだとかというと当時28歳?、、、帰国後ヘアメイクの勉強もして、今では有名ファッション誌やショーなどで大活躍の"踊れるヘアメイクアーティスト"です!さあ、撮影が終わったら、今日はもう1つ仕事があります。デビュー前からレッスンを担当している Boysユニット「Intersection」の振り付けです。帰宅できるのはおそらく23:00過ぎかな? 23:59の締め切りカウントダウンに間に合いますように!そして、もう1つ心にあるのは、今日は母のバースデー!間に合いますように!頑張って振り付けしてきます!!皆様、締め切り 最後まで、応援宜しくお願いいたします。
『丞威インタビュー 子役から『HiGH&LOW』、ドニー・イェンとの共演、そして世界へ!25歳の「アクション俳優」波乱の半生と未来』僕の全てを話し、記事にしていただきました。インタビューリンク ↓ ↓ ↓ ↓ https://getnews.jp/archives/2147497 ↑ ↑ ↑ ↑ 役者のインタビューのほとんどが出演作品の宣伝が多い中、こうやって一人の俳優を熱心に取り上げてくださるライターも少ないと思います。「丞威」をできるだけ多くの人に知ってほしいというライターさんの熱い気持ち、そして何よりこのインタビューで自分の半生を形として残せたことを嬉しく思います。かなりのロングインタビューですが、お時間あればぜひ読んでください!
海外進出に向けて日本の仕事も頑張ってます!つい先日ハワイでのCM撮影に行ってきました、オンエアの情報が分かり次第お知らせさせていただきます。早く情報公開したいです、、楽しみにしててください!↓↓↓下の画像はCMで使用された38年シボレー、ティキ神の絵またかっこよくてしびれました!!世界進出へ向けてのクラウドファンディングプロジェクト締め切りが迫ってきました、目標額まであともう一歩です最後まで応援よろしくお願いします!!
その③ アクロバット ロサンゼルスの公立小学校では体育の授業がありません。 その代わりに民営の体操教室が充実しています。僕は5歳くらいから、器械体操やトランポリンの教室に通い始めました。空中で身体をコントロールする能力や器械体操的な技を身につけることは、柔軟性や回転技と同様に、ダンスを踊るにあたって、身体表現の範囲が広がる、またそれらはできるだけ早い時期に身につけた方が良い、という親の考えからでした。 14歳くらいの頃、家族ぐるみの付き合いがあり僕を弟のようにかわいがってくれた中国系アメリカ人のカンフーアーティストがハリウッド映画のスタントたちが自由に練習できるジムをオープンし、そこにはパルクールやトリッキングで世界的に有名なマーシャルアーティストやハリウッドのスタントが集まっていて凄い技を練習していました。当時、試合での優勝を目指して空手の稽古に励んでいた僕にとって、その場所は空手とはまた違った刺激があり思いっきり身体を動かして発散できる場所でもあり、新しい技術習得に挑戦するというモチベーションが上がる空間でもあり、空手の稽古後は毎日のように夜遅くまでそこで過ごしていました。 最年少の僕をみんな可愛がってくれましたし、みんなは僕のダンスを見るのが好きだったので、ダンスを踊って見せる代わりに技をおしえてもらっていました。そのジム主催の第一回トリッキング新人戦では、僕が優勝したのでみんなかなり驚いていました。もちろん、優勝を手にした後は、教えてくれた人たちへの感謝を込めて踊りました。下の映像はバトル後のダンスですスタントのみんなは、あくまで映画格闘シーンのためのアクションとして技を磨いていましたが、僕は同時期に空手の試合で勝つことにも取り組んでいたので、トリッキングで習得した技を実戦で使えないものかと考え、ミットやサンドバックなどを使っての練習も独自にしていました。 この取り組みが、後に俳優としてアクションシーンを演じる際に、実戦のような間合いとスピード、そして、アクションシーンのリアリティを高めることに繋がったのかもしれません。『ダンス』『空手』『アクロバット』とは、生まれてから15歳くらいまでに、このような環境、出会い、体験がありました。そんな僕が『アクション映画』の世界に俳優として入るきっかけとなったのは、日本で西冬彦監督と出会ったことがそもそもの始まりでした。僕は16歳でした。アクションとは関係ないある映画のオーディションに行った時、そこに西監督がおられました。そのオーディション選考には漏れたのですが、僕が空手をやっていることに関心を持たれた西監督から言われるままに技を披露しました。 その1年後、「ジョーイの映像を撮る!」と西監督から連絡があり『トーナメント(異種格闘技戦)』の企画が動き始めました。この映像の中では僕が勝つことは決まっていましたがそれ以外の台本はなく、寸止め無しのガチンコ試合です。