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愛媛県在住アーティスト "安藤エイム" 【東京レコ発ワンマンライブプロジェクト】

安藤エイム3周年を記念して東京にてレコ発ワンマンライブを開催したいです!集まった大切な資金は、ライブの会場費や機材費、またイベント運営費用、リターンの制作費、アルバム制作費などに当てさせていただきます!最高の作品創り、ワンマンライブにするために人生初のCFを立ち上げさせていただきました。

現在の支援総額

917,110

45%

目標金額は2,000,000円

支援者数

87

募集終了まで残り

終了

このプロジェクトは、2019/07/15に募集を開始し、 2019/08/15に募集を終了しました

エンタメ領域特化型クラファン

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愛媛県在住アーティスト "安藤エイム" 【東京レコ発ワンマンライブプロジェクト】

現在の支援総額

917,110

45%達成

終了

目標金額2,000,000

支援者数87

このプロジェクトは、2019/07/15に募集を開始し、 2019/08/15に募集を終了しました

安藤エイム3周年を記念して東京にてレコ発ワンマンライブを開催したいです!集まった大切な資金は、ライブの会場費や機材費、またイベント運営費用、リターンの制作費、アルバム制作費などに当てさせていただきます!最高の作品創り、ワンマンライブにするために人生初のCFを立ち上げさせていただきました。

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鈍行に揺られ高松まで向かった◎街をふらっとしていると瓦町という愛媛の大街道に似ているアーケードがあった。交番の裏に少し広場があったのでそこで荷物を置いて路上ライブ開始!!!最初は、ハトさんしか聴いてくれなかった。。。笑ただ、歌い続けていると、お兄さんが止まってくれて、差し入れでビールをくれた。『飲める歳??良かったら一緒に飲もう』優しいお兄さんと肝心な時に半目の僕...笑こちらのお兄さんは普段アクセサリーを販売している方らしい。たまたま見かけた僕に優しく声をかけてくれたのだ。それから話を聞いていくと、どうやら高松駅の方が路上ライブをやっている人が多いらしい。日も暮れてきたので早速移動!!!愛媛からきました!!!という看板を掲げていた僕は『ようこそ高松へ』と優しい声をたくさんかけてもらった。嬉しかった。。。。お酒を飲みながらゆっくり聴いてくれたり学校終わってみんなと遊んでいた学生さんや酔っ払いのサラリーマンやOLの方...この日だけでもたくさんの人に出会えたこと。本当にご縁を感じた。地べたに座ってこうして聴いてくれるのが何より嬉しかった。「香川最高だよ。。。」路上ライブもそろそろ終わりを迎えた頃、香川で活動する地元アーティストの方々にもお会いすることができた!!!----------------------------■ほっしゃんさん■福井樹くん■唄い屋くん■ともちゃん----------------------------不思議なもので、自分から動いていくと出会うべく人には出会い、ご縁がどんどん広がっていく。これからもたくさんの人と出会って価値観を共有したい。色んな話を聞きたい。色んな夢を聞きたい。何より人生を楽しみたい。とそう思った。そしてその夜、僕は香川で出会った仲間達と"手持ち花火"を思いっきり楽しんだ。忘れられない夜を、そして愛媛から来た僕を快く迎え入れてくれて本当にありがとう。それから神戸、大阪、奈良、京都、東京へと関東に向かって路上ライブの旅を続けるのであった。。。続く


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大街道のアーケードで路上ライブを頻繁にするようになった僕はお客さんも徐々に増え始めてきたたまに「お兄ちゃん頑張ってね」「これでなんかお食べね」と、ありがたいお言葉と共にチップをくださる方もいた。そしてある日、路上ライブに初めて来てくれた50代くらいのサラリーマン風の男性が僕にこう言った...「お兄ちゃん、今までもらったチップは大切に貯めておけよ!!!」「それはただのお金と思っちゃいけねぇみんなの魂が入った"生きた金"だから本当に大切な時に使え!!!と...」当時の僕にはこの言葉がとても刺さった。路上ライブで出会う人は僕に大切なことをたくさん教えてくれた考えさせてくれた。普段出会うことのない人に路上ライブというものは出会わせてくれる本当に不思議な場所だ。それから僕はいただいたチップを机の引き出しの封筒に貯めることにした。。。気づけば約半年で"300,000円"ほど貯まっていた。それを見るたびたくさんご縁をいただいているなと...何度も勇気をもらいました。"本当にありがとうございます"僕がこのチップを使おうと思ったモノそれは路上ライブの旅だった。路上ライブで皆さんにいただいたご縁を新たな場所で"挑戦"という形で僕は路上ライブの旅に出かけるのであった。続く


