梱包材を買いに、オート(トゥクトゥク)で15分の、リシケシマーケット街へ。
マーケットの近くには、トリヴェニガトー(沐浴所)があります。
これは、ガンジス川とヤムナー川、サラスヴァティ川の三つの川が合流している聖なる巡礼地。
買い物のついでに、春分をお祝いするためと、誰もの内にある、自分の中に宿る神を祀るために、フラワーマラという、花を繋いで作られた数珠を買い、まだ冷たい川の水で足と手を清めました。
そのまま、浅瀬に立ち、目を閉じて、空に、大地に、流れる川に、全てが良い方向へ流れるように祈りました。静かで深い時間でした。
私のまぶたの裏が、太陽の光で満たされたように感じた時、
水しぶきが私に降り注いだのを感じました。
感覚のいたずらかと思っていると、また。
そっと目を開けると、小さな少女が私に優しく水をかけていたのでした。
私が微笑むと、彼女もとても可愛らしい笑顔で微笑み返してくれました。
私もそっと彼女の方向の空に水を降り注ぐ。
彼女もまた私に応えるように、水をすくって、宙に注ぎかえす。
また静かに目を閉じて、また目を開けたら彼女と戯ぶ。
言葉が通じない私たちは、くすくす笑いながら、短い時間の中でその戯びを繰り返しました。
そろそろ行こうと思い、最後にさっき買ったフラワーマラを清めるために、
袋から出してガンガーの水に浸すと、
川の水の流れに、いくつかの花がほろほろと崩れて取れました。
少女が物言いたげな目で近づいてきたので、花を渡すと・・
少女に花を渡すと、私たちの側にあった神を祀る石の周りに飾られた古い花を水に投げ込み、
渡した花を飾り始めました。
きっと、もっと小さな頃から、親や家族がやるのを見て、いつもやっているのでしょう。
元旦だけ神社に参っていた、私の子供の頃の作法知らずとは違うのを感じました。
次々と取れた花を彼女に渡すと、
神を祀る事を知っている小さな手が、
慣れた手つきで綺麗に花を並べていきます。
花がなくなりました。
少し、足りなかったようでした。
私はフラワーマラを、
春分の節目を祝い、エネルギーを清めるために、
自分のために買ったのですが、
気がつくと、彼女にそれを差し出していました。
来た時とは見違えるほど、美しく飾られた神様の石。
このマラは、ここに来ることが決まっていたのですね。
最後に聖なるガンガーの水をすくって石にかける少女は、
質素な身なりでしたが、天使のようでした。
名前も聞かずに別れた私たち。
きっと、またあの場所へ行きましょう。
そして、また会いましょう。
歩き出すと、
どこかで見たような、インド人の男性が私に手を振り笑いかける。
「いつも街で君を見かけてるよ。」
「そうでしたか。」
日本から来たといえば、コロナの話になる。
日本はどうだい?とか、色々。
彼が言った。
「Not about Corona about karma」
”全ての問題は・・・コロナからではない、自分の行いからだ。”
世界中が問題を抱えている。
そして、困ったこともたくさんある。
でも、何が起きたからどうなったと嘆いている場合ではない。
何かが起きた時に、どうするかが大切なのかもしれません。
今日もストールは来ませんでした。
明日は国をあげての外出禁止DAY
月曜日に備えて、準備をします。
お待ちくださっている皆様の愛に感謝の言葉しかありません。
ありがとうございます。