はじめに・ご挨拶
はじめまして!
荒川拓朗と申します。
この度は、数ある企画の中からこちらをご覧いただき誠に有り難うございます。
僕は、週間少年ジャンプの作家になります。旅や出会いが好きです。夏も大好きです。
そんな男が実現させたい目的があるので、よろしければご協力お願いします。
このプロジェクトで実現したいこと
僕が実現したいことは、全国47都道府県各地で、手持ち花火を楽しむことです!
プロジェクトをやろうと思った理由
夏の風物詩といえば、祭、スイカ、かき氷etc…
この季節を彩る魅力溢れる代物がひしめき合っています。
そこで、僕がこのプロジェクトをやろうと思った理由は2つです。
1つは、僕は夏に手持ち花火がしたい!
そう考えました。
今年が20代に入って初めての夏。
いつもと同じように過ごしていいのか。
ただ、毎年のように行く地元の祭りに行って、なんとなく花火をして、夏に相手にされず、にべもなく過ぎさせていいのか。
何か変わったことがしたい。
日本津々浦々で夏を満喫したい。
手持ち花火がしたい。
2つ目は、この頃少しずつ人との出会いの大切さを感じています。
全国の方と出会いたい、話したい、仲良くなりたい。
今年の僕は、そんな自分を納得させる日本で1番夏を満喫するアイディアを閃きました。
2019年の夏は、こうして味わうべきだと天啓が脳天を貫きました。
それが、47都道府県各地で手持ち花火を楽しむことでした。
大きく分けてやりたいことは2つです。
1.夏を感じるために全国各地で手持ち花火をする。
2.あらゆる地域の方と出会い、価値観を広げるため、思い出を作るため、人との繋がりを作るために都道府県各地を巡ります。
これまでの活動
花火に関しての活動は今回が初めてです!
今までは、18切符で鹿児島の西大山駅から北海道の稚内まで行ったり、2度ヒッチハイクで大阪、東京間を往復するようなアクションは起こしてきました。
資金の使い道
花火の購入資金を主に、飛行機代や今回の活動費に当てさせていただきます!
花火 1万〜6万
ヒッチハイクで行くことが出来ない北海道、沖縄に行くための飛行機、新幹線代
7万
食費 1万
宿泊費 1万
リターンについて
47都道府県をヒッチハイクで巡った体験談や、感じたことを直接お会いして、僕の声を通してお話しさせていただきます。
公共の場所で面会させていただきます。
交通費は、支援者様のご負担となります。
実施スケジュール
8月
4日 徳島
5日 香川
6日 高知
7日 愛媛
8日 広島
9日 岡山
10日 鳥取
11日 島根
12日 山口
13日 福岡
14日 長崎
15日 佐賀
16日 大分
17日 熊本
18日 宮崎
19日 鹿児島
20日 沖縄
21日 東京
22日 神奈川
23日 千葉
24日 茨城
25日 栃木
26日 福島
27日 新潟
28日 山形
29日 宮城
30日 岩手
31日 秋田
9月
1日 青森
2日 北海道
3日 大阪
4日 兵庫
5日 京都
6日 奈良
7日 和歌山
8日 三重
9日 滋賀
10日 福井
11日 石川
12日 富山
13日 岐阜
14日 愛知
15日 静岡
16日 山梨
17日 長野
18日 群馬
19日 埼玉
最後に
途方も無い確率の網を超えて僕たちは出会います。
花火を介在させたコミュニケーションの場として、夏を楽しみながら、無駄なく人間関係の輪を広げ、思わず夏といえばこの夏のことを振り返ってしまうような、そんな手持ち花火の旅にします。
全国各地ですので、沖縄、鹿児島、四国、北海道、地方関係なく全て向かわせていただきます。
よろしくお願いします。
最新の活動報告
もっと見る8月20日 47都道府県各地で手持ち花火をして似顔絵を描いて廻るヒッチハイク旅 17日目
