東播磨地域に安定的に農業用水を供給するため、衝原村を解村してつくられたつくはら湖と呑吐(どんと)ダム。 呑吐とは、ダム建設前、衝原村に大小の滝があり、これらの滝が山田川の水を呑んで吐く様子から「呑吐の滝」と呼ばれていたことに由来します。 この呑吐ダムに行ってきましたので紹介します。 ダムの総貯水容量は1,886万㎥を湛え、県下有数の農業地帯である東播磨地域を潤しています。ちなみに東京ドームは124万㎥だそう。ということはドーム15.2個分! 重力式コンクリートダムという形式で、ダム河床部の断層処理として、日本初のウェッジブロックジョイント方式のコンクリートマット工法により、応力を左右堅岩部に伝達しダムの安定性を確保している、とのことです…(東京ドームの大きさもダムの技術的なこともよく分かりませんが、ダムの迫力には圧倒されました!) そして最近話題のダムカード!管理事務所でいただきました。事務所内にはダムの縮小模型なども展示されていました。 ダムの上から見下ろす景色は壮大でしたよ。
ダム の付いた活動報告
丹生山田の里には、その昔ダム湖に沈んだ村がありました。その名は衝原(つくはら)村。衝原は「尽く原」という説もあるように、山田川が開いた原が、下流の三木市との境界あたりで、再び谷が狭まっているところに位置しています。ここは摂津の最西端として昔から様々な勢力が衝突する地点でもありました。 このような衝原村も、平成4年に呑吐(どんと)ダムが完成し、現在はつくはら湖の水底に眠っています。なお、村の一部は湖の上流に移転し新しい集落を営んでいます。この中には日本最古(!)の民家といわれる「箱木千年家」も含まれており、これについては別の機会を設けて紹介したいと思います。つくはら湖展望台からの眺め。奥に見えるのが呑吐ダムです。 さて、なぜダムを建設する必要があったのか…。実は、さらに下流の東播磨地域は降雨量が少ないため昔から水不足に悩まされていながら、ため池など不安定な水源に頼っていました。大正4年には山田川から農業用水を供給するため、坂本交差点の付近に堰と取水口を設け、「山田川疎水」という水路が建設されています。その後、さらに安定した水源とするため、住民の苦渋の決断ののち呑吐ダムが建設されたのでした。昭和15年ごろの山田川疎水の取水口昭和39年ごろの山田川疎水の水門と堰 現在つくはら湖の周りには「神出(かんで)山田自転車道」というサイクリングロードが通っており、湖面を眺めながらのんびりとしたサイクリングをすることができます。この11月10日にはリニューアルオープンするということで、六條八幡宮に立ち寄りながら西区神出町までサイクリングするイベントが予定されているようです。また、つくはら湖の周りではバイクでツーリングをする人も見られます。このような史跡巡りも楽しいのではないでしょうか。サイクリングロード 呑吐ダムでは最近話題の「ダムカード」も配布されていると聞きます。今度もらいに行ってこようと思います。また報告しますね!