空手の稽古や試合でもこれほど体力的肉体的ダメージを受けたことは無く、アイシングをしながらも痛みで眠れない夜を過ごしながらの撮影でした。当時17歳の僕は、撮影が終了した途端に床に大の字に身体を投げ出し、強く思ったのは、「二度とやりたくない。」ということでした。西監督は「これはジョーイのプロモーション映像だ。」と言われましたが、その時の僕には何のことか理解できませんでした。それから1年後、西監督から連絡があり、「ジョーイ主演で映画を撮る!」それが『琉球バトルロワイヤル』です。西監督は、『トーナメント』の映像を持って、全く無名の僕が主演をやらせていただける映画の企画を実現させてくださったのです! ダンスと空手のハイブリッド→アクションドラマ という 「ダンス」「空手」「アクロバット」の3エレメンツです。劇中の対戦相手のひとりは、八木明人さん(国際明武館剛柔流空手道連盟会長)、僕が 習ってきた極真会系の実戦空手とはスタイルは違いますが全世界に弟子を持つ本物の空手家です。剛柔流空手は攻撃ありきではなく、受けから入るということで、対戦はどのように始めてどのように展開すべきか、などじっくりお話をうかがいながら一緒に作っていけたのは僕にとって貴重な体験、勉強になりました。もうひとりの対戦相手は、K-1戦士で“ミスター正道空手”の異名を持つ子安慎吾さんです。僕は上空からの回転技で子安さん演じる対戦相手を倒すのですが、リアリティ重視の西監督は、子安さんだから本気で受けられる、ジョーイだからちゃんと当てられる、という方針の元撮影は進みます。撮影ですから何度も角度を変えての撮影や撮り直しをします。空中からの技ですから打撃の手加減にも限界があります。しかも僕は靴を履いています。いくら鍛えぬいている子安さんといえども、何度も当てられている、それでも役者としてその役を身体をはって演じようとしている姿を見て、そのシーンを撮り終えた後、僕は、ひとり、沖縄の海を見ながら涙がこみ上げてきました。同時に、僕は、もっと頑張らなければいけない、主役というのは、このような方々の忍耐と努力の上に成り立っているんだ、ということを学び、主役を張るということは、みなさんの努力が報われるよう、それ以上の、人一倍の努力と覚悟で臨まなければいけない、のだという思いが芽生えた瞬間でした。「アクション業界って狭い世界なんだよ!」と、アクション部の方が言われます。特殊技能を持った職人が集まる世界なので、いい意味でそうなんだろうな、アメリカのスタントさんたちもそんなかんじだったな、と思います。西監督が発信してくださった『琉球バトルロワイヤル』きっかけで日本のアクション監督さんたちが、「ジョーイ使ってみようか」「ジョーイ面白そうだね」という流れになったように思います。その後の仕事はほぼアクション監督繋がりでした。園村健介 アクション監督(Battle of Kyoto 辻本貴則総監督、コードネームミラージュ17話)谷垣健治 アクション監督(“VOICES” by My First Story)坂口拓 アクション監督(Tokyo Tribe, デメキン、東京バンパイヤホテル、レッドブレイド)大内貫仁 アクション監督(ハイロー、ETFD:)吉田浩之 アクション監督(孤狼の血) 上記は監督名だけですが、その都度関わらせていただいたアクション助監督、スタントの方々とのお付き合いは、日本に来る前に例えれば、14-15歳の頃、トリッキングをハリウッドスタントの人たちの中で練習していた時のような、アットホーム=ファミリーな感じです。アクション部、スタントの方々の技術があってはじめてアクションシーンが感動的なものになります。言い換えれば、俳優が技術が無くてもアクション部の技術で成立するのが、日本の映画だと思います。だったら、アクション部をもっと優遇しろよ!と思うのですが、、、、、。アクション部のひとたちは“職人”です。それは、アメリカ、ハリウッドも同じです。ダンス業界を動かしている人たちも“職人”です。僕は、子供の時から、そういう人たちに囲まれ、そういう人たちの優れた面に触れながら、また、そういうひとたちの“葛藤”もみてきました。僕にできること、それは、僕が俳優活動を通して、ダンサーや、スタントの方々が個々の個性や技術を最大限に表現できるように、主役級の仕事を重ねていき、発信していくことかもしれない、と感じています。キャストの公開が先日ありました、「Enter the Fat Dragon」(監督:谷垣健治)この撮影中、主演のドニーイエンが教えてくれました。ジョーイはアクションの動きは素晴らしい、でも、俳優として、それをどう活かすかだ!ということです。それはドニーイエンのような巨匠から学び取れるようにチェレンジしていくと共に、僕と同じように幼少からアクションに通じる武芸を嗜んできた俳優が五万といるアジア大陸で体験し、勝ち抜いて行くしかありません。そして、それができるのは、今しかないと感じています。