2019/07/12 22:26

今日は、エージェントに電話をしました。

食料&燃料計画の確認です。


ドルポの村は、平均高度4000m、周りの峠が5000m前後に囲まれており、雪が降り積もると動けない状況になります。

村人達は、夏の間に冬の食料と燃料を準備しています。

その準備を、私は現場に負担がないように、ちゃんとして行かなければ!と思っています。


ここ数年、夏でようやくドルポ内部での調達が出来るようになってきたと感じていますが、

10年以上前は、あてに出来るような状態ではなかった。

あれば購入、なければない、あっても売ってくれない時もあった。

2012年のドルポ横断時は、食料が尽きてしまった時もあった。

食料よりも、無人地帯で燃料が尽きるのがキツイので、ヤクの「ウンコ」がある時は、燃料になるので、「ウンコ」を拾ってなんとかやっていた。

ドルポは、標高が高いので木がないに近いほど、少ないのです。


最初は、出発地点のドゥネイ で買い込んでと思ってましたが、ドルポ最西北のポパー村の僧侶タシさんと連絡が奇跡的に取れて、彼は、自分が購入する時に、私の分も買ってくれるという提案をしてくれた。


これは、スゴイ!!ありがたいこと!


何が奇跡的なのか?というと、FB(フェイスブック)でタシさんを見つけたから、笑。


たまたまですよ、びっくりしすぎて、信じられへんかった、笑。


ポパー村は、1958年、西北ネパール学術探検隊(隊長・故・川喜田二郎氏)が、外国人として、初めて訪れた場所である。

その時、人口31人、ヒマラヤ〜秘境に生きる人々〜(共著:川喜田二郎:高山龍三)では、写真と共に、「ほろびゆく村ポパー」と書かれていて、廃村になるだろうと言われていた。


それが、私が2009年大西バラサーブ隊で、ムグから横断して約14日目、到着した日は13時間歩いての千鳥足?!で到着したこと覚えてる。

その時、人口50人!なんと増えていた。


そして、2016年の時は、慧海ルートの横断が終わってから、国境から南へ下りながら東へと進み、ドルポ最西北ポパー村まで足を伸ばして、横断23日目、その時、人口75人!また増えていた^^!

年齢聞くと、女性が66歳が2人で、男性は50歳以上は僧侶1人で、あとはみんな若い。

ポパー村へ、東から、西から、両方から横断して入ってみたが、どっから入っても、なんでここに村があるの〜〜?!って、不思議だった。

800年前、タマン族がいた、家は100世帯あったが、水が枯れ廃村になり、500年前に復活、グルン族、ラマ族がいたらしい。

だから非常に興味深いのと、アッパードルポには電波ないから連絡が取れるはずがないと思っていたところ、時代が変わって、FB?!笑!

カトマンズにいた時に繋がった!

えーーーー、何それ・・・、驚いたな〜。

ま、そのおかげで、調達が出来るんだけど・・・^^


前置き長すぎるけど、、、奇跡的と思うのは伝わったかな?!笑。


私とは、3月末に連絡をしてから、ドルポ内部へと入って行った。

その後、連絡取れてなくて、エージェントに聞いたら5月にタシさんから衛星電話が入ったと。

衛星!?どこからだ・・・!?!


燃料は、ドゥネイ でキープしてる。

食料(米・塩など)は、7月にチベットに行く予定だと、それは変わらずの言葉だった。

チベットで購入した方が近いから^^

ひとまず予定通りだけど、予定は未定のネパール、

どうなるかな〜〜、この夏が決めてです^^

購入が出来たら、私の越冬場所へ、輸送を依頼予定。

*写真は、2016年のポパー村訪問時、私は、顔パンパン!

ちなみに、タシさんは、左から2番目!