2019/09/10 13:4417日目見聞録花火を終えた僕は、以前、道端で崩れ落ちるように仰向けに寝ていた僕を宍道湖SAまで乗せてくれた、YMさんだったり、他の方も言っていた『バスがこない深夜のバス停で寝る』を、敢行した。翌朝、飛行機のチェックインをするべく、荷物を預けに行くと、花火は全て持ち込みが不可、全て処分する運命となった。福岡、熊本でハッチャケて、打ち上げ花火以外の全ての花火は儚く葬っていたけど、打ち上げ花火がなかなか残っていた。託してくれた春雷も息をしている。このまま、絶命させるべきか、しばし逡巡した。やろう。花火ができそうな場所を探した。めぼしい所に行った。児童保育の敷地だった。やってはいけないと思ったが、他に近くで出来そうな場所は無かったはずだ。人は少ない。花火をセットして、付近の小石を集めて固定して、準備を済ませると、子供たちが母屋に入っていく様子が伺えた。なんだか、申し訳ない気持ちを胸に抱きながら、宙に花火を放った。5本ほどの打ち上げ花火と、春雷を一本あげた後、児童保育の方がやってきて、注意を受けた。速やかに引き上げた。鹿児島空港から那覇空港に着くと、懐かしい景色が広がっていた。今年の3月に、僕は18切符を使って、鹿児島の西大山駅から北海道の稚内駅まで、横断をした際にも沖縄へ行った。その時に、初めて18fes大阪練習会以外の方と沖縄で会うはずだったのだが、僕の寝坊で沖縄に着いた時間は、予定の昼から大幅に遅れて22時に到着した。結局、僕のせいで会うことは叶わなかった。その上、その方には集合場所にバスで向かってもらっていて、半日を持て余させてしまった。ただただ、自分の不甲斐なさを苦い味のする思い出として噛み締めて、沖縄の地を踏んでいく。38台目 サンエーまで歩いてダイソーまで行って、足の爪が狼男だったのでら爪切りを買った。チャッカマンも3本鹿児島空港に吸い込まれたので、ライターを1つ(ライター1つなら、喫煙用に持ち込みに支障なし)と沖縄用に300円の花火の買い物を済ませて、店を後にした。近くの奥武山公園で昼間に花火をして、目の前にある川の上に浮かぶ船に鎮座しているショベルカーが、ひたすら水を掻いているので気になった。その何かしらの工事をしているおじさんに声をかけてもらったので、丁度いいとばかりに聞いてみた。川を掘って、深くして、増水を防ぐ工事だった。初めてみたかもしれないので、また一つ勉強になった。瀬長島まで、歩いて行った。本当は、滅茶苦茶ヒッチしたかったが、めぼしい路肩がなかったし、そのくらい歩けと自分でも思える距離だったので歩いた。せっかくの沖縄だし、景色を見ながら歩くのも悪くないかと考えた。瀬長島から見た夕焼け空は、ひどく綺麗で、圧巻だった。月並みの言葉だが、優しく包み込んでくれる世界が眼前に広がっていた。ここで、沖縄が好きだと克明に自覚した。やりとりをしていたとある方から、ダイレクトメールが届いた。『ライカムなら会えそう!』瀬長島に、SUさんというジャグラーがいた。路上という形だが、すこしスペースのある広場でお客さんが20人ほどはいただろうか。しっかり許可を取って行なっていた。僕が目に付いた理由は、シガーボックスという道具を扱っていたからだ。僕も、10年前になるが、小学5、6年生の2年間、ひたすら3つの箱を使って遊んでいた。あの時に、舞台に立った経験は、思い出せば未だに高揚させてくれる。練習をするたびに、出来る技が増えていく、上達していく感覚。3つのピンク、黄色、緑の箱を、自在に操っている魔法使いのような気分にさせてくれる。自分の技を見て、喜んでくれる人がいる。そんな、魔道具のような箱がシガーボックスだ。そして、僕以外にシガーボックスをやっている人間を、誇張抜きに人生で初めて目の当たりにした。画面の向こうには、参考にしていた憧れの僕のヒーローだった『ひょうがくん』というドラゴンはいたが、実際に出会ったことはなかった。