丹生山田の里には、その昔ダム湖に沈んだ村がありました。その名は衝原(つくはら)村。
衝原は「尽く原」という説もあるように、山田川が開いた原が、下流の三木市との境界あたりで、再び谷が狭まっているところに位置しています。ここは摂津の最西端として昔から様々な勢力が衝突する地点でもありました。
このような衝原村も、平成4年に呑吐(どんと)ダムが完成し、現在はつくはら湖の水底に眠っています。なお、村の一部は湖の上流に移転し新しい集落を営んでいます。この中には日本最古(!)の民家といわれる「箱木千年家」も含まれており、これについては別の機会を設けて紹介したいと思います。
さて、なぜダムを建設する必要があったのか…。実は、さらに下流の東播磨地域は降雨量が少ないため昔から水不足に悩まされていながら、ため池など不安定な水源に頼っていました。大正4年には山田川から農業用水を供給するため、坂本交差点の付近に堰と取水口を設け、「山田川疎水」という水路が建設されています。その後、さらに安定した水源とするため、住民の苦渋の決断ののち呑吐ダムが建設されたのでした。
現在つくはら湖の周りには「神出(かんで)山田自転車道」というサイクリングロードが通っており、湖面を眺めながらのんびりとしたサイクリングをすることができます。この11月10日にはリニューアルオープンするということで、六條八幡宮に立ち寄りながら西区神出町までサイクリングするイベントが予定されているようです。また、つくはら湖の周りではバイクでツーリングをする人も見られます。このような史跡巡りも楽しいのではないでしょうか。
呑吐ダムでは最近話題の「ダムカード」も配布されていると聞きます。今度もらいに行ってこようと思います。また報告しますね!