こんにちは。先日はMCR農園の畑画像をご覧頂きありがとうございました。続きまして今回はMCR米の田んぼ画像です。↑中田1番あ、いきなりですが畑画像がひとつ残ってましたのでそこから。ここはもともと田んぼだったのを昨年エビ芋畑にしていて今年はエネルギーチャージ中。春には可愛いレンゲが沢山咲いていました。このレンゲ、土壌改良に良い草花だと聞きます。種を撒こうと思っていたらいつまにか咲き始めたのでテレパシー?妖精さんの魔法?かと疑いましたが、きっとここにはウ●●ー●●ゼリーではなくれんげが必要だという自然の力なのかもしれません。↑中田3番↑中田9番↑中田10番↑上の奥上↑上の奥下↑平2番↑平5番↑平6番↑平7番↑平9番以上、今年度は全部で11枚の田んぼを栽培中です。稲刈りまであと2か月、ご覧のように稲が色濃く元気が良いのですが昨年はこの時期に台風と豪雨が続き、田んぼが崩落したり、土砂が入ったり。昨年だけではなく、この地域はほぼ毎年台風被害にあい、大事に育てた作物や稲たけではなく、その農地自体を諦めてきました。ある方とお話をしていて気付いたのですが、この諦めるしかない、しょうがないという経験、それに見舞われた時は本当に悔しい思いだったはずなのに翌年には忘れたようにまた新しい1ページが始まる、これが自分たちの生き方にも大きく影響しているように思います。そして、昨年の7月豪雨でわだちができて車の走行もできなかった農道は、すぐに村の方々や友人にも助けてもらい、暑い中砂利を敷いてもらいました。その後も雨が降る度にみんなが汗水流して敷いてくれた砂利が流れて穴ぼこだらけになっていて、軽トラでゆっくり走行する間、ドアの取っ手をぎゅっと掴んでいても身体全体がぐんにゃぐんにゃと揺れるくらい。その農道を今回初めてアスファルトにしてもらったのですが、身体が揺れないってことだけでこんなに身体にも心にもストレスフリーなんですね。それでは、今回も最後までご覧いただきありがとうございました。引き続きのご支援宜しく御願い致します。
こんにちはー。それでは昨日のつづき、MCR農園、現在の畑の様子、ちょっとした紹介をしながら一気にいかせて頂きます。まずは海老芋から。トップの写真のようにひと畝ずつ念入りに見て回ります。なんでかと言いますと、ほら↓この虫が大事な海老芋の葉っぱを食い尽くすからです。この時期水やりに時間をとられてしまい、この作業がおろそかになりがち。気づいたら茎だけにされていることも。こちらはオクラ、けばけばのないつるんとした丸オクラです。雨が降ると背丈も葉も一気に大きくなって苗が倒れそうになっていたので少し葉を剪定しました。これはレモンバーム。葉と甜菜等で煮出ししてシロップを作ります。清涼感抜群のハーブティーは夏バテ予防にもなりますよ。その向こうはパプリカ二種、そしてあしたば。スイカはつるが順調に伸びはじめたのでトタンで囲いました。サツマイモもごいごいツルが伸びています。先日全て刈り取ったのにまたこんなに伸びました。ふき以外にアップルミント、ヨモギの他雑草も。競争して頑張ると良いものが採れるのです。こちらは春、突然のお別れになってしまったご近所さんの畑。大事に育てられた玉ねぎも取り時が来たのでマルチと共に全て取り除き、農機で起こしました。お子さんは都会にいらっしゃるのでMCR農園で預かることになりました。その上の段にあるのは6月後半にニンニクを取り除いてお休み中の畑です。なすびも少しずつ実がなり始めました。昨年は油断してる間にエセてんとう虫に荒らされたので厳重警戒。プチトマトの間にはバジル。どちらも相互作用で生育が良くなるし、この二種だけでパスタできます。帰ってから作る晩ご飯メニューに行き詰ったらこれ。毎日なり続けるきゅうりと可愛らしい葉っぱのはラッカセイ。じゃがいもの時期が来たので葉の枯れ具合を見て二株くらい掘ってはほぼ毎日食べてます。こちらにもアップルミント。いい匂いだし、土壌も良くなるのであちこちに植えています。昨年の7月豪雨修復作業でこの農地は工事車両の通り道となっていました。それも終わり、鉄板なども取り除かれたので農機を入れて起こし作業をしました。こちらにも海老芋ずらり。またここにも海老芋がずらり。海老芋の苗は全部で千株植えました。ここにもじゃがいも。雨が降って畝と畝の間に水が溜まるのは昨年まで田んぼだったから。この並びの田んぼは昨年の7月豪雨で大きく崩落し土砂が入ったので畑にしました。かぼちゃも沢山花が咲き始めたのでなるのが楽しみ。そして、あちこちに置いてあるこの浴槽は雨水を貯める為。ここにいるおたまじゃくしにパンくずをやるのも私の楽しみのひとつですが長居は許されません。腰に手をあてたおじさんがあきれ顔で見ています。つづく
本日は珍しく2回目の活動報告いかせて頂きます。先日の北近畿経済新聞さんに続き、今度は舞鶴市民新聞さんから取材を受け、な、なんと!!!本日発売号のトップに掲載して頂きました。井上さん、カッコいい記事を書いて頂きありがとうございます!!ちなみにこちらは大昔、広報まいづる(多分)に掲載頂いた時のもの(細)この頃はまさか自分が農業で新聞に掲載して頂けるとは思ってもいなかったでしょう。人生何がきっかけでどう変わるかわかりませんね。
こんにちはー。昨日の活動報告はいつもと違う内容で少し驚かれたかもしれません。MCR農園にとっても私たちにとってもほんとに大事な人だったのに、叔父が旅立ってすぐには書けず、ようやくです。叔父だけでなく、お別れする機会は年々多くなり、歳を重ねたからなのか、その人との関係性によるものなのか、見送る時は号泣しなくてもいつもの風景にその人がいないことがこんなに寂しいものなのかと思います。それでは、また今日からまたはいつも通りの活動報告を続けさせて頂きたいと思います。日々成長していくMCR農園の作物をご覧ください。まずは畑編から。◎葉も背丈もぐんっと成長した海老芋とこれ以上の成長はないだろう夫↓◎トタンに植えてみた牛蒡もいい感じに育っています↓◎くるくると棒のようなものがあらわれていたウコンの葉は手のひらを広げるようにカバッと大きく開きました。手前の竹とんぼみたいなのは生姜です。↓◎こちらは宇宙芋と夫。毎日つるがにょきにょき伸びていますが夫は・・・あ、もう説明済でした。◎そして昨日は思わぬ大風が吹いていたようで菊芋が全て横倒しに。あ、夫は真似しているだけです。今日も元気に働いています。ご心配なく↓☺︎つづく
MCR農園には強力な助っ人がいます。今こうしてこの文章を書いているのは車のラジエーターを修理する仕事の合間で、先日も少しお話ししましたが、自動車屋さんから電話を頂いたら早急にGOする仕事です。お客様はいち早く修理を待ち望んでいらっしゃいますので当然のことです。その時間、農園に草刈機を背負ったその強力な助っ人が登場します。動物霊園を営む彼は手馴れた手つきで今まさに活動期の雑草を刈り取ってくれます。彼がいてくれるお陰で夫の負担も村のみなさんの負担も軽減されているのです。その彼に先日亡くなった叔父が何十年と手がけてきた農地を片付けてもらいました。夫の父方の叔父がこの世を去ったのはこのプロジェクトを開始して間もなくのことでした。亡き父の従姉妹である叔母さんの旦那さんですので、そんなに近い親戚ではないのですが、同村に住む祖母のことをよく気にかけてくれた気の良い叔父でした。私たちの仲人も引き受けてくれた叔父との距離が縮まったのは田んぼをし始めた頃から。毎年、田植えを迎える頃からうちの田んぼの様子を見に行ってくれては、かかりつけの医者へ行くついでにうちの店に寄ってくれていました。「あれでは水が多ーいーのぅー」と教えてくれるのですが、コップの水ではないのでよくわかりません。どれだけ少なくするのかは自分次第です。「お前、あれでは少なすぎるじゃろ?よう考えーよ。」と言われるので少し増やしてみる。「まああれやったら上等じゃろ。良いじゃろ。そやけど毎年(気候によって)違うでの、よう見とれよ。」と言われてホッ。こんな風に本当に根気よく丁寧に教えてくれるのです。稲刈りにも昨年まで毎年来てくれ、機械で刈ることのできない四隅の刈込をしながら、私に刈り方や今年度の失敗点をこと細かく教えてくれました。稲刈りをした後、乾燥して籾摺りをするのはいつも夕方農園仕事をした後ですから、外は真っ暗です。軽トラに乗ってやって来て、うちの玄米を手で触り「粒が小さいのぅ」と言いながら機械の調整をしてくれて、でもここ数年は毎年「良いのがでけた、上等じゃ」と嬉しい事を言ってくれると同時に「ワシものぅ、もう先長ないで片付けとんじゃ、後のもんに迷惑掛けるでの」とまるでその日がわかっているかのような言葉が叔父の口から出るようになり、今まで大事に使って来た道具を「ワシはいらんで使え、使てくれたら良いど。遠慮すなよ。」と言うようになっていきました。この春に家へ行った時には「もうわからへんど、どうなるじゃろ知らん」と言い、それからまもなく入院しました。そんなに重くとらえていなかったのと叔父が来なくていいと言うので、言う通りにしてお見舞いにも行かず。だけどこれまでのように大きな精米機を使えないので家庭用の精米機を注文して欲しいと頼まれており、それを持って家に行ったらちょうど退院して来た日でした。今までなかった手すりが付けてあるのに気付きましたが、特にそれには触れず、叔母の言うように精米機を設置していると、車椅子に乗った叔父が隣の部屋から顔を出し言うのです。「もうこんなんなってしもた」内心驚きましたが、ここで私たちが落胆してはいけないと思い、「おっちゃん、今年は長いこと寒て用事ができなんだけど、またいっつもみたいにやりたいことばっかりでじっとしとってないって。じきに元気になるで。」と言うと、「世話になるのぅ、悪いのぅ、ほじゃけど、それ買うといてもろたら安心じゃ。もぅ、よぅ持たんでのぅ、重たいもんは。」と笑っていたので、以前ほどではなくても叔父とのやり取りは続いていくものだと思っていたのです。だけど、 その日からすぐに再入院してしまったので「しんどいからしゃべれんし、誰にも来てほしくないって言うんや」という娘さんに今度はお見舞いに行かせて欲しいと頼んでみました。その翌日のお昼前、その娘さんから電話があり「父が勝隆くんに会いたい、今から来てー言うとるから来て欲しい」私も行きたかったのですが、店をからっぽには出来ず夫だけで。病室に入ると叔父は夫の手を両方の手でしっかりと掴み、「頼むでのー、勝隆くん、頼むでのー」と精一杯の声で言ったそう。それが叔父とのお別れでした。人の死はある日突然に訪れるものですが、叔父はその日がわかっていたかのように夫に農業のノウハウを託し、身の回りを綺麗にして旅立ちました。その叔父が稲刈り時に出会うその強力な助っ人、せいじろうのことを大層気に入り「あんなええ子をどこでスカウトしたじゃ?」と毎年褒めていました。そのええ子に自分の手がけた農地を片付けてもらい、叔父も喜んでいると思います。