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47都道府県をヒッチハイクで巡ります!

47都道府県各地をヒッチハイクで巡ります。沖縄や北海道に渡る際は、別の交通手段を使わせていただきます。

現在の支援総額

0

0%

目標金額は150,000円

支援者数

0

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終了

このプロジェクトは、2019/09/01に募集を開始し、 2019/09/19に募集を終了しました

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17日目見聞録

花火を終えた僕は、以前、道端で崩れ落ちるように仰向けに寝ていた僕を宍道湖SAまで乗せてくれた、YMさんだったり、他の方も言っていた

『バスがこない深夜のバス停で寝る』

を、敢行した。

翌朝、飛行機のチェックインをするべく、荷物を預けに行くと、花火は全て持ち込みが不可、全て処分する運命となった。

福岡、熊本でハッチャケて、打ち上げ花火以外の全ての花火は儚く葬っていたけど、打ち上げ花火がなかなか残っていた。

託してくれた春雷も息をしている。

このまま、絶命させるべきか、しばし逡巡した。

やろう。

花火ができそうな場所を探した。

めぼしい所に行った。

児童保育の敷地だった。

やってはいけないと思ったが、他に近くで出来そうな場所は無かったはずだ。

人は少ない。

花火をセットして、付近の小石を集めて固定して、準備を済ませると、子供たちが母屋に入っていく様子が伺えた。

なんだか、申し訳ない気持ちを胸に抱きながら、宙に花火を放った。

5本ほどの打ち上げ花火と、春雷を一本あげた後、児童保育の方がやってきて、注意を受けた。

速やかに引き上げた。

鹿児島空港から那覇空港に着くと、懐かしい景色が広がっていた。

今年の3月に、僕は18切符を使って、鹿児島の西大山駅から北海道の稚内駅まで、横断をした際にも沖縄へ行った。

その時に、初めて18fes大阪練習会以外の方と沖縄で会うはずだったのだが、僕の寝坊で沖縄に着いた時間は、予定の昼から大幅に遅れて22時に到着した。

結局、僕のせいで会うことは叶わなかった。

その上、その方には集合場所にバスで向かってもらっていて、半日を持て余させてしまった。

ただただ、自分の不甲斐なさを苦い味のする思い出として噛み締めて、沖縄の地を踏んでいく。

38台目 サンエーまで

歩いてダイソーまで行って、足の爪が狼男だったのでら爪切りを買った。

チャッカマンも3本鹿児島空港に吸い込まれたので、ライターを1つ(ライター1つなら、喫煙用に持ち込みに支障なし)と沖縄用に300円の花火の買い物を済ませて、店を後にした。

近くの奥武山公園で昼間に花火をして、目の前にある川の上に浮かぶ船に鎮座しているショベルカーが、ひたすら水を掻いているので気になった。

その何かしらの工事をしているおじさんに声をかけてもらったので、丁度いいとばかりに聞いてみた。

川を掘って、深くして、増水を防ぐ工事だった。

初めてみたかもしれないので、また一つ勉強になった。

瀬長島まで、歩いて行った。

本当は、滅茶苦茶ヒッチしたかったが、めぼしい路肩がなかったし、そのくらい歩けと自分でも思える距離だったので歩いた。

せっかくの沖縄だし、景色を見ながら歩くのも悪くないかと考えた。

瀬長島から見た夕焼け空は、ひどく綺麗で、圧巻だった。

月並みの言葉だが、優しく包み込んでくれる世界が眼前に広がっていた。

ここで、沖縄が好きだと克明に自覚した。

やりとりをしていたとある方から、ダイレクトメールが届いた。

『ライカムなら会えそう!』

瀬長島に、SUさんというジャグラーがいた。

路上という形だが、すこしスペースのある広場でお客さんが20人ほどはいただろうか。

しっかり許可を取って行なっていた。

僕が目に付いた理由は、シガーボックスという道具を扱っていたからだ。

僕も、10年前になるが、小学56年生の2年間、ひたすら3つの箱を使って遊んでいた。

あの時に、舞台に立った経験は、思い出せば未だに高揚させてくれる。

練習をするたびに、出来る技が増えていく、上達していく感覚。

3つのピンク、黄色、緑の箱を、自在に操っている魔法使いのような気分にさせてくれる。

自分の技を見て、喜んでくれる人がいる。

そんな、魔道具のような箱がシガーボックスだ。

そして、僕以外にシガーボックスをやっている人間を、誇張抜きに人生で初めて目の当たりにした。

画面の向こうには、参考にしていた憧れの僕のヒーローだった『ひょうがくん』というドラゴンはいたが、実際に出会ったことはなかった。

技術も卓越していて見応えもあったから、迷うことなく相棒のニコンを構えた。

僕が足を止めたいくつかの理由のうちのもう一つに、ロードオブメジャーの曲や、モンゴル800の小さな恋の歌を起用していて、演者も年の近そうなお兄さんだったので、親近感も湧いたのだと思う。

そのショーは、シガーボックスがついぞ11個の箱を扱うラストを迎えて終焉。

その後、ハットでバスキングをしていて、1000円と少しの小銭が入っていただろうか。

なかなか難しいのだと思って、浮浪者の僕はポケットに入っていた小銭を全て入れた。

すぐに人も掃けて、SUさんが機材や物を片付けを始めたので、僕は軽く挨拶をした。

ヒッチハイクをして全国を廻っていること。

かつて、自分も10年前にシガーボックスの虜になっていたこと。

週間少年ジャンプで描く漫画家に、必ずなるということ。

今、楽しいということ。

迷いなく似顔絵を描いていいか伺った。

次も予定があるから、片付けている間ならいいと言ってもらった。

たくさんの話を聞いた後に、片付け終えたSUさんが

『西原までなら送っていくよ』

そう言った。

道中もジャグリングについて、根掘り葉掘り聞いた。

現在、20代後半で、これからのパフォーマンスへの思いも聞いた。

不安もあるけど、伸び代もあると思う。

やり残していることがあるから、まだやめられない。

僕も、まさにそうだ。

まだ、やめられない。

ひょうがくんに憧れていたことを伝えたら、SUさんは、中の人と知り合いだというので、思わず車中で嬌声を上げてしまった。

そりゃ、10年経っても色褪せない僕のヒーローが目の前にいる人と関わりがあったらねぇ。

驚くよね。

また、お会いしたい旨を伝えると、このSUさんもご縁というものを大事にする方だった。

乗せてくださる方は、みんな口を揃えて言っている。

素敵な方だった。

39台目 普天間宮まで

西原のサンエーで降ろしていただいた。

かなり大きなショッピングモールで、止まっている車の数が尋常ではない。

これは、期待できる。

『ライカム』と、もう何冊目かの100円のスケッチブックに書いて助けを求める。

声をいつも以上にかけに言ったが、気づいたことがある。

みんな反対方面だと言う。

たしかに、いてもおかしくないが、そう言われる数が異常だ。

何人かライカム方面がいてもおかしくないはずだ。

駐車場から出て、手前の車線に乗っていけばライカムだ。

全員が全員、はたして逆車線に乗っていくのだろうか。

バス停もあって、バスで行くことも考えたが、ヒッチハイクで乗せてもらう方が、あらゆる面でプラスに運ぶ。

移動時間、出会い、金銭面。

やるしかねぇ。

念のため、バス停に沿って歩く。

いい路肩を探して、見つけては試して、次へ行く。

僕は、場所を変えることにした。

途中

『ライカムなら10時までに、普天間宮なら少し超えても会えるよ!』

とメールが届いた。

信号待ちをしている車が並んでいる。

僕は山口県防府市指定のゴミ袋とスケッチブックを持って歩いていると、その中に、窓の開いた一台の助手席に座っているお兄さんと目があった。

僕は、生存本能が働いたのか、反射で『普天間宮』と書いた紙を見せた。

すると、『普天間宮までなら乗せてくよ』と言った。

僥倖。

ドライバーのMさん、助主席のWさん。

名前は後ほど知ったのだが、20年生きていて初めて出会った名前だった。

沖縄の方特有の名前なのだろうが、2人ともそうだということに驚いた。

読めなくて調べた。

2人は、車が好きで、車好きの集まりにこれから向かうところだったそうだ。

その道中に、普天間宮と書いたスケッチブックを持った僕がいたから乗せてくれたそうだ。

サンエー駐車場の話をすると、沖縄で乗せてくれる人はなかなかいないのではないかと言っていた。

僕のイメージだったり、他県の乗せてくれた人が、九州は、南に行けば行くほど、人が良くなり、沖縄はなんくるないさーで全て片がつくと言っていた。

半分冗談なのだと思うが、僕も沖縄にはそんな印象だったから意外だった。

お年寄りは、そういう印象で間違い無いのではないかと言っていた。

Mさんは、オールバックにしたクールガイ、Wさんは人の良さそうな、少しふくやかでイケイケな兄ちゃんだった。

2人とも優しい方だった。

ただ、短い間だったが、乗せてくださったお二人には感謝でいっぱいだ。

これだけでも、沖縄に来た甲斐があったというものだ。

また、会ってお話がしたい。

そして、おかげさまでようやく出会うことができた18fes参加者の方が普天間宮にいる。

普天間宮にて、境内へ足を伸ばすと途方も無いワクワクが僕を襲った。

約束の相手は近くにいるけど、中にいるわけでは無いようだ。

徐々に近づいてくる様子を彷彿とさせる文字の洪水に吸い込まれる。胸を踊らせる。

僕は普天間宮を出た。

いた。

Cさん、僕が18fes大阪練習会の方以外で、初めて出会うはずだった18fes参加者だ。

それも5ヶ月前の3月だ。

この間、僕は数十人の18fes参加者と出会い、話をして、笑って、笑って、笑った。

そして、尊敬した。

みんな、すげぇ、と。

無数の触発を受けて、刺激をパチパチ流れ続けていた僕の全身が、Cさんと出会って脈打った。

不思議な感覚だった。

この方と出会ったことで、18fes参加者と積極的に出会いに行く荒川拓朗の物語は、心の奥、遠くの方で、1つの終幕を迎えた気がした。

普天間宮近くのバス停に座って話すことにした。

話すことは膨大にある。

積もる話は山脈ほどある。

まず、僕は3月にバックれる形となったことについて謝罪した。

沖縄の人は時間の流れがゆっくりで、23時間待ち合わせに遅れることなんて当たり前にあるから気にしないで、と言っていた。

話している際、僕は無限に笑った。

やりとりの文章から来るイメージよりも、想像以上にサバサバしていて、あらゆることがはっきりした方だった。

現在、アパレルに勤めているそうだが、以前に聞いていた話では、マッサージ師になろうと考えていたはずだが、その相違について聞いた。

地元の宮城に、マッサージを学べる場所があって見学や体験に行ったそうだ。

とある先生のマッサージを受けて、電撃が走って、この先生から学びたい!と思った。

しかし、親から宮城はダメだと食らった。

沖縄に学びたい場所はないが、ないなりに探して試験に受けて、筆記は全問正解だったりした。

だが、それも行くことはなくなり、働き始めることとなった。

空港の保安検査官だったりなりたいと考えたが、兄に行ける範囲で選びなさい、と言われて、行ける範囲だとユニクロしかなかった。

服は好きではないが、勉強になることもたくさんあって楽しいそうだ。

話していて感じたが、滅茶苦茶謙虚だ。

勤め先には、とても適いそうな人がいない。

自分を低く話すことや、快活な話し方だったり、冗談めかすが、やるときはしっかりやる方なんだろうと伝わってきた。

ガッツリしたお弁当にブレンド茶、ポテチをくれた。

その際に言った、Cさんの言葉が頭から離れない。

『これは、投資だから。少なすぎるかもしれないけど。』

帰り際、家まで話して歩いて、似顔絵を描いた。

色は、まだ、塗っていない。

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