8日目見聞録
TYさんとJさんに、鳥取の分の花火に連れて行ってくれることになった後、宍道湖SAで降ろしていただいた。
感謝を述べて、いつものを始める。
今回は、すでに島根ということもあって、趣向を変えてみた。
花火が出来る砂浜
そう書くと拾ってもらえた。
22台目 きららビーチまで
Iさんは実家のある島根の太田まで行くそうだ。
その近くに海水浴場があって、そこで出来るのではないかということだった。
毎度のごとく、ヒッチハイカーを乗せたことがあるのか聞いてみると、僕を見かけたのが初めてだという。
結構初めて見かける人が多いのだと思った。
Iさんは、医療補助をされているそうで、日夜仕事に精を出している。
僕が47都道府県各地で花火をするヒッチハイク旅の概要を端的に話すと、暇だねぇ、というお言葉を賜った。
どうして、その職に就いたのか聞くと、専門学校が医療補助に関係があったそうだ。
実際は、取った資格は大して使わないし、妹の通っていた商業高校の就職先に名前が存在したという。
お兄さんとは20年会っていなくて、電話で縁を切ってほしいと言われたという。
なかなかハードな兄貴だと思った。
23台目 宍道ICまで
きららビーチで降ろしてもらい、Iさんと別れた。
キラッキラな男女、家族づれを尻目に、人気のないだだっ広い砂浜を使って花火を行う。
猛烈に寂しい気がした。
ここで、初めて1人での花火に作業感が生まれた。
後日、一緒に花火をした方に、たくろーくん楽しくなさそうやったと言われたが、きっと、この孤独花火後遺症のおかげで花火をしても、淡々とこなすように火花を散らす症状が現れたのだろう。
終えた後、隣接したきらら多岐という道の駅でヒッチハイクをすることに。
ここは、史上1、2を争うくらい拾ってもらえなかった。
おかげで、ガソリンスタンドで給油し終えた地元のお姉さんが声をかけてくれた。
EFさんは、用事があるから今すぐ乗せることはできないけど、翌日は山口に帰省するから乗せて行ってあげると言ってもらった。
ダメだった場合は連絡させてもらうことで電話番号を交換した。ものの数分の話しだ。
帰省中のバイカーがとなりに愛車を止めた。
このWSさんも広島から山口に帰省しているところで、休憩しに来たそうだ。
一度中へ入り、アイスクリームを片手に戻ってきた彼は話し相手になりますよ、と言った。
WSさんは、社会人でやりたいことは北海道一周だそうだ。
もう1人、帰省中のバイカーが僕の隣に止まった。
EKさんも、山口へ帰るところだそうだ。
山口の帰省率半端ない。
その方は、北海道一周をしたそうだ。
まるで連想ゲームだが、彼らは全くの無縁だ。
EKさんは旅好きで、旅人は応援するという。
WSさんもEKさんも車なら乗せてくれたそうだ。
WSさんのライダーハウスの話は興味をそそられ過ぎた。
バイク旅いいなぁ。
計3人と仲良くなった。
日も暮れてきた頃、意を決することにした。
声をかけた時に、車中泊するからダメだと言っていた人を思い出して、その方の元へ向かう。
時刻は夕方6時ごろだ。
交渉。
乗せてもらえた。
この方は、唯一と言っていいくらい、名前を聞けなかった人だ。
だいたい、帰り際に名前を聞いたり、連絡先を交換したり、スケッチブックに一言と名前を添えてもらうのだが、さっさと降りるように言われた。
一言書いてほしい、と僕は食い下がったがダメだった。
登山好きで山口出身、その日も山登りをして、翌日も山登りをするそうだ。
盆くらいしか、そういう余暇を過ごす暇がないそうだ。
普段はサラリーマンをしているという。
1人で山を登るのが好きだそうで、旅もしたいけど、今からは時間を取ることが難しいだろうと言っていた。
交渉の段階では、出雲ICまでと言っていたが、道を間違えて出雲までは遠回りになった。
そこで、元々遠くて行かないと言っていた斐川より遠くにある宍道ICまで連れて行ってもらえることになった。
これが、さっさと降りることになった要因ではないかと思える。
宍道ICで別れて、ヒッチハイクをするものの全く拾ってもらえない。
力尽きて、いつぞやの鹿児島の喜入駅から最南端の西大山駅を目指して歩いた時のように、カバンを枕にして歩道で寝た。
辺りは真っ暗で、信号の明かりとかすかな街灯だけが唯一頼れる明かりだ。
車通りも人通りも絶え絶えになったころに、救いの手は伸びた。
24台目 宍道湖SAまで
YMさんが起こしてくれた。
あまりにも突然だったので、僕は驚いて寝ぼけ眼をこすることもせず、ぼんやりとした頭で受け答えした。
YMさんはとても良くしてくれた。
ただひたすらに、僕の心配をしてくれて、ここで寝たら死んでしまうと言った。
雨は降っていなかったが、降った時のために、雨露をしのげる場所へ連れて行ってあげると言った。
宍道湖SAだ。
僕が最も行きたいところへ連れて行ってくれた。
道中の車でも、充電を勧めてくれたり、YMさんの沢山のこれから取るべき行動に対する考えを聞いた。情報を聞いた。
旅をしている人は応援したいという。
2人の幼い女の子もいたが、YMさんと僕が2人で外に出ることになった時に、下の子の面倒を見る、と上の子が言っていたのを見た時に、あぁ、この親にしてこの子ありだな、と真剣に思った。
不思議といいご両親の子供はいい子だと思うことが、この旅を通して感じることがあまりにも多い。
幸せだ。