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やっぴ~時代の最初のCD"memory"僕は販売をすることが初めてで右も左もわからなかったため7~8曲入って500円という価格だった。ある曲は2番の途中でギターが消えたり(笑)また、ある曲は2番に声質が急に変わっていたり(レコーディング日が違っていたため)ジャケットデザインは大学時代の友達が描いてくれた。大学の友達の知り合いで餃子が好きなおじさんの自宅レコーディングスタジオで歌やギターを撮ったのを今でも覚えている。当時の僕には本当に"ありがたい環境 "だった。無事にCDは完成した。初めて作ったCDが嬉しすぎて路上ライブをたくさんした。たくさんの方に受け取ってもらった。喜んでもらえたことが嬉しかった。そして県外でもやりたい好奇心から僕は大阪で路上ライブをした。初めての県外での路上ライブ。たくさんの方が代わる代わる聴きに来てくれた。愛媛から大阪に来てくれた友達もいてとても嬉しかったのを今でも覚えている。そしてCDも無事にたくさん羽ばたいた。それから梅田駅へ移動すると初めての光景を目にすることになる。足に鈴をつけてリズムをとりながらギター弾き語りするおじさんお客さんのところにぶわぁぁって入っていって演奏していくお兄さん路上ライブを同じ場所で3組み交代で演奏するお兄さん・お姉さんお客さんが100人以上集まる路上ライバー路上ライブを初めて数ヶ月の僕には全てが刺激的だった。こんな世界があるんだって知った。この時の僕はまだまだ知らないことだらけ。僕もこんな風にどんどん自己表現をしていきたい!!!愛媛でもこんなことができるかも!!!希望に満ちた心と一緒にふるさと愛媛に帰るのであった。続く


不思議な出会い◎
2019/07/17 19:00
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僕は路上ライブに出た愛媛県の市内のアーケード街で毎週同じ場所で、同じ時間に。当時は”あいピー”という献血ルームのシャッターが降りるのを待ってその前でギターで弾き語りしていた。ギターも初心者だったため音は"ポロンポロン"途中から"アカペラ"でやったりと初めはとても苦戦したのを覚えている。街の中には人が多いのにどんどん目の前を通り過ぎていく。うまくいかないまま時が過ぎた2010年1月、この日は愛媛のアーティストの先輩「もりちぃ」さんが毎日路上ライブをしていた。僕も何曲かコラボさせていただいてすごく刺激的な時間を過ごしいていた。そんな中、一人の男性が声をかけてくれた。その方はシャツにシルバーのブルゾンを着て髪の毛はボブくらい、片耳に髪をかけてもう片方はおろしていてすごくかっこよかったのを今でも鮮明に覚えている。「良かったら1曲聴かせてください」【ありがとうございます、それでは聴いてください…】♪♪♪「とても素敵な歌でした。ありがとうございます」【こちらこそ、ありがとうございます!!!】『お兄さんは県外の方ですか?(方言や、なまりがあったため)』「あっ、そうです。沖縄からちょっと仕事で」『沖縄の方だったんですね!!!一度行ってみたいんです!!!海も綺麗なイメージですし沖縄の人や食べ物、いろいろ触れてみたいです!!!』「そう言ってもらえて嬉しいよ!!」たわいもない話を30分ほどした後、そのお兄さんは当時出していたもりちぃさんのオリジナルCDを買ってくれた。毎回CDを買ってくれた方のお名前をノートに書いてもらっていたためその時もお兄さんの名前を書いてもらっていた。僕はその後、時間がきたので帰宅していた。するともりちぃさんから突然の電話。【やっぴ~、さっきの男の人、なんかみたことあるなぁと思って最後帰り際に聞いてみたんよ、もしかしてHYの方ですか?って...】「はい、そうです♪これからもお二人とも素敵な歌を歌い続けてくださいね♪音楽は本当に素晴らしい...」と...その方はHYのVo.新里英之さんだった。路上ライブを初めて約2ヶ月ほどの僕にも、優しく声をかけてくださった。。。英之さんの沖縄への思い音楽に対する思いなど少なからずあの時間でも聞くことができた。人生は不思議なものだ。いつ、どこで、誰と出会うかわからない。僕はその頃から、"勇気と希望"を少しずついただいていたのかもしれない。。。続く


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近況報告は各SNSで随時更新しておりますのでこちらの活動報告では期間限定のブログとして公開させていただきます!!!今回プロジェクトを開催するにあたってたくさんの方のご協力をいただきみなさんがワクワクするようなリターン内容を何度も出し合って達成時のアルバム制作に必要なサポートの方々ライブの打ち合わせなどを重ねこのようなプロジェクトを立ち上げることが出来ました!!!本当にありがとうございます!!!そして"やっぴ〜 "時代も"安藤エイム"になっても応援をしてくださる方々いつも本当にありがとうございます!!!----------------------僕が音楽を始めたきっかけ...それは"挫折"でした。僕は中学・高校・大学とソフトテニス部に所属しソフトテニスに明け暮れる日々を過ごしていました。高校1年生の時、全身に突然、謎の斑点が出現お医者さんに聞くと"シェーンラインへノッホ紫斑病"と診断される。喉の溶連菌感染が原因で、血管の末端が裂け、胃潰瘍にもなりました。高校3年生の時には、腸に痛みを感じた後、腸からの大量の出血があり腸に穴が開く寸前と診断されました。その症状を治すため"ステロイド"を最大12錠ほど服用していました。「テニスを教えながら学校の先生になる」という夢を掲げ僕は国公立大学に進学しました。薬の副作用で苦しんだ高校生活が嘘みたいに"顔のむくみ"もすっかりとれ大学でもソフトテニス部に入り1年生でレギュラーに入ることができやっと元の生活を取り戻したと思っていました...大学1年生の秋頃、中四国大会に出場。膝に違和感を感じながら、試合に参加した僕は突如襲ってきた膝の激痛に前衛としての機能を全く果たせなかった。大会も終わってその後すぐ病院に行きました。診断結果は【両膝大腿骨 骨頭壊死】お医者さんから言われた言葉は「手術をしないといけない」「明日からテニスは出来ないよ」「ステロイドの副作用で骨粗鬆症になりやすい」急なことすぎて僕の頭の中は真っ白になりました。「手術をしないといけない?」「明日からテニスが出来ない?」「ステロイドの副作用の予防をもっとしておけばよかったの...?」誰が悪いわけでもないのに、自分を責めたこともありました。そうか、これが現実か。。。テニスを教えながら教師をするという"夢"が僕の中で大きく崩れた瞬間でした。大げさに聞こえるかもしれないけれど当時の僕にはとても大きな出来事でした。。。泣いた泣いた涙が枯れるくらい泣いた。。。戻るはずのない過去を羨んだりもっとこうしておけばと後悔したりいろんな思いが交差した。。。そんな時、ふと家の中でかかっていた曲があった。昔から母の影響でよく聴いていたスターダストレビューさんの"木蓮の涙"だった。何故だか分からないけれど、その時の僕の胸の奥に"すっと"音楽が入ってきた。そして僕はまた泣いた。だけどさっきの涙とは何か違った曲を聴き終えた後小さな光が見えた気がした。少し勇気をもらった気がした。少し気持ちが落ち着いた。何故だか分からないけれど、本当に救われた。それから僕は大学から始めたギターを持って街へと出かけるのであった。続く