皆さん、こんにちは。6番の阿部 菜摘です。
日々の応援、支援をありがとうございます。
そのおかげで、220万、410人突破しました。
では、私の生い立ちと、フットサルに対して本気になれたきっかけをお話ししたいと思います。
まずは、私の生い立ちです。
1999年12月21日、東京都で産まれました。感音性難聴でした。親は、高校までろう学校に通わせてくれて、コミュニケーションは手話であり、会話に問題はありませんでした。
小さい頃から父親とともに土手で走り回るぐらい、身体を動かすのが、大好きでした。キャッチボールしたり、ボールを蹴ったり、たまに父のフットサルに行って、一緒に蹴ったりしていました。凄く楽しかったのを覚えています。
そして、小学3年生の頃、幼なじみ(ろう者)の兄が入っていた少年サッカーチームから、「一緒にサッカーやらないか」と誘われ、幼なじみとともに、体験しに行きました。楽しかったので、入ることを決意しました。少年のチームでやりつつ、地元の少女サッカーチームにも誘われ、どっちもやってきました。
少女サッカーでは、月に1回しか集まらないため、人見知りが激しかった私は、いつも泣いていました。。笑
小学5年生辺りから、やっと慣れてきたというぐらいの。。笑
今、思えば、そのチームは障がいを持っていても受け入れてくれ、恵まれていました。
小学卒業とともに、卒団してからは一時的にサッカーから離れていました。ろう学校の中学部には、野球部とバレー部しかなく、男子は野球部で、女子はバレー部という決まり?でした。入学して、5月には部活に入れる時期だったのですが、私は何にしようか悩んでいたものの、バレー部の先輩からもお誘いもあり7月から入ることにしました。
正直にいえば、野球の方が好きだったので、もし、そういう決まりがなければ、野球部に入っていたかもしれませんね笑
10月に大会が終わり、やっぱりサッカーがしたいという気持ちが芽生え、顧問の先生に相談した結果、少女サッカーのチームメイトだった先輩が入っている女子のチームに入りました。サッカーを優先させてくれた顧問の先生には感謝しかないです。
チームに入った時は、ろう者が私だけということもあり、コミュニケーションなども凄く不安だったのを覚えています。小学生の頃は、親が手話通訳もしてくれていたので、あまり困らなかったです。
チームメイトやコーチが支えてくれたおかげで、楽しくサッカーをすることが出来ました。
高校生になっても、そのチームでプレーを続けることにしました。
高校1年生になって、半年経った時、もっと強いチームでプレーしたい。という想いから、高校2年生の時に日本体育大学の下部組織であるU-18に移籍しました。しかし、U-18は私が入った年から創立したため、人数も少なかったです。大学生とU-15の一部の混合チームでリーグ戦などに出場しました。
現在は日本体育大学に通学し、サッカー部で頑張ってきたのですが、事情もあり代表の方を優先させてもらってるため、お休みさせてもらっています。
主にジムに通いながら、週2回ボールを蹴っています。
では、フットサルに本気になれたきっかけについてお話しします。
ずっとサッカー一本でやってきた私が、フットサルもやりたいと思えるようになったのは4年前の出来事がきっかけです。
まず、小学3年生の頃に、#10 ぶちと#7 なながブログでお話していた「アイコンタクト」をみて、こういうサッカーがあるんだと知りました。初めてデフサッカー代表合宿に出たのが5年前、中学3年生のときでした。そこにいた先輩に、デフフットサルをやらないか?と誘われ、デフフットサルW杯(タイ・バンコク)イヤーに入る頃に、初めて合宿に参加しました。フットサルのルールも戦術もまったく分からず、先輩達にいつも怒られてばかりでした。その時は高校1年生で、ポジティブだったおかげか、怒られてもやり続けていました。笑
多分、フットサルが思ったよりも楽しかったからこそ続けられたんじゃないかと思います。
W杯の代表メンバーに選出された時は、初めての代表であり、世界のレベルも知らない私は、みんなに迷惑かけてしまうんじゃないかと色々な不安がありました。
予選グループでは、世界一のロシア、ランキング4位のスペインとの3カ国のグループだったため、周りからは「死のグループだ」と予選通過できないと思われていました。まだ戦ってもいないのに。私の家族も、応援に来てくれたのですが予選のみしか来なかったのです。
初戦ロシアには、体格差もあり0-3で負けてしまいました。スペインはロシアから2点も取ってるため、私たちが予選を突破するためには、スペイン戦で勝ち以上じゃないと決勝トーナメントに進むことができないという状況でした。スペイン戦は最初は負けている状態でしたが、前半の終わりに#7 ななが決め、流れが変わりました。後半の残り30秒で私が決勝ゴールを決め、逆転勝利を果たし、史上初の予選突破を果たしました。決勝トーナメント1回戦は、イタリアと。引き分けでPK戦に突入しましたが、負けてしまいました。13ヶ国中6位という結果になったことで、もっとリベンジしたい。今度こそは世界一を取れる。私たちなら出来る!と確信しました。
ほど遠い夢だった【世界一】が、今となっては目標に変えられたのです。
しかし合宿や遠征などは、ほぼ自己負担で活動しています。高校1年生から今も、海外に行かせてくれたり、応援してくれている両親をはじめ、所属していたチームにも本当に感謝しかないです。
メダルを取って、応援してくださる方、支援してくださる方に恩返ししたいです。
どうか、私たちに力をお貸しください。