quazero – カゼロウ
今沢カゲロウ ルワンダ滞在目撃録7
(現地ガイドが目撃したことを書き記しています)
オーバービューの視点から降り、地に足をつけて直に歩く。
そしてさらに階段を降り、深く、中へ潜っていく。
ルワンダという国でそれをするとき、かならず出くわす物語がある。
1994年のルワンダ大虐殺だ。
100日間で約80万人から100万人の方が犠牲になったと言われている。
軍対軍だけではなく、民間人も手を下すことに加わってしまったこの歴史は、あまりにも衝撃が強く、ルワンダの名をそういう意味で有名にしてしまった。
到着日から予定が立て続けに入り、もともと空いていた時間も急遽のスケジュールが入ったりと、なかなか虐殺関係の場所にご案内できないでいた。
会う人会う人の話の中や、バックグラウンドを聞くたびに、ほんの少し、明言はしないまでも、なんとなく匂いを感じることはあっただろう。
しかし、明確にこの歴史と対峙する時間は今日が初めてだ。
キガリ虐殺追悼館
ある一つの丘の上にある。
セキュリティチェックを受け、入場。
明らかに口数が少なくなっている。
虐殺のことに関して聞いてみたことがある。
「ホテル・ルワンダという映画があることは知っています。あとは情報を幾つか調べて読んでみました。」
ご滞在中、虐殺に関して二人で話すことはこれまで無かった。
整然と植えられた青い木々がアプローチを成す。
お客様をここにお連れするたびにフラットに説明をすることに難易度を感じていた。
大虐殺は1994年のものが大きく取り上げられているが、天災のように突然94年に起こったわけではない。起源は1800年代後半、ルワンダがドイツやベルギーの統治下になった頃に遡る。そこから少しずつ確実に積み重ねられ、緻密に計画され、練り上がったものが噴出したまでだ。
実際に94年より前にも大規模の虐殺は何度も発生している。
それらの中には、94年と同じ理由で起きたものもある。
追悼館には、どのようにあの歴史が起きたかの一連が展示されている。
写真を眺めながら歩みを止めずに見て回る人も多い中で、カゲロウさんは一枚一枚のパネルの前で足を揃えて停止し、確認するように静かに当時の様子に関する質問を投げてくれた。
私も当時ここで生活をしていたわけではないので、全てにクリアに答えることはもちろんできないのだが、読んできた資料、日々触れ合うルワンダ人の友人隣人から聞かせてもらった話、地域の集会で持ち上がる議題、毎年4月7日から100日間続く追悼期間に共有してもらった気持ち、各地で行われる式典で教えてもらった出来事などを総結集してできるだけ私情を挟まずにお話しする。
そうしたって、どうしても私情が漏れてしまうのだが。
「特別気性の激しい性格だった、というわけではないんですよね。誰でもこうなってしまう可能性がある、ということ、、、」
当時の凶器となった手斧や鉈の実物展示に視線を落としながらカゲロウさんは呟く。
その声を捻り出させてしまうことが心苦しいほど、目の色が渦巻いていた。あれこれが巡っている。
省略せず、飛ばさず、流さず、全ての展示に見入っているとスタッフの方が近づいてきて「すみませんそろそろ閉館で、」と告げた。
少し駆け足気味に回る。
亡くなった方のお写真が四方の壁一面に展示されている部屋がある。
入り口に差し掛かったときに
「全部は、、、見れないですね、、」
そのことばは、時間が無くて、なのか、気持ち的に、なのかは分からなかった。
「、、、こんなところまで展示するんですね、、、」
ハッと息が変わったのは、被害者の頭骨と大腿骨が展示される部屋。
ガラスケースに整然と並べられた頭骨はどのように打撃を受けて亡くなったかを如実に物語る。
側頭部に穴のあいた方、まっすぐに切られている方、後頭部が完全に陥没している方、その様を見つめながら表情が険しくなっていく。
とどめのようになってしまったのは最後に訪れた「子供たちの部屋」
ジョージ
2歳
好きな飲み物:牛乳
好きな遊び:サッカー
亡くなったとき:壁に打ち付けられて
リリアン
8ヶ月
好きな人:お母さん
性格:とても良い女の子
亡くなったとき:鉈で裂かれて
のように、生前の笑顔の写真とともにその子に関する情報が淡々と書かれている。
深く、長く、行き場のない、声になりそうな溜め息を何度も何度も吐きながら
どの展示よりも足早に通って行った。
普段から保育園や幼稚園での演奏を行ったり、未来のためにと教育機関に出向いたり、大学で教鞭をとっているカゲロウさんは、とりわけ子どもたちに対して強い思いがあるのだろう。
「これ、英語だからまだよかったけど、全部日本語で書かれていたらちょっと厳しいです」
飛び込んでくる情報を受け取りすぎないように、かわしていかないと保てない。
この追悼館の敷地にある共同墓地には約25万人の方が眠っている。判明しているほんの一部の方のお名前が碑に刻まれているが、全員分まで全く追いついていない。
今も、工事や加害者の告白によって新たに地中から遺体が見つかり、墓地に移されることがあるが、それが誰なのかを特定するのは本当に難しい。
のしかかった巨大な史実を噛み砕くように、追悼館を出てから30分、黙々と街を歩いた。
その目に映るこの街は、あのゲートをくぐる前と違って見えているだろうか。
(文・写真:masako kato)