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生き難い社会の中で「自分から始まる」新しい生き方を創るイベントを開催したい

今、少なくない人が「生き難さ」を抱えています。不登校、ひきこもり、自己否定感、「こうあらねば」という社会からの縛り…。でもそんな社会でも自分を捨てず、自分がどのように生きたいかを考え、模索したい。そんな「自分の生き方を創る」試みを深め、苦しむ多くの人に拡げるためのイベントを開催したいのです!

現在の支援総額

129,000

43%

目標金額は300,000円

支援者数

33

募集終了まで残り

終了

このプロジェクトは、2019/05/27に募集を開始し、 33人の支援により 129,000円の資金を集め、 2019/06/20に募集を終了しました

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生き難い社会の中で「自分から始まる」新しい生き方を創るイベントを開催したい

現在の支援総額

129,000

43%達成

終了

目標金額300,000

支援者数33

このプロジェクトは、2019/05/27に募集を開始し、 33人の支援により 129,000円の資金を集め、 2019/06/20に募集を終了しました

今、少なくない人が「生き難さ」を抱えています。不登校、ひきこもり、自己否定感、「こうあらねば」という社会からの縛り…。でもそんな社会でも自分を捨てず、自分がどのように生きたいかを考え、模索したい。そんな「自分の生き方を創る」試みを深め、苦しむ多くの人に拡げるためのイベントを開催したいのです!

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こんばんは、シューレ大学の脊尾花野です。イベントまでなんと1週間をきりました!!わー!!6/22(土)13:30開始の「生き難さ」を解体しながら自分にあった生き方を創る実践を紹介し考え合うイベント「自分から始まる生き方を創る」の準備を、シューレ大学のいつもの講座もあるなかで時間をさきながら進めています!シューレ大学の実践を紹介する映像の制作、記念冊子の制作、イベントの広報、当日のパーティーなど、各チームに分かれて進めていますが、先日は当日担当を決めるミーティングを持ちました(一番上の画像です)。また各々の担当で準備をしていきます。日々、イベントに向けてやることが盛りだくさんでてんてこ舞いですが、このイベントをいいものにしたいという気持ちで精いっぱい頑張っています!「生き難さ」に関心のある方、どうやって生きたらいいか、悩んでいる方、どうぞイベントにお越しください!クラウドファンディングチーム:古谷寛世、脊尾花野、豊雅俊


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映像作品の監督を担当した豊です。イベントまでいよいよ日にちが迫ってまいりました。今は黙々と編集作業に励んでいます。編集作業は主に一人でやるので、視野が狭くなって編集が行き詰ってしまう事があります。そんな時は、シューレ大学に居る他の学生を捕まえて、雑談や、最近考えてる事、ちょっと悩んでいる事などを話します。そして冗談も交わして少し気持ちをリフレッシュします。そうすると、編集に向かう気持ちになれ、行き詰っていた原因も実はたいした問題ではなく、スッと解決したりすることがあります。こういう時に安心して繋がれる人間関係がそばにある事にとても助けらているな、と思います。物理的に近くなくても、同じような価値観で繋がれる人を世界に増やしていくことも、僕の人生を豊かにしてくれるのろうな、と思います。あと8日、頑張るぞ。


