2019/06/15 12:06

# 15一色麻衣です。

チーム最年長であり二児ママプレーヤーです。


いつも沢山の方々の応援やご支援、誠にありがとうございます。


また現在所属してるチーム「FUSION」でも10〜15歳以上も離れてる平成生まれの若いメンバー達がこんなおばさんの為に公式戦でゴールしたら皆で募金するという『しゅー募金』をして頂いているので嬉しい限りです。


さて、私の生い立ちと合わせてフットサルをやるきっかけになったことをお話したいと思います。


岩手県出身で生まれつき耳が聞こえなかったので幼稚部から高校までろう学校(聴覚障害者の為の学校)に通っていました。

しかも今では考えられない事ですが家から学校まで遠かったので3歳頃から中学になるまで親元を離れて寄宿舎で生活していました。


小学生の頃、いつも親しく遊んでもらった高校生のお姉さん達の影響でカズ選手や武田選手などに憧れて友達と毎日のように夕暮れになるまでボールを追いかけました。

Jリーグ開幕による影響もあって学校全体がブームで校庭に誰かがボールを蹴ってるとあっという間に皆が集まってわいわいと蹴っていました。

あの頃が純粋にもう楽しくて永遠に続いて欲しいと思ったものです。


しかし中高生になると生徒数の少ない学校だったので部活は選べず陸上部とバドミントン部に入らざるを得なくて一緒に蹴ってた女友達もサッカーに興味なくなってしまっていつの日か大好きだったサッカーは遊ばなくなりました。


こうして日が流れ、日韓サッカーW杯のきっかけに再びサッカーをやりたくて社会人になったらサッカーチームに入ろうと決めました。


ところが今までデフの世界にいた私にとって健常者チームに入るという選択肢はなくてろう者の女子サッカーチームを探しても残念ながらありませんでした。


そんな時に友達の男友達がフットサルをやってるから来てみないかと誘われて行ってみました。


サッカーと違ってボールタッチが多く、攻守の切り替えも速くスピーディーな展開で繰り広げるフットサルの魅力にハマりました。


そこから他の女子も誘って「太猿美」というチーム(フットサルに美を付けただけで今思えばセンスのないネーミング笑)を立ち上げました。


基礎練を重ね、そろそろ試合も出たいと思ってあるワンデーカップに出ました。


しかしエンジョイ向けではなくパラレッズ、ベンガボーイズ、ガロといった強豪チーム(解散したり名称変更などで現在はありません)と当たってしまい、十数点以上ものの差をつけられ完敗でした。


ショックというよりもこんなに上手くて強いチームあったんだ!と私にとって衝撃的な出来事でした。


そして当時まだ日本や関東リーグもなかった頃、いつか東京都女子フットサルリーグでプレーしたいと思うようになり練習に励みました。


フットサルを始めて2、3年位して台北デフリンピックに向けてデフサッカー女子日本代表が立ち上げるのを聞いて、サッカー経験が乏しいと危機感から意を決して今まで避けてきた健常者サッカーチームに入部することにしました。

不安が多かったが優しいメンバーに恵まれて何とかうまくやっていけました。


台北デフリンピックが終わって事情あって自分達が立ち上げた「太猿美」を解散して新たなに競技志向で結成されたデフチーム「sord」と健常者サッカーチームを掛け持ちしながら活動しました。

次第にデフフットサルW杯に向けてサッカーチームを辞めてフットサルだけ集中することになります。


その時一緒にプレーしていた#9中島選手が日本代表経験者で実力の持ち主で女子フットサル界でレジェンドとも言われてる選手が中心となって新たに立ち上げるチームのセレクションに受かって移籍することになり、心中穏やかではありませんでした。


幸いなことに自身も都一部の「うー魚」(のちにTapaZidaに名称変更)というチームと縁あって何度か練習に参加させてもらい、もっと上手くなりたい、W杯に戦える為だと思って移籍を決意しました。

元日本代表や都選抜常連のメンバーもいたりしてとても刺激的でした。念願の都一部でプレーする事ができてとても嬉しかったと覚えています。でもレベル高くてなかなか試合に出れなかったりコミュニケーションの面で苦労しました。

そして結婚・出産によりチームを退部、フットサルは遠ざかってしまいましたがママになった現在、再びフットサルをやれていること、日本代表に戻れたこと、大好きなフットサルに関われて本当にこれ以上嬉しい事はありません。

ただただ感謝しかありません。


これまでデフリンピック2回、デフフットサルW杯1回日本代表として選出させていただきましたがずっと違和感を抱いていました。


私にとって日本代表は日の丸を背負い、誇りを持って夢や希望を与えられる憧れであって手の届かないような特別な存在です。


しかし、私はまだまだ下手くそで所属チームで大した活躍もしてないのに胸張って日本代表ですとは言い難いです。


立ち上げ当時はまだお金さえあれば日本代表になったようなもんでした。


その反面、数年ぶり日本代表に戻った今、代表メンバーの殆どが日本、関東、東京都、神奈川県などのリーグに所属してるチームでそれぞれ頑張っていてレベルも上がって数年前とは比べられない位、本当に意識も高くなり若手メンバーが頼もしく成長を嬉しく思っております。


デフという枠にとらわれる事なく健常者の世界でも活躍できる可能性が秘められてるのは障害スポーツの中ではデフじゃないかと思っています。


だからもっとやれるはずです。


デフサッカー、デフフットサルを取り巻く環境も立ち上げ当時より色々変わって少しずつ良くなって来ましたがそれでも自己負担で活動する部分は全然変わっていません。


お金の事でどうこう言うよりも気を遣わず子どもを預けれてトレーニングの時間が欲しいのが正直な気持ちです。


子育て真っ只中でなかなか時間取れない中、満足にトレーニング出来なくてこんなんで日本代表になる資格はないのではと。


逆に合宿やトレーニングする為に子どもを預けるとママとしての資格ないんじゃないのと言われる始末。


本当にもどかしい。悔しいです。


いつも寂しい思いさせてしまっているけれど本当に子どもたちは可愛くて大事な宝物です。


不思議なもので私の発音は下手で健常者に話しても通じないのに子どもたちは何故か私の言ってる事は理解してくれるんです。


些細な事だけれど本当に嬉しいです。


本当に大事なのは子どもたちの笑顔です。

自分もいつも笑顔でいたいです。


だからこそ、ずっと抱いていた違和感をなくすべくママは再び世界一に挑戦します!


子どもたちが大きくなった時に耳が聞こえないママの事で不安だったり悩んだりすると思います。


でも大好きなフットサルで世界一を目指して挑戦したことを胸張って生きてることを身をもって教えたいです。

クラウドファンディングについて賛否両論はあると思いますがやらなければ未来はいつまでも変わらないと思います。

だからこそ今やる意味があると思います。


皆さんどうかお力をお貸しください。


引き続き、応援、ご支援のほどよろしくお願いいたします。


まとまりのない拙い文章になってしまいましたが最後まで読んでいただきありがとうございます。



#15 一色麻衣