2019/06/10 08:39

デフフットサル日本代表 8番 吉野 勇樹です。


山形県出身 神奈川県育ちの27歳です。


デフサッカー日本代表とデフフットサル日本代表と合わせて、代表歴は9年目になります。


この度、クラウドファンディングのご支援とご拡散いただきありがとうございます。


今回は僕自身の「生い立ち」と「デフフットサルを始めたきっかけ」「現状とお願い」について書きますので、興味のある方は最後までご一読いただければ幸いです。


「生い立ち」


僕は生まれつき耳が聞こえません。

両耳平均90デシベルです。


幼稚園から中学までは一般の学校に通っていました。小中の間は月に1回、通級教室に通い、発音力や文章力を培うための訓練を受けていました。


健聴者との会話では口形を読み取る口話中心でコミュニケーションをとっていましたが、集団での会話となると、今でも難しいです。


高校進学を機に横浜市立ろう特別支援学校に入学することになり、初めてデフとの関わりをもち、そこで手話と出会いました。


その後は、聴覚障害学生が通う筑波技術大学に入学しました。

そこでは情報保障が充実しており、同じデフ同士が対等に学び、互いに切磋琢磨し合える環境がありました。


社会人になって、障害に理解のある会社に入り、情報保障の面でサポートをいただくことで、自分の持てる力を存分に発揮することができています。



さて、ここで話が遡りますが、僕の生い立ちの中でのサッカー・フットサルとの出会いについてふれたいと思います。


僕の原点はフットサルにあります。


6歳のとき、横浜市の地元で、ブラジル帰りのコーチが立ち上げたフットサルクラブに入団しました。


ボール蹴り始めた当時は、味方にパスもせず、ひたすらドリブルばかりしてました。ただただ下のボールだけを見つめてドリブルをしていたそうですが、僕はこの時期にドリブル技術を培ったと思っています。


 12歳までフットサルを続けていくうちに、チームでの戦い方を覚え、自分を犠牲にしてでも、チームが勝つためによりゴールが決まる確率の高い手段を選べるようになりました。


中学では横浜市で2番目に生徒が多い学校のサッカー部に入りました。部員が全学年合わせて45人ほどいました。


この時に初めてサッカーを始めたのですが、ずっとフットサルをやってきた自分にとってここで初めての挫折を味わいました。


ロングボールが蹴れない

ロングシュートが打てない


フットサルコートとは違い、サッカーの広いピッチでプレーするのに必要な技術が足りないことに衝撃を受け、 1年間ひたすら基礎技術(ロングパス、シュート、リフティングなど)を磨いていました。


ただ、同学年の中でも絶対の自信があったののは「ドリブル技術」と「スタミナ」でした。


これだけは誰にも負けない自分の武器でした。


中学2年の夏以降にレギュラーが定着し、不動のボランチとして活躍することができたのは、この強みがあったからこそです。


高校時代はろう学校の生徒数が少ないこともあり、サッカー部がありませんでした。

その代わりに陸上部に入部して、サッカーのためのトレーニングのつもりで活動していました。

専門種目は1,500m走と5,000m走で、全国ろう陸上大会で優勝したこともありました。


学校の先輩の勧誘を受けて土日に活動している神奈川デフフットボールクラブ(KDFC)に参加して初めてデフサッカーとの関わりをもち、これをきっかけにデフサッカー日本代表を目指すようになりました。


大学1年でデフサッカー日本代表に選出され、日の丸の重みを知り、デフリンピックに2回出場しました。

特にサムスンデフリンピックで起こった悲劇は忘れられません。

初戦で優勝候補のウクライナに逆転ゴールを決め、大金星を挙げ、予選突破濃厚と思われた日本でしたが、3試合目のイタリア戦で残り数十秒で逆転ゴールを決められ、予選敗退となりました。

あの時の悔しさを胸に刻み、次のデフリンピックで必ずこの悔しさを晴らしたいと今も努力を続けています。


「デフフットサルを始めたきっかけ」


生い立ちの話がとても長くなりましたが、ここでデフフットサルについてふれていきます。

2017年サムスンデフリンピックで共に戦った同い年のデフフットサル日本代表 #7 東海林選手の勧誘を受けたのがきっかけです。

実は以前からデフフットサルの勧誘を受けていたのですが、デフフットサルに興味を持ちつつもデフサッカーに集中したい理由でお断りしていました。


しかし、当時デフフットサルとデフサッカーの掛け持ちしていた東海林選手から勧誘を受け、自分も掛け持ちすることに決めました。

なぜデフフットサルを始めたのか?


先ほど生い立ちで述べたように自分の原点がフットサルであること。そして、当時はデフサッカーの為のトレーニングの一環と考えていたからです。


自分の原点に戻り、もう一度フットサル技術を磨くことで、よりサッカーで力を引き出せるのではないかと思い、デフフットサルを始めました。


そこで、デフフットサルフィジカル改革プロジェクト(OURVISION)が始まり、フィジカルベースを上げるべくして、人生で初めてウェイトトレーニングを取り入れ、今まさに身体の変化を感じています。

OURVISIONの活動を通してスポンサー様よりトレーニング用品などを提供していただき、限られた時間の中でトレーニングの質を上げることができています。ご提供いただき、本当にありがとうございます。

こうして今年タイで行われたアジア太平洋ろう者フットサル選手権にて、フットサルプレーヤーとして自身初の国際大会出場となりましたが、世界王者のイランに勝てず、その差を痛感しました。

しかし、その差は11月の世界ろう者フットサル選手権までの努力次第で埋められると思っています。


その差を埋めるための努力とは何か?


フットサル戦術の理解や実戦経験の積み重ね

ウェイトトレーニングによるフィジカルベースアップ

アジリティトレーニングによる身体のキレやスピードアップ


などなど、限られた時間の中で努力しなければならないことがたくさんあります。

 

 1日の過ごし方を大切にして世界一になるための覚悟を持って取り組んでいきます。


「現状とお願い」


僕が所属しているチームは以下の通りです。


アバンソールソルド(埼玉県3部)

レプロ東京(東京都4部)

神奈川デフフットボールクラブ(神奈川県協議会リーグ 1部)


なぜ3チームに掛け持ちしているのか?


アバンソールソルドはデフフットサル日本代表選手が多く在籍しており、日頃から一緒にプレーすることで、連携を高め、代表レベルの底上げを図るためです。

レプロ東京ではデフと聴者の混成チームとしてデフサッカー選手にとってレベルアップを図れるような環境づくりに貢献するのためであり、なおかつ自身のサッカー経験を培う場でもあります。

神奈川デフフットボールクラブではデフサッカー日本代表を目指すうえで在籍が必要であり、なにより地元愛のあるチームです。

このように3チームを掛け持ちしているため膨大な活動費がかかります。


それでも、所属チームでの活動費は自身が代表選手であり続けるための自己投資だと思っております。


しかし、大学1年から現在まで毎年、日本代表としての活動費も全て自己負担で海外遠征に行っていました。


代表に実力のある選手が選出されても経済的理由だったり、日本でのデフリンピックでの知名度が低いことから、大学や会社で大会派遣を認めてもらえず、海外遠征に行けない選手もいました。


代表活動費でさえも選手が負担しなければいけないのが現状です。


こういった状況を打開するために、今回のクラウドファンディングを立ち上げることになったのが、ご支援とご拡散をお願いする経緯となります。


デフサッカー、デフフットサルの現状を多くの方に認知していただくために、拡散にご協力いただけるとありがたいです。

クラウドファンディングに通して、共に「世界一」に挑戦してみませんか?


吉野勇樹