プロジェクト終了まで7日を切りました。 しかし、まだあきらめません! ここでは本文で説明できなかった、自分のこの活動にするに至った経緯や気持ちを補足していきます。 強烈な人生経験 私がこのボランティアを始めた理由は私の生い立ちが大きく関係しています。 私は、2歳のころから南米のエクアドルに家族と約9年間移住していました。現地は第三世界と称されるだけあって、多くの問題を抱えている国でした。ホームレスと病気をもった野良犬が道路をさまよい、窃盗・殺害が多発する治安の悪い国でした。私は、そのような光景が日常的に広がっている国の中で育ちました。特に印象に残っているのは、ストリートチルドレンです。彼らは信号がある道路の両端に座り、信号が赤になって車が止まると、急いで車に駆け寄ってお金をくれる人を必死で探していました。もちろん、私の乗っていた車にねだりに来ることもしばしばありました。そのもらったお金で彼らは生活していたのです。 当時はまだ幼かった私は、彼らのことを見て特に何か思うわけでもありませんでした。生まれたときからそのその光景が当たり前過ぎて、それについて考えるきっかけがなかったのかもしれません。 そんなときに、私は両親と急遽日本に帰ることになりました。日本に帰ってきたときに感じた驚きは今でも覚えています。南米で見かけたストリートチルドレンや野良犬は見当たらなく、道路は綺麗に整備されていました。その時、私が考えてた今までの「当たり前の基準」がひっくり返されたのです。 エクアドルの事情を考え直すきっかけになったこの出来ごとは、私を国際協力の世界に引きずり込んでいきました。国境を越えた場所にある問題の解決に取り組んでいる国際協力団体に関心を持つようになったのです。 高校時代の出会い 高校に入学し、私は日本の文化により溶け込むために野球部に入学しました。そして、そこで私はJBと出会いました。最初の1年半は何気ない普通の高校生活を送りましたが、2年生の冬に転機が訪れました。JBがフィリピンの地元のチームの手助けをしたいといいだし、同級生やチームメイトから中古の野球道具を譲ってくれるように声をかけ始めたのです。国際協力に興味を持っていた私は、即座にその話に食いつきました。そして、JBがボランティアを終えフィリピンから帰ってきたときに、エクアドルの現状やフィリピンの現状について話し合うようになりました。 そして、次回フィリピンに行くときに一緒に来ないかって誘われました。もちろん、私はOKをしました。これが自分にとって初めての海外ボランティアになりました。 海外ボランティアの経験を通して思ったこと 現地に到着した次の日からボランティアは始まりました。訪問する野球チームの市長さんに挨拶しにいったり、コーチからヒアリング行ったり、練習に参加さしてもらったりしました。 特に現地チームの選手との交流が一番大きな自分にとっての「このボランティアを続けたい」と思わされる理由になりました。 一つ目に受けた衝撃は、現地チームと初めて挨拶を交わした時でした。多くの選手たちが飛び出してきて、私の周りを囲みました。そして、私が身に付けていた野球のユニフォームやグローブをみて、「これってどれくらいするの?」って聞いてきたのです。彼らの勢いに押されかけていたところを耐え、冷静に彼らを観察すると、スパイクは穴だらけ、ユニフォームもボロボロで、スライディングの摩擦で膝が血だらけになっている子もいました。その瞬間に今まで見てきたストリートチルドレンのことを思い出し心を打たれました。一日中道の両端に座ってお金をねだる毎日、、、彼らは何を生きがいにしているのだろうか?っと考える考えると胸が締め付けられる思いになりました。だからせめて、道具がないからスポーツができない、という子供たちを一人でも減らしていこうと考えました。 二つ目に受けた衝撃は、現地でのボランティアのスケジュールの最終日に、私がお別れの挨拶を交わして帰ろうとしたときに起きた出来事でした。自分と同い年の選手何人かが私のところに来て「ルイ、そのアンダーシャツをくれないか?」と言ってきたのです。自分の来ていたユニフォームまではあげる予定はなかったので、迷いながら彼らに「なんで?」と聞くと、「フィリピンだと高くて買えないんだ」と言われました。そこで、現地の野球用品の物価などにおける事情を知りました。結局、私は着ていた服のほとんどをあげて帰りました(笑) しかし、同時に心から、「もっと持ってきてあげればよかった」っていう後悔も生まれました。そして、このボランティアを今回で終わらせてはいけないと思いました。 確かに、日本の日常にはこういう光景を目にすることがない分、こういった現状は他人事になってしまうかもしれません。しかし、だれかがもう必要としていない道具や服一つで、彼らに生きがいができたり、笑顔を生まれるのであれば、このボランティアをするのは理由は十分あるんじゃないでしょうか??
2月から今までに集まった道具を集計してみました。 スパイク18足 グローブ50個 キャッチャー防具9セット ヘルメット2個 バット56本 ベルト4本 野球用ユニフォームと帽子 不明 (おそらく一番個数が多かったです) 今回支援する3つのチームに十分な量が集まりました^^ これからはこれらの道具の修復(バットのグリップ、グローブの紐直しなど)と仕分けなどを行っていきます。 全て道具はJBと僕(宮部)の家に保管してあります。 三月初めには道具の運送を行っていくつもりです! どうかご支援お願いたします。
プロジェクトを公開してから早半月ほどが経ってしまっていました。 残り二週間です!どうか、ご支援お願いします! ここでプロジェクトの進行状況を皆さんにお知らせするためにも活動報告をしたいと思います! 1月中にメンバー三人で大阪の野球部のある高校に7校ほど訪問してきました。全チーム私たちの活動に共感していただき、快くぷロジェクトに協力してもらうことになりました。 そして、2月の初めから13日にかけて、各高校で集めてもらった中古の野球道具を集めていく活動を行いました。 ここで道具を譲っていただいた方々を紹介していきたいと思います! 守口東高校 太成学院高校 旭高校 香里丘高校 国際大和田高校 淀川工業高校 (写真を撮っていなく、写真がありませんが。) 緑風冠高校 以上の7校から主に道具を提供していただきました! ほかにも野球塾を開いている方々などにも、ご協力していただき、その野球塾に通ってる生徒さんなどにも道具を譲っていただきました。 正直、高校野球に携わる指導者や選手方にこんなに助けてもらえていることに感激しております。 高校生の私たちがこれほどのびのびとこのプロジェクトに取り組めているのは皆さんの協力あってのことです。本当にたくさんの方のご協力をいただいてこの活動を行えていることに感謝しています。 本当にありがとうございます。 【道具について】 軟式、硬式両方の道具が集まっており、これからはフィリピンに送るチームごとに道具を分別していく作業を行っていきたいと思います。 段ボールに積み次第、少しずつフィリピンに送っていきたいと考えておりますが、運送費がかなりかかってしまいます。(一箱1万3千円程) この活動を続けるためにも、みなさんの力を貸していただけないでしょうか? どうかご支援よろしくお願いします。