2019/06/11 17:10

デフフットサル日本代表15番の仲井(26歳)です。


まず、6月10日までに360人もの方にご支援いただきました。この場をお借りして皆様に心より御礼申し上げます。


僕からは「スポーツの持つ価値」と現在についてアップさせていただきます。



〜スポーツの持つ価値〜


僕は元々フットサルではなく、サッカーをしていました。サッカーは7歳から始めて約19年になりますが、多くの紆余曲折があり、その中で「スポーツの持つ価値」というのを自分なりに見出すようになりました。

今回はそんなお話をみなさんに共有させていただけたらと思います。


■生い立ち

大阪を象徴するビリケンに瓜二つの僕は、大阪の泉南地区で生まれ育ちました。

僕の地元には約300年の歴史を誇るだんじり祭りがあり、秋になると地域が祭り一色でやかましくなります。そんなやかましい地域とは裏腹に、いや、やかましい地域だからこそか、世界で活躍する人がたくさん生まれています。例えばファッションデザイナーのコシノ3姉妹、サッカー日本代表の南野選手や室屋選手がいます。そして僕、仲井もいます(他にも結構いるみたいだ)。


僕は先天性聴覚障害で生まれました。

耳が聞こえないことで発音が上手くなかったり、色んな面で苦労するだろうと心配した母は、僕が小さい頃から色々と厳しく付き合ってくれました。

例えば、毎日幼稚園に行く前と晩御飯を食べる前に舌から血が出るくらい発音の練習をさせられたり、小学校の音楽の授業についていけるように音程を聞き分けられないにも関わらずピアノを習わされたりと当時の僕にとっては厳しいものばかりでした。しかし、今となっては大変感謝しています。


■サッカーを始めたきっかけ

小2に上がる時に小1から1年間にわたる父の猛プッシュがきっかけでサッカーを始めました。その時はただ球蹴りという認識でボールを蹴っていたのですが、気づいたらボールを蹴ることが楽しみになっていました。

そして、小5〜6年で他のチームとの交流やトレセンなどを通して、多くの人と友達になったりすることも1つの大きな楽しみになってきました。


■中学時代

中学時代は、久米田FCというクラブチームに所属し、約10年経った今でもクラファンやFacebookを通していつも応援してくださっている恩師と出会いました。

中学時代と言うと思春期の時期。いじめや人間関係で悩む人が増え始める時期でもあります。かく言う僕もその一人でした。中学時代になると小学時代に比べて複数人で話す機会が多くなります。通常学校に通っていた聴覚障害の僕は、周りの話がわからず、何かを話しかけるとそのほとんどがKY発言で、友達との距離が微妙になることが多々ありました(というか、今でもKYと言われるので元々KYみたいです←)。自分にも原因がありますが、そのことは中学校でもチームでも人間関係において少しずつ苦しみ始めました。

ただ、なぜか面白いことにサッカーのピッチ内では人間関係に苦しむことはあまり無かったのです。しかし、チームではピッチ外での人間関係が苦しかったので、高校からはサッカーはもういいかなと思ったりしました。


■高校時代

高校入学直前に偶然のご縁があり、デフサッカーを知りました。初めてサッカーをしている聞こえない人と出会った僕は、彼らとの出会いを機に日本代表を目指そうと、サッカーを続けることにしました(この時デフフットサル最年長の船越選手と出会い、それは僕がサッカーを頑張る1つのモチベになっていました)。

高校は、中学と違って知人がおらず、多少ナーバスになりながらもサッカー部に入部しました。知らない人に聴覚障害のことを理解してくれるか不安でビクビクしていた僕ですが、ボール1つを通してみんなとサッカーをすると、それは杞憂に終わりました。むしろ、一緒にサッカーをすることで、聴覚障害について少しずつ理解してもらえるきっかけとなりました。


■大学時代

高校時代のチームメイトに誘われて、一浪しながらも筑波大学に入学し、蹴球部に入部しました(誘ってくれたチームメイトは別の大学に行きよりました…オイ!)。

筑波大学蹴球部は、毎年Jリーガーを輩出している名門です。全国から猛者が集まり競争率が激しいところで、聴覚障害のことを理解してくれるのか心配で仮入部直前はストレスでお腹が痛かったことを今でも覚えています。

仮入部前のオリエンテーションでは、全員鬼の形相をしている現役部員のスタッフしかおらず、雰囲気的に彼らにお願いはしにくかったのですが、勇気を振り絞って要約筆記などのサポートをお願いしました。スタッフから「わかった。やるから席に座っといて。」と言われましたが、オリエンテーション中は何もなく僕は「理解してくれるのは難しいんだな」と途方に暮れたところ、終了後に議事録として細かい情報が記された紙をいただきビックリしたことを覚えています。狐につままれるというのはこういうことなのかと←