技術も卓越していて見応えもあったから、迷うことなく相棒のニコンを構えた。僕が足を止めたいくつかの理由のうちのもう一つに、ロードオブメジャーの曲や、モンゴル800の小さな恋の歌を起用していて、演者も年の近そうなお兄さんだったので、親近感も湧いたのだと思う。そのショーは、シガーボックスがついぞ11個の箱を扱うラストを迎えて終焉。その後、ハットでバスキングをしていて、1000円と少しの小銭が入っていただろうか。なかなか難しいのだと思って、浮浪者の僕はポケットに入っていた小銭を全て入れた。すぐに人も掃けて、SUさんが機材や物を片付けを始めたので、僕は軽く挨拶をした。ヒッチハイクをして全国を廻っていること。かつて、自分も10年前にシガーボックスの虜になっていたこと。週間少年ジャンプで描く漫画家に、必ずなるということ。今、楽しいということ。迷いなく似顔絵を描いていいか伺った。次も予定があるから、片付けている間ならいいと言ってもらった。たくさんの話を聞いた後に、片付け終えたSUさんが『西原までなら送っていくよ』そう言った。道中もジャグリングについて、根掘り葉掘り聞いた。現在、20代後半で、これからのパフォーマンスへの思いも聞いた。不安もあるけど、伸び代もあると思う。やり残していることがあるから、まだやめられない。僕も、まさにそうだ。まだ、やめられない。ひょうがくんに憧れていたことを伝えたら、SUさんは、中の人と知り合いだというので、思わず車中で嬌声を上げてしまった。そりゃ、10年経っても色褪せない僕のヒーローが目の前にいる人と関わりがあったらねぇ。驚くよね。また、お会いしたい旨を伝えると、このSUさんもご縁というものを大事にする方だった。乗せてくださる方は、みんな口を揃えて言っている。素敵な方だった。39台目 普天間宮まで西原のサンエーで降ろしていただいた。かなり大きなショッピングモールで、止まっている車の数が尋常ではない。これは、期待できる。『ライカム』と、もう何冊目かの100円のスケッチブックに書いて助けを求める。声をいつも以上にかけに言ったが、気づいたことがある。みんな反対方面だと言う。たしかに、いてもおかしくないが、そう言われる数が異常だ。何人かライカム方面がいてもおかしくないはずだ。駐車場から出て、手前の車線に乗っていけばライカムだ。全員が全員、はたして逆車線に乗っていくのだろうか。バス停もあって、バスで行くことも考えたが、ヒッチハイクで乗せてもらう方が、あらゆる面でプラスに運ぶ。移動時間、出会い、金銭面。やるしかねぇ。念のため、バス停に沿って歩く。いい路肩を探して、見つけては試して、次へ行く。僕は、場所を変えることにした。途中『ライカムなら10時までに、普天間宮なら少し超えても会えるよ!』とメールが届いた。信号待ちをしている車が並んでいる。僕は山口県防府市指定のゴミ袋とスケッチブックを持って歩いていると、その中に、窓の開いた一台の助手席に座っているお兄さんと目があった。僕は、生存本能が働いたのか、反射で『普天間宮』と書いた紙を見せた。すると、『普天間宮までなら乗せてくよ』と言った。僥倖。ドライバーのMさん、助主席のWさん。名前は後ほど知ったのだが、20年生きていて初めて出会った名前だった。沖縄の方特有の名前なのだろうが、2人ともそうだということに驚いた。読めなくて調べた。2人は、車が好きで、車好きの集まりにこれから向かうところだったそうだ。その道中に、普天間宮と書いたスケッチブックを持った僕がいたから乗せてくれたそうだ。サンエー駐車場の話をすると、沖縄で乗せてくれる人はなかなかいないのではないかと言っていた。僕のイメージだったり、他県の乗せてくれた人が、九州は、南に行けば行くほど、人が良くなり、沖縄はなんくるないさーで全て片がつくと言っていた。半分冗談なのだと思うが、僕も沖縄にはそんな印象だったから意外だった。お年寄りは、そういう印象で間違い無いのではないかと言っていた。Mさんは、オールバックにしたクールガイ、Wさんは人の良さそうな、少しふくやかでイケイケな兄ちゃんだった。2人とも優しい方だった。ただ、短い間だったが、乗せてくださったお二人には感謝でいっぱいだ。これだけでも、沖縄に来た甲斐があったというものだ。また、会ってお話がしたい。そして、おかげさまでようやく出会うことができた18fes参加者の方が普天間宮にいる。普天間宮にて、境内へ足を伸ばすと途方も無いワクワクが僕を襲った。約束の相手は近くにいるけど、中にいるわけでは無いようだ。徐々に近づいてくる様子を彷彿とさせる文字の洪水に吸い込まれる。胸を踊らせる。僕は普天間宮を出た。いた。Cさん、僕が18fes大阪練習会の方以外で、初めて出会うはずだった18fes参加者だ。それも5ヶ月前の3月だ。この間、僕は数十人の18fes参加者と出会い、話をして、笑って、笑って、笑った。そして、尊敬した。みんな、すげぇ、と。無数の触発を受けて、刺激をパチパチ流れ続けていた僕の全身が、Cさんと出会って脈打った。不思議な感覚だった。この方と出会ったことで、18fes参加者と積極的に出会いに行く荒川拓朗の物語は、心の奥、遠くの方で、1つの終幕を迎えた気がした。普天間宮近くのバス停に座って話すことにした。話すことは膨大にある。積もる話は山脈ほどある。まず、僕は3月にバックれる形となったことについて謝罪した。沖縄の人は時間の流れがゆっくりで、2、3時間待ち合わせに遅れることなんて当たり前にあるから気にしないで、と言っていた。話している際、僕は無限に笑った。やりとりの文章から来るイメージよりも、想像以上にサバサバしていて、あらゆることがはっきりした方だった。現在、アパレルに勤めているそうだが、以前に聞いていた話では、マッサージ師になろうと考えていたはずだが、その相違について聞いた。地元の宮城に、マッサージを学べる場所があって見学や体験に行ったそうだ。とある先生のマッサージを受けて、電撃が走って、この先生から学びたい!と思った。しかし、親から宮城はダメだと食らった。沖縄に学びたい場所はないが、ないなりに探して試験に受けて、筆記は全問正解だったりした。だが、それも行くことはなくなり、働き始めることとなった。空港の保安検査官だったりなりたいと考えたが、兄に行ける範囲で選びなさい、と言われて、行ける範囲だとユニクロしかなかった。服は好きではないが、勉強になることもたくさんあって楽しいそうだ。話していて感じたが、滅茶苦茶謙虚だ。勤め先には、とても適いそうな人がいない。自分を低く話すことや、快活な話し方だったり、冗談めかすが、やるときはしっかりやる方なんだろうと伝わってきた。ガッツリしたお弁当にブレンド茶、ポテチをくれた。その際に言った、Cさんの言葉が頭から離れない。『これは、投資だから。少なすぎるかもしれないけど。』帰り際、家まで話して歩いて、似顔絵を描いた。色は、まだ、塗っていない。 もっと見る
8月19日 47都道府県各地で手持ち花火をして似顔絵を描いて廻るヒッチハイク旅 16日目
2019/09/10 13:4116日目見聞録この日もいつぞやの熊本城公園と似た1日を過ごした。似顔絵を描こうと思うものの、声をかけることに二の足を踏む。団欒の時間を乱す可能性。未知の似顔絵師である僕の似顔絵需要への不信。その結果、足湯に浸かって、読書をしていたら1日が過ぎ去った。何も行動に移さなければ、何の出会いも無いのだと感じた。昨日まではヒッチハイカー、今日は名もなき浮浪者。その晩、鹿児島の分の花火をするべく、近くで花火をする場所を探しに向かった。あたりは真っ暗で、川も公園も無い。眠気が僕を容赦なく襲い、たまらず眼前のLAWSON前で三角座りをして寝落ちした。しばらくして、誰かが僕に声をかけた。警察だ。職質をされた。いずれ週間少年ジャンプで描く漫画家になると決めていて、バイトをしながら漫画を描いている。経験になればと思って、ヒッチハイクをして全国を廻っている。似顔絵も各地で描くつもりでいる。その旨を伝えると、おもむろに2人のうち1人の警察官が、僕を描いてよ、といいはった。いいのですか?と確認した僕に、個人的なお願いだ。描いてくれたら、ご飯買ってあげるよ、と言ってくださった。描いた。2人の警察の方とLAWSONでお弁当を選ぶことになった。僕のために、警察官がご飯をご馳走になる未来は、果たして見えたことがあっただろうか。別れ際、似顔絵を描いてご馳走してくれた方とは別の警察官が、Twitterを教えて欲しいと言った。僕も喜んで伝えて、たしかにフォローしてもらった。僕も躊躇いなくフォローを返した。翌日、フォローを解除されていた。その後、人通りが全くなかった道路で線香花火だけした。雨の中、傘をさして。 もっと見る
8月18日 47都道府県各地で手持ち花火をして似顔絵を描いて廻るヒッチハイク旅 15日目
2019/09/10 13:3915日目見聞録深夜1時ごろに、花火の集いは完全御開きとなった。各々家に帰るなり、熊駅で野宿しに行ったり、散り散りになった。そんな折、花火の余韻に浸って、残ったおやつである柿ピーをぽりぽり咀嚼していた時だった。一緒に花火をした双子の妹さんが、似顔絵を描いて欲しかったと連絡をくれた。たしかに描いてないな、と思った。時刻は深夜1時半である。翌日、僕は宮崎へ行くつもりだ。いつ描けばいいのだ。2時半に熊駅に来ると、あの子は言った。33台目 デイリーヤマザキ松橋IC店まで来た。双子ちゃんが2人。見分けはつくが、顔と雰囲気がめっちゃ似てる、といつも思う。同じ飯食って、同じように育ったからだと言っていた。それもそうだ。似顔絵を描くことになった。その際、この2人がめっちゃ下向くんだ。顔が見えない。なぜだ。似顔絵を描いてもらいに来たのではなかったのか。話の流れで、僕の似顔絵も描いてもらえることになった。20歳にもなって、似顔絵の描きあいっこをすることになるとは思わなかった。描いてもらった僕の顔は、滅茶苦茶可愛く、上手に描いてもらった。何度か、人に描いてもらったこともあるが、ダントツでもらって嬉しい似顔絵だった。時間があるというし、せっかくなので色んな話を聞いた。中学から音楽を聴くことにはまったそうだ。聴くことが好きなのであって、演奏する側には行こうと全く思わなかったそうだ。大学では、姉さんが薬学、妹さんが放射線技師の勉強をしているようだ。とにかく、小学生の頃から勉強はしておきなさい、と大人に言われていて、勉強した方がいいんだ、といった具合で続けていたそう。勉強をすることは嫌いではなくて、姉妹のどちらかが勉強していたら、自分もしようと思うことで、互いにいい意味で刺激しあっていたそうだ。夢を追う人を応援する、という、すごいね、という。勉強は誰でもできる、という。僕はジャンプで描く、と言うと、度々、すごいね、と言われる。僕はよく思うことがある。すごい人って、たくさんいるんだなぁと。素で人を応援する人、勉強をし続けている人、何者かになるため、苦しいけど努力する人、淡々と忙しい業務をこなす人、優しい人、人の親になった人、恋愛に真摯な人、人を思いやれる人。僕は、みんな素晴らしいと思います。そして、僕はあなた方2人を尊敬してやみません。時刻が5時半を過ぎて、そろそろ解散。その前に、松橋IC近くのデイリーヤマザキまで送ってもらえることになった。6時ごろにつくという。移動の際、後部座席で横になって寝ていていいと言われたので、その言葉に甘えた。起きたら6時半だった。双子は前の座席で、なにやら談笑していた。旅で疲れているだろうからと、着いたけど起こさないでくれていたそうだ。その間、パンを買って朝食を済ませていたから気にするなという。その後、お菓子の詰め合わせとパンと水をくれた。精一杯の感謝を伝えた。別れた後に、カメラを置き忘れたことを思い出した。その旨を連絡した。マナーモードにしていて、気付いた時には家についていたという。また、戻ってきてくれて、カメラを渡してもらった。1度、広島で乗せてもらった車に忘れたのに、同じ轍を2度踏んだ。申し訳ない気持ちがいっぱいになったし、己の不甲斐なさがこみ上げる。2人とも眠い中、本当に申し訳ないことをしてしまった。無事に帰宅出来たようで本当に良かったと思う。実際は、似顔絵を描いてもらうことを方便に、熊本駅で1人野宿して過ごしてる僕のことを気遣って、来てくれたのではないかとさえ思う。なんにせよ、優しさからきた行動の数々なのだと容易に察せる。本当にありがとう。必ず期待に応える。このごろ、下の学年の女の子と出会うことがあるが、みんな滅茶苦茶しっかりしてる。年上お兄ちゃんである僕は、名もなき浮浪者から、何者になれるだろうか。34台目 宮原SAまでデイリーヤマザキの駐車場でヒッチハイクをする。拾ってもらった。Kさん、住職、43歳、小学2年生の娘さんが、少しバトルの多いプリキュアとしてシンフォギアを見る。漫画、アニメが好き。あまんちゅ!、ブラックラグーンは紙の本を買うほど好き。漫画は30年前から読んでいて、現在はネカフェ、電子書籍で読む。本音は紙派だが、奥さんに漫画を買うとどやされるから買っていないそうだ。住職さんのスケジュールは、詰まっている日もあれば、空いてる日もある。この日は、朝からお坊さんのお仕事、その帰りに乗せてくれた。11時ごろに法事を行なって、その日はお仕事おしまいだそうだ。余暇は家族サービスで、どこか遊びに連れて行ったりするらしい。35台目 出の山公園までM夫婦、お二人のお名前は伺えなかった。宮崎に3年前、新築マンションを買ったが、出張で熊本に過ごすことになり、住むことはなかったそうだ。それでも、週に一回は宮崎のマンションへ帰って、掃除をしたりしていたようだ。そして、満を持して宮崎の新築マンションに住むことが叶うのだそう。奥さんはたくさんお話ししてくださる快活な方。ご主人の風貌が、三びきのおっさんのキヨに激似だった。おやつにとっておいていた、パンを二つくださった。36台目 山江SAまでHKさんとご家族、奥さん、子供さん3人。キャンピングカーに乗っていた。HKさんは、35歳で独立しようと思ったが、HKさんたちのために会社を大きくすると会社に言われて、やめるにやめにくくなったそうだ。やめるタイミングを見失ったそうだ。40辺りで会社が軌道に乗ってからやめようと思ったが、衰える体力と、愛する家族が路頭に迷う時間ができてしまう予感がそうさせなかったという。全は一、一は全。海外へ行っても価値観は変わらない。地元で全て学ぶことはできる。全てが見えていないだけで、身近に学びはあるものだ。全てから一つを学べるし、一つから全てを学べる。初めてヒッチハイカーを乗せたから、緊張して鹿児島に行こうと思っていたが、熊本方面に行ってしまったらしい。若いうちに必ず挑戦するべきだと言っていた。37台目 鹿児島空港まで名前はわからないおばあちゃんとお母さんの親子。4人の娘さんがいて、一番上が34歳、一番下が18歳。薙刀を次女が始めて、その影響で三女も末っ子の娘さんも薙刀を始めたそうだ。薙刀のインターハイや国体にも出るほどの腕前となった末っ子の娘さん。試合が大分で行われていて、その応援に行った帰りに乗せてもらった。お子さんか、お孫さんのどちらが可愛いのかという話になり、おばあさんは孫より子供が可愛いと言った。昔から、孫より親として子供を守ろうと思うのが人だ。だから、私は孫より子供がかわいい。 もっと見る
コメント
もっと見る