イメージとは違った浪江町
僕らは今年6月に初めて福島県双葉郡浪江町に訪れました。実際に訪れる前にgoogleマップを使って浪江町の様子を確認した時、2013年〜2016年の画像データしかなく、2019年の状態がわからないまま現地を訪れました。僕らが事前に調べた時の印象としては、「町は荒廃し人が少なく建物も少ないのではないか? 沿岸部などは封鎖されているのかもしれない」といったものでした。実際に訪れてみるとその印象は「あっている面もあるが、違う面もあった」というのが正直な感想です。
確かに町には人は少なく閑散とした所はありますが、僕らが思い描いていた荒れ果てたような印象はなく、復興に向けて少しずつ歩き出そうとしている町という印象でした。震災当時大きな被害を受けた町、という印象が僕らの中でとても大きく、メディアやネットからのイメージが肥大化していたのだなと改めて思いました。ただ沿岸部などは大規模な護岸工事や道路工事もあり、通行できない道もありました。震災当時のまま残っている建物もあり、取り壊しの作業をしていたり、イメージ通りだった場所も確かにありました。
現地に訪れることでそうした断片的なイメージが、現実の浪江町として認識できたことだけでも僕たちとしては収穫でした。
ここで生きている人がいる、復興に向けて歩もうとしている人がいる、その方と直接触れ合えただけでも東京でアートをつくろうとしていた時よりも語れる言葉や、語り方が変わったと思います。自分の実感のこもった言葉が少しだけ話せるようになった気がするのです(もちろん僕たちはどこまで行っても、外部の目線でしか復興については語れないのですが)。
暖かく迎えてくれた町民の方々 ~浪江町はこんな場所だった~
さて僕らは野馬追取材の一日目に、「一般社団法人まちづくりなみえ」さんが主催する~なみえ まちづくりを考える駅近キャンプ~に参加させてもらいました。
「まちづくりなみえ」さんは、
世界で一番、過酷かもしれないまちを、
世界で一番、ワクワクがあふれるまちに。
をスローガンに2017年3月末の避難指示一部解除から、浪江町の再生事業に取り組まれています。
僕らが到着すると既にキャンプ会場には町内の人が準備を進め、イスに座りながら談笑をされている所でした。
「おお、来たんだね。まあここ座って、とりあえず駆け付け一本だ」そういって鮎の塩焼き(!)を出してくれました。見ると円状に並んだイスの中心には大量の串に、大量の鮎が塩焼きになっていました! 食べてみるとめちゃくちゃおいしい! 昔は時期になると300匹以上は軽く獲れていたんだそうです。また鮭狩りも有名で、1日1000匹~3000匹もの水揚げがあったんだとか。水もおいしく、ということはお酒もおいしく、本当に豊かな自然に囲まれた町だった場所なのだと伺いました。
ただ現在は山間部は未だに帰還困難区域となっているため、漁の全面再開などの目処は経っていない状態です(今回の鮎は町外からの仕入れだったそうです)。今回お話を聞かせて頂いた方たちは、みなさんそれぞれに浪江町の事が本当に大切で、これからどうしていくべきなのかを真剣にお話されたりしていました。でもそんな中にもイオンが出来たことや日常の出来事などのお話も聞けて、本当に内部というか、本音のお話を聞けた気がして参加させてもらえて良かったと思った瞬間でした。
どの方も急な連絡での参加だったにも関わらず、笑顔で迎えてくれ僕たちの質問にも快く答えてくださいました。浪江町の現状は未だ「世界で一番、過酷かもしれない」ですが、そこで復興に向け着実に歩んでいこうとする方たちが、今日も生活されています。
「まちづくりなみえ」さんでは、毎月何らかのイベントを行われています。興味がある方はぜひ「まちづくりなみえ」や公式facebookページ「つながろうなみえ」、「なみえまるみえ」など調べてみてください!
アートの取り組み
お話の中で浪江の小学校で演劇WS(ワークショップ)をやっていたみたい。というお話がでました。どうやら調べてみるとメンバーの大橋が現在参加しているWSファシリテーター養成講座で、お世話になっているNPO法人pavlicという方たちのWSだったようです(興味がある方は調べてみてください)。
こうした取り組みが既に行われる環境になりつつあることが、僕にとっては驚きと共に喜びでもありました。ようやく芸術やアートが人々の役に立てる時期が浪江町にも来ているのかなと感じることができるお話でした。
このページを読んでいる方は、もし少しでも興味があったら何かのイベントなどで浪江町を訪れてみたりして頂きたいです。おそらくネットでは本当の浪江町の姿は分かりません。実際に訪れることで、人と触れ合うことでたくさんの事を感じることが出来ると思います。
最後までお読みいただきありがとうございました。また次回もよろしくお願いします!