また活動開始の初日に、同期を含めた全員の前で聴覚障害について説明する機会を設けてもらいました。僕がお話しした後のスタッフの説明で練習が始まりましたが、説明内容が全くわからなかった僕はスタッフに内容を確認しに行こうとしたら、怖そうな顔をした同期が説明内容をわかりやすく教えてくれました(後にJリーガーとなったこいつがいなかったら蹴球部を続けられなかったかもしれない…)。その他に大学4年間を通じて多くの同期・先輩・後輩に多くの面で助けてくれました。

その時は「なぜこんなにも助けてくれるのか」疑問でしかなかった僕ですが、今その理由がわかります。

この理由の1つに僕が思う「スポーツの持つ価値」があると思います。


■スポーツの持つ価値とは

それは、スポーツを通して「目の前の人を一人の人として向き合う」瞬間・時間をもたらしてくれるということです。

スポーツを通して、勝利などの目標に向かう中で周りの人と話したりプレーしたりと関わる瞬間・時間があります。その時、目の前にいる人が相手に対して向き合っているスタンスは、世間におけるレッテルなどに関係なく「一人の人として真摯に向き合う」スタンスであり、そしてそれはその瞬間・時間をもたらすと思います。

そのスタンス、そしてその瞬間・時間によってもたらされるものは、何か。


それは、その人が持っているポテンシャルを最大限に引き出せるようなベストな状態にもっていくこと、または、ベストな環境にすることです。


誰かができないのであれば、別の誰かがサポートする。

お互いに褒め合う、高め合う、協力し合う。

そこには障害の有無も関係ありません。障害があってできないことがあれば、みんなで別の方法で工夫してその人のポテンシャルを最大限引き出せるようにする。


中学時代にピッチ外で苦しんだ人間関係がピッチ内ではあまり感じなかったこと、

高校時代にサッカーを通じて周りが聴覚障害について少しずつ理解してくれるようになったこと、

大学時代に周りからたくさん助けてくれたこと。


これらは全て「スポーツの持つ価値」がもたらしてくれた瞬間であり時間なのだと心底思っています。

特に筑波大学蹴球部では、サッカーだけでなく人間的にも素晴らしい方ばかりでしたが、それもまた「スポーツの持つ価値」がもたらしたものなんだろうなと思うばかりです。



〜現在〜


これまでサッカーしかしていなかった僕がフットサルを始めたきっかけは約1年半前に東海林選手から誘われたからです。

それまでフットサルは遊び程度と捉えていた僕ですが、OURVISIONで初めてフットサルの試合に参加してみると、目まぐるしく入れ替わる攻守の切り替え、たくさんボールを触れるなど新鮮な発見ばかりで、試合を重ねれば重ねるほどフットサルの魅力にとりつかれてしまいました。

また、デフフットサル日本代表には本気で世界一をとるために切磋琢磨できる環境、そして世界一を狙える選手やスタッフがおり、そんな仲間と一緒に世界と戦いたくフットサルに集中することにしました。


フットサルに集中してからは、監督やトレーナーによる戦術の共有や数値的な目標設定、他の選手からのアドバイスなどを受けて、自分自身でも成長していくのを感じました。

そして、2月に迎えたアジア大会では、前大会W杯準優勝のタイに勝つことができました。その一方で前大会W杯優勝のイランには2回戦い、2回とも勝つことができませんでした。

しかし、このアジア大会では、世界一と自分たちの距離を測ることができました。世界一のイランと日本には差がありますが、この差は残りの期間の取り組み次第で追いつき、そして超えられると考えています。


限られた時間で世界一のイランを越えるためには、1日1日を大事にして過ごしていかなければなりません。世界一に向けて取り組む過程で得られるものや犠牲にするものはたくさんあると思います。


たかがデフフットサルのワールドカップと思う方もいるかもしれません。しかし、私たちが世界一になれば、その時に得られるであろう「スポーツの持つ価値」が何かあるはずです。私はデフサッカーデフフットサルだけでなく、「スポーツの持つ価値」をより多くの方に広めていきたいと考えています。

最後になりますが、世界一になるためには、世界一になるための仲間が必要です。それは選手、スタッフだけでなく、本クラウドファンディングでご支援ご協力いただいている方々も大切な仲間です。

デフフットサル代表選手が抱えている課題を少しでも小さくし、皆様と一緒に世界一に近づくためにも皆様のご支援と拡散のご協力をしていただけると幸いです。


仲井健人

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