皆さま、こんにちは。
デフフットサル日本代表3番 設楽武秀です。
「設楽」と言えば、お笑い芸能人やマラソンで活躍している「設楽」という有名人がいますが、
デフフットサル日本代表にもいます!(笑)
日々、私たち「デフ(聴覚障がい者)フットサル日本代表」への応援やご支援いただきありがとうございます。
私からは、「デフフットボール(※1)を通して、共生社会の実現につなげる」をテーマにして、皆さまへお伝えさせていただきます。
※1:デフフットボールとは、デフサッカーとデフフットサルを総称したものです。
私はグンマー帝国こと「群馬県高崎市」で誕生しました。
生まれつき聴覚障がいを持っていたため、幼少期から補聴器を着用しています。
現在に至るまでの私について、簡単にまとめると以下の通りです。
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③長野大学
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大きく分けると、4つ。
どんな時も支えてくれる人がいました。
②では、聾学校から地元の学校へ転校するために動いてくれた両親、校長先生や担任の先生。
そしてサッカーを通して、たくさんつながりができた顧問、友達、先輩や後輩。
③では、サッカー部とフットサル部両方の部長を兼任したことから、色々なつながりができた仲間。
④では、社会人になってから所属している社会人フットサルのチームメイト。
普通のサッカーは小学4年から始めました。
始めた理由は地元の小学校へ転校したあと、毎日昼休みや放課後男女関係なく皆でサッカーして遊んでいました。
「ボール1個だけで、友達がたくさん作ることができて仲良くなれるし楽しい!!」
それだけでサッカーの魅力に惹かれました。
そして少年サッカークラブで活動している同級生から誘いがあり、本格的に始めました。
デフサッカー・デフフットサルは大学2年から始めました。
始めるきっかけは、大学にいた聴覚障がいを持つ先輩が教えてくれたことでした。
2014年からデフサッカー・デフフットサル日本代表両方選出し、出場しています。
ただし、2016年デフサッカーはバックアップメンバー、2017年デフリンピックは落選しています。
デフフットサルでは
2015年デフフットサルワールドカップに出場しました。
当時は社会人1年目で、仕事と両立する大変さを感じました。
特に当時世界ランキング1位のロシア戦、ピッチ内に立っていた自分が守備時、マークのミスを犯してしまい、残り1秒で勝ち越しゴールを許してしまい、敗退しました。
川元監督は「責任は俺にある。」と言っていたが、
選手である「俺にも責任がある」と心の中でまだどこかで想っていました。
2018年9月から中外製薬へ障がい者アスリート社員として、入社し週3勤務となり、競技へ専念できる環境に変えました。
更に現在所属5年目になる健常者の社会人フットサルチーム「スプリズ」で
2016年埼玉県3部優勝
2017年埼玉県2部優勝
2018年埼玉県1部3位
と自己の成長だけではなく、チーム全員と一緒に成長することができています。
スプリズで活動してきた経験値が
今年2月に開催されたデフフットサルアジア予選で活きました。
準決勝で2015年W杯準優勝のタイ戦で3点目を決め、3-2で勝利に貢献することができました。
しかし11月のデフフットサルワールドカップに向けて、
所属チームが違う他の選手と、残された時間の中で練習や合宿で一緒にやっていかなければなりません。
しかし、私がいままでボール1個で仲良くなれたフットボールの力を信じて、
聴覚障がい者の欠点とも言える【音】が聴こえなくても、
【メッセージ(=想い)】を伝え合い、世界一を目指すことができるのではないかと考えています。
今まで健常者に支えられてきてサッカーやフットサルをしてきた自分が
デフサッカー・デフフットサルをしてみると、ほかの聴覚障がい者を支えながら、プレーをしています。
支え合いの大切さをより実感しています。
聴覚障がい者の皆が経験した支え合いが
明るい未来を育む可能性が秘められていると考えています。
日本の皆さまに伝えたいことは
【デフフットボールを通して、共生社会の実現につなげる】ことです。
聴覚障がい者だけではなく、健常者の監督やコーチ、トレーナー、手話通訳も含めて、
お互い支え合いながら、戦う姿を見届けてほしいです!
最後に生まれてきてから、社会人になるまで
支えてくれた両親や先生、仲良くしてくれた友達や先輩、後輩
フットボールを通して、関わってくれたすべての方々へ
メダルを見せて、世界一の感動や感謝を伝えたいです!
皆で一つの生命体(=仲間)となり、一緒に戦いましょう。
応援よろしくお願いします。
設楽 武秀