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沢山あるクラウドのページからこの投稿を閲覧頂きありがとうございます。シューレ大学学生の豊雅俊といます。この度「生き方を創るイベント」をやりたい。という思いは、より多くの僕たちと同じように生き方を創りたいと思っている人達とつながりたいから、という思いからです。まずは自己紹介として、「生きたいように生きたい!~不登校からフリースクールに出会うまで編~」を書きたいと思います。  僕は中学一年の二学期から不登校になりました。なぜ不登校になったのか? 実は今でもはっきりと言葉にすることが出来ません。 ただ、当時の僕は学校へ通う事がとても苦しく、中学校に上がってからは上下関係や校則がとても厳しくなり、学校の中にいる間とても緊張していたことを覚えています。部活動も運動部に入り、夏休みも休みなく練習が続いていくことにとても疲れていきました。そんな緊張と疲れで考える事が出来なくなったある日、部活の練習開始時間を間違えてしまい。練習中の皆の前で、顧問の先生に叱責されたことを覚えています。その時にとても惨めで、自分は醜く馬鹿でどうしようもない存在なんだ。という思いが、肌に染み込んでいくようでした。その後、身体が中学校へ行くことを拒むかのように胃腸炎になりました。病気になり学校に行かないことは許されましたが、病気が治るとまた学校へ行くことを親からプレッシャーとして受けます、しかし、僕の気持ちはもう学校へ向かう事は出来ずに、家の中に居場所が無くなった僕は家出をしました。学校へ行くことが出来なくなった僕は、家出をしました。しかし、行くあては何処にもなく、夜中になって親に見つかり「そんなに学校に行きたくないのなら行かなくてもいい」と言われ、その言葉にとても気が楽なったのを覚えています。その後は昼夜逆転の引きこもりを経験し、中学三年に上がって、高校進学なども進められましたが、どうしても学校の中に戻る気にはなりませんでした。その時は言葉にすることも出来ないくらい淡い希望、夢想のようでしたが、もっと心躍るように生きたいと思っていました。でも、とても実現は出来ないだろうなと一瞬で掻き消える思いでもありました。その当時1997年ごろ、世間では「不登校」というワードが連日のようにテレビで流れていました。自分も不登校なんだな、と思いながら、一体どうやって僕は働き食べていくのだろう、と毎日考えていました。 就職、とても出来そうにない。ああ、今は学校や仕事ではなく、同じような境遇の考えや近しい人と話したい何かした。そんな思が募っていく中、僕は新聞を隅々まで読んで「不登校」「フリースクール」と言う単語に目を光らせていました。テレビ番組のラテ欄に「不登校」「フリースクール」という言葉が入っている番組は何でも見ていました。そんな時、新聞に「不登校新聞創刊される」というとても小さな記事を見つけ、これだ!と思い、親に購読をお願いしたのでした―次回 「生きたいように生きたい!~シューレ大学:自分から始まる生き方を模索する編~」


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 こんにちは。シューレ大学の脊尾花野です。今回は前回の続きです。 私は人前で発表することや発言することには時間が必要でした。安心感が募る中で、私も自分の切実なこと、考えたいことを発表するようになり、自分が何に囚われていたのか、自分はどのように生きていきたいのかが少しづつ分かっていく時間となりました。自分の話を人に聞いてもらえること、人の話に頭を悩ませながら考える時間、こんな貴重な時間はないなと思います。今後の私の人生にも取り入れていきたい人との向き合い方だなと感じる経験になっています。私は人を変えられないけど、私は私を変えることができる。私の人生を生きていいんだと思えたことは、自分から始める生き方を創ることにも繋がっているなと感じます。 社会に合わせるのではなく、私はどうしたいのか、今、私は何を感じているのか、考え合える、そんなシューレ大学という場所で積み重なって来たものと、そんなシューレ大学に反応してくださっている人たちをお呼びして、今後の人生が少しでも豊かになるような、そんなイベントに出来たらなと思っています。限られた資金の中で、なんとかイベントを開催をしようと試みています。ぜひ、お力添えくだされば幸いです。クラウドファンディングチーム:古谷寛世、脊尾花野、豊雅俊


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 こんばんは。シューレ大学の学生、脊尾花野です。 このプロジェクトを始めて、私たちのこの「自分から始める生き方を創る」充実したイベントを実現したいプロジェクトを支援してくださる方がいることに感動し、夜中にこっそり泣いてしまいました。本当にありがとうございます。 今回は私の自己紹介をしたいと思います。私は広島県出身です。小学校は1回転校しました。転校先は山の中の小さな学校で、私はそこで5年生の時に不登校をしました。そして、中学まで五月雨登校をしました。 不登校をしてから私は「何者かにならなくてはいけない」と思うようになりました。私は才能にあふれ、誰かに認められる存在にならなくてはいけないと思いました。人も怖かったので、一人で生きていける職業を探しました。外に出ること自体とても緊張するので、家の中で私の好きな絵を描いたり、歌を歌ったり、演じたりしていました。しばらくして、だんだん人の中で学びたくなり、そんな時に出会ったのがシューレ大学です。 シューレ大学に入学してすぐは何はともあれ演劇をしたかったので演劇プロジェクトに参加しました。でも、人の中に居ることに慣れていなかったので、しばらくは人に慣れる時間と決めて過ごした期間もありました。そんな中で「生き方創造プロジェクト」という自分がどう生きていきたいのか、どういうところが困難なのかをレジュメをきって発表し、その場にいる人とディスカッションをする時間があるのですが、私はそこで発表される内容を自分の経験と重ね合わせて聞いていました。私だったら心に秘めてしまいそうな話もそこでは話されていた。自分の切実な部分を、みんなの前で話していいのかと驚きと共に高揚し、嬉しく感じたのを覚えています。 前半はここまで。 後半は、私がシューレ大学でどのように感じ、変化してきたのかを書こうと思います!