最近、テレビや新聞を見ていると外国にルーツを持つ子ども達がスポーツ界や芸能界などで大活躍をしていますね。
日本に住む外国人の出身国が多様化してきたのが1990年代。そのころ日本に来た外国人が日本に根を張って育てた子どもたちがちょうど成人し、今いろいろな分野でその才能を開花させているのでしょう。こうしてだんだんと日本の社会が国際化をとげていくのだろうと感じている方も多いのではないでしょうか。
でも私はこの件については少々悲観的な観測をしています。それは外国人定住化への支援がこの数年後退しているように見えるからです。
人手不足を背景に日系ブラジル人が増え始めた1990年から、高度専門職の外国人の雇用に力が入れられた2000年代、この間国際結婚も増え、外国人が日本で定住して安定した生活を築きあげるための支援が少しずつ進みました。
外国人の集住する地域の自治体では、窓口対応をする通訳を雇用するなど住民としてのサポートが進みだし、2006年には総務省が多文化共生プランを策定し国が正式に外国人の定住支援を行うことが表明されました。
当時増加していた日系人や高度専門職の外国人達は、仕事がある限り日本で生活し家族を呼び寄せて子育てをしていくことが可能な在留資格でした。そのことに対応して行政の施策も医療や、教育、生活の場での多言語支援環境を作ることも計画には含まれていたのです。そんな環境で外国人が日本に定住し始め、子どもたちを育ててきました。
しかし、リーマンショックや東日本大震災を経て状況が変わってきました。リーマンショック以降いったん増加が止まった在住外国人人口が2012年以降から急増に転じています。ここで増えている外国人は、技能実習生とアルバイトをしながら就労する留学生です。
この二つの在留資格を持っている外国人は他の外国人労働者と大きく異なり、家族の呼び寄せが許されません。子どもが生まれても日本で育てることを許可されないのです。また、これらの在留資格で就労できる年限も限られています。
私の眼には、日本の外国人に対する政策がここで大きく変わったように見えています。それまでは、日本につながりがある人や高度の技術を持つ人を呼んできて、定住して子供たちを育ててもらうゆっくりとした多文化共生政策を取り始めていた日本が、2012年を境に、数年だけ働く労働力は入れるけれども家族を作らず確実に帰国する前提で招聘するように方針を変えたように見えるのです。もちろん外国人労働者の増加を受けて相談体制の強化は打ち出されています。しかし、対象となる国籍が増えるなかで一つの言語に振り向けられている予算は限られており、広く薄い支援となっている印象を否めません。
そして、そこには子供たちを育てていく定住支援が予定されているように見えないのです。
多くのOECD諸国では、外国人を労働力として招聘するなら医療通訳制度を整えたり、多言語での行政支援をすることで安定した生活への支援をしていくことが一般的な潮流です。そんな中で家族や子どもとの生活を認めない日本のやり方には疑問の声が出てくるのではないでしょうか。
先日もワシントンポスト紙に、このような日本のやり方では、外国人の必要な人材を繋ぎとめることはできず、少子高齢化の進む日本社会は衰退への道をひたすら進むのではないかと論評しています。
このように外国人の日本での生活支援が狭まる中で最も苦労をしている人たちの一つの代表がネパール人の母子です。夫はコックさんなどを含む技術職として、妻たちは、アルバイトで小さな食品工場や小売業などの人手不足を補う形で日本の社会を支えていますが、通訳などの言葉の支援も乏しく不安の中での出産子育てとなることが多いのです。
新しい特定技能という在留資格が設定され新制度が始まった中で、外国人が日本で子育てをすることに対して欧米のような支援がなされるのかどうか、日本の姿勢が国際社会から問われているのではないでしょうか。
沢田 貴志
シェア=国際保健協力市民の会 副代表
港町診療所所長(医師)