2019/06/09 16:54

デフフットサル日本代表8番の宮田夏実と申します。


兵庫県出身、関西学院大学4回生で「関西学院大学体育会サッカー部」に所属しており、大学サッカーを中心に日々練習に励んでいます。


このプロジェクトをご支援、拡散していただきありがとうございます。



今日はデフフットサル・デフサッカーに対する私の想いを綴らせていただきます。

まとまりのない拙い文章ですが最後まで読んで頂けると嬉しいです。


5つ離れた兄(兄も聴覚障害者です)の影響でサッカーを始めました。小学校の時は、大阪にある聴覚障害者のサッカーチームに月に2.3回くらい通い、

中学から本格的にサッカーを始めました。しかし女子サッカー部はなく、それでもサッカーがしたかった私は、男子の中で部活動をしてきました。聴覚障害のことでからかわれることもありましたが3年間なんとか頑張ってきました。



高校は女子サッカー部のある高校に行きたくて、学力的にも厳しかったのですが、人生に一度あるかないかっていうくらい死ぬ気で受験勉強しました。そのせいで体重が今より10キロ増えていました(笑) 



そんな私がデフサッカーに出会ったのは、中学1年生になる春です。


そして、大学2回生の時に山本監督に声をかけて頂き、それまでサッカー一筋だった私がフットサルを始めました。サッカーとは違ったフットサルの面白さにすぐに魅了されました。




私がデフサッカーに初めて入った頃は、練習着も支給されず、合宿も今みたいに多くなく、1年に2.3回だけでした。


それと比べて今ある環境は少しずつ良くなってきていますが、毎月行われる合宿の宿泊費や交通費、そして国際大会の遠征費はほぼ自己負担です。それは入った頃と全く変わっていません。


私はデフサッカーとデフフットサルを掛け持ちしており、さらに大学サッカーの部費代や遠征費、その上学費もあり、経済的にとても厳しいです。

経済的な理由で辞めていった仲間も見てきました。その時はつらかったです。



また、正直なところ、代表合宿に参加するにしろ、このクラウドファンディングをするにしろ、デフの活動をすることにまだ葛藤があります。


私は大学サッカーでレギュラーではありません。出たり、出なかったりです。日本代表というのは、所属チームで活躍してこその代表だと考えます。そんな私が胸を張って日本代表としての活動をしていいのだろうかというもどかしさ。国際大会などで長期間部活をお休みする時の後ろめたさ。それでも大学の仲間がデフの活動に理解を示してくれて感謝しかないです。




私がデフフットサル・デフサッカーをする目的の一つとして、

デフフットサル・デフサッカーを通して、1人でもより多くの方々に聴覚障害のことを知ってもらい、子どもたちに夢や希望を与え、健聴者との架け橋になることです。


私自身子どもの頃、聴覚障害であるという現実をなかなか受け入れられず、なんで自分だけが聞こえないんだろう、聞こえてたらもっとあんなことやこんなことできていたのに、と聴覚障害に対して前向きになることができず、そんな自分が嫌いでした。


そんな時にデフサッカーと出会い、聴覚障害を持っていながらも前向きに胸を張って頑張るお姉さん達を見て、私もあんな風になりたいと憧れを持ちました。以前よりも前向きにポジティブになれました。


また、人間関係が上手くいかず、何度もサッカーを辞めようと思った時もデフサッカーとデフフットサルがあったから、また同じようにデフの仲間が頑張っているからこそ、辞めずに続けてこれました。


だから私は、デフフットサル・デフサッカーに夢と希望をもらい、ここまでやってくることができました。次世代に繋げるためにも今度は私が恩返しする番だと思います。



今回のデフフットサルW杯で必ず世界一をとり、デフカテゴリーの認知度を上げ、今ある環境をより良くしていきたい。


そのためにも今まで以上の覚悟を持って、このチャレンジに挑みます。


この大好きなメンバーとフットサルができ、応援してくださる方々がいることの喜びを噛み締めて、皆さまの想いをのせて必ず世界一を成し遂げます。





どうか皆さまのご協力、ご支援のほどよろしくお願いいたします。


最後まで読んでいただきありがとうございます。




#8 宮